1-2 森の童話

 セラが戻るとほとりに読みかけの本があるだけだった。精霊の姿は無い。

 からかわれた。これまでの父の声は恐らくマネ上手な精霊のいたずら、急にそんな悔しさがこみ上げる。必死になったのが馬鹿らしいことに思えて屈んで本を拾った時、水が弾む音がした。


 視線を泉に這わせると見たことのない、淡い水色の体色をした透けるような美しさの泉の精霊が、泉から上半身をのぞかせてセラを見上げていた。


「さっき呼んだのはお前だな」

「そう。だってあなたが真実を知りたがったんでしょう」

「父さんの声をマネするなんて悪趣味だ」

「違うわ。アレは本当にお父さんの声なのよ。聞いて判別くらいついているでしょう」


「父さんはこの森に居ない」

「ずっと居るわ。会えないだけ」


「意味が分からない」

「……長老の家に行きなさい。行って彼女の髪の毛を抜いてくるの。それをこの泉に沈めて。そうすれば真実が見えてくるから」


 そう言うと精霊は泉の中へと姿を消した。




 本も読み終えぬままセラは古道を抜け、森の集落へと戻った。

 集落は森の一部を切り開いて作られた閉鎖的な居住空間だ。集落では森に溶け込むように作られたツリーハウスがいくつもあり、そこで老若男女様々な人々が生活を送っている。現在は五十人程が住んでいるが昔はもっと多かったと聞く。


 森に沈んでいく命のことを不安に思う人々も多いようだけれどセラにはそれが愚かな不安であるように感じられた。たぶんそれが森に生きるという宿命なのだ。

 人の生は森の循環の中に無い。森に住むという選択をした時点で人々に未来など無かったのだ。


 集落の片隅にある樹木にほとんど埋もれかけの、赤い屋根の二階建て我が家に帰宅すると母とトニヤがいた。


「セラ、お帰り」


 トニヤの弾んだ声がして母が椅子から立ち上がる。


「セラお茶淹れるから手を洗ってきなさい」

「構わないよ」


 少しの笑顔も取り繕えなかった。申し訳なく思ったけれど今はそんな気分じゃなかった。簡素に断りの声をかけて、二人とは視線も合わさぬまま二階の自室に閉じこもった。


 窓辺に置いたベッドに横になり天井を這いずるジュナの木をぼうっと見つめた。


 ジュナの木は生命力が豊かで、そこが家であろうがレンガが積んであろうが構わず突き破る。初めに部屋に這った時は父が切ってくれたけれどここ数年はもうそのままにしてあった。



――行って彼女の髪の毛を抜いてくるの。そうすれば真実が見えてくるから。


「冗談だろ」


 自身は森の人々に嫌われているのだ。長老も例外でない。


 あの長く伸びた白髪交じりの髪の毛は見るたびにおぞましさを覚える不気味の象徴だ。それを手に入れることは大変に難しいことのように思われた。


 森の全てを取り仕切る長老は祭事の時以外ほとんど自宅から姿を見せない。だから生きているのか死んでいるのかさえ普段はよく分からないのだ。


 面会を申し出ればどうだろう、会ってはくれると思うけれど正直に髪の毛をくださいと願い出ても貰えるはずはなく、寝込みを襲わなければこっそり抜くなどということも不可能だ。

 肩についた毛をかすめ取ってくることも考えたが凡そ挙動不審で気づかれるに違いない。


 手詰まり感を感じて視線を窓の外に逸らす。

 とても良い天気であるのにそれさえも疎ましく思える。


 精霊の泉の噂は聞いたことがあるので疑っている訳では無い。けれどそれに従うのさえも随分癪だ。精霊に従いたくない正直な自分と真実を知りたい自分の間で判断が揺れ動く。


 真実、この五年間ずっと一番遠くに置いてきた言葉だった。

 彼女が示唆している真実とは父の真実だろう。

 自身が知らない父の真実があるのか。そう考えて自身の考えの不可思議さが嫌になる。自身が知っている真実の方がずっと少ないのだ。


 ひっそりと姿を消した父、あの泣きそうな笑顔。

 考えもまとまらぬうちに寝がえりを打った時、不意に父が最後に読んでくれたあの童話の内容が頭をかすめた。



『ここは私の森だ。暮らしたいのなら条件がある』



 水面に浮かぶ水草のように物語が浮上してくる。止めた言葉の先の物語は一体どう続くのだろうか。


「馬鹿らしい」


 呆れたように呟くけれど、本当は微塵も思っていなかった。


 何かが引っかかる時にはほとんど言葉で説明出来ない理由がある。論理的思考を好むけれど、自身の持つある種の勘だけは固く信じていた。その勘が告げている。

 あの時あれを読んだのには何かの理由があるのだ。


 暫く考えておもむろに起きあがると、静かに父の書斎へと足を向けた。


 夕日の差し込む書斎は本の匂いがしていた。立ち入るのは随分久しぶりのこと。長年使われることのなかった本棚はうっすらホコリ被り、父のいなくなった当時のまま。

 本好きのセラだけれど意図的に父の残した本には触れなかった。ページを捲るたびに父がどんどん浮き出てきて、優しい笑顔と言葉が溢れもうまともに読めなくなるからだ。


 小さい頃はそれはそれはたくさんある様な気がしたけれど、今眺めると大した蔵書数ではないような気がした。ただどれも丹念に読み込まれているようでページの端を折って線を引き、ぼろぼろになるまで使いふるされた愛された本たちだった。


「無いな」


 セラはなぞるように本棚にある全ての本の背表紙に目を通したけれど、『森の秘密』という童話はなかった。自身の記憶も不確かかもしれないと諦めて部屋を後にしようとした時、「引き出しを開けて」と頭の中で声がした。あの泉の精霊の声だった。


 半信半疑で言われるまま机の引き出しを開けると奥に古ぼけた薄い紙の束が覗いた。表紙には手書きの文字。父の文字だ。『森の秘密』とある。


「父さんが書いたものだったのか」


 とても懐かしくなり記憶を確かめるようにそっとページを捲った。



ふかーいふかーい森のおくに魂の宿った樹があります

その大樹は森の生き物たちを長い間ずっとずっと見守って生きてきました

あるとき大樹の森に国を追われた人間たちがやってきました

一緒に住みたいという人間たちに大樹はこう言いました

ここは私の森だ

暮らしたいのなら条件がある

年に一度私に感謝を示しなさい

私にお供えをしなさい

森に暮らせることを感謝しなさい



「お供え?」


 セラは眉をひそめて物語の続きを追った。



人間の長老は大樹に語りかけます

何人がいいのです


大樹は囁きます

たったひとりでいいのです

たったひとりでいいのです



 体が凍りつき、心が総毛立った。息が出来ぬほどの衝撃。目でもう一度その一行をなぞった。


『たったひとりでいいのです』


 同時に浮かぶ父の顔。一文と父が直結してしまう。ジワリと目に涙が溢れ、醜く、おぞましい物を読んでしまったとひどく後悔する。そっと固く目を閉じて心が静まるのを待つ。けれども待てば待つほど心はざわめき、指先にまで震えが届く。気づけば呼吸が速くなり嗚咽を漏らしそうなくらい喉が熱くなった。


 堪え切れなかった涙が紙面を濡らした。

 読むべきではなかった、探すべきではなかった。後悔ばかりが増していく。


「セラ」


 階下から呼ぶ声がしてドキリとした。母が呼んでいる。夕食の時間だった。

 セラはぐっと目を閉じて戦慄きを我慢すると涙を拭き童話を自室に隠して、何事もなかった顔を作って母とトニヤの居る一階へと降りて行った。




 夕食ははっきり言って味がしなかった。何度母に真実を問おうと心を決めたか分からない。けれどもそれはできなかった。父が居なくなっても懸命に家庭の温かさを保とうと努力してきた母の全ての計らいを打ち砕いてしまうような気がしたからだ。

 黙って食べているとトニヤが心配そうな顔をした。


「セラ。嫌なことあったの」

「何でもないよ」


「でも」

「何でもない」


 つい声を張り上げてしまったことを後悔する。

 トニヤはしゅんとして俯いてしまった。セラは謝るだけの余裕がなく夕食を手短に終えると自室へとひきこもった。



『たったひとりでいいのです』



 あれは父の書いた空想なのだと思おうとしても心が真実を追う。あの時、父が自分に伝えようとしていたのはこの一文ではないのか、と。そう考えているうちにまた元の考えがやってきて、これはただの空想だと打ち消していく。


 考え込んでいるうちに自分でも訳が分からなくなり、グッと目を閉じてでも眠れるはずもなく、開けた木窓から差し込む月明かりで絵本の続きを読んだ。



エルダーマザーは言いました

私の種を飲んで永遠の生につきなさい

永遠に生きる森の一部となり、そこに生きる生き物たちを深く見守りなさい

供物としてささげられた男は問いました

私には愛する家族がいます

家族が路頭に迷わぬよう恵みを授けてくださいますか

約束しよう

そなたの家族が困らないだけの森の恵みを分け与えよう

信じていいのですか

安心しなさい

森の一部になろうともみんなお前とお前の家族のことを思っている



 物語はそこで終わっていた。読み終えたセラはたったひと言、「嘘だ」と呟いた。

 父のいなくなった後、森の住民はセラの家族に冷たかった。父がいたころは付き合いのあった住民たちも急によそよそしくなった。家族は生きていくことこそ迷いはしなかったけれど、決して楽しい日々では決してなかった。


 大人しく控えめな母とビョーキのセラとまだ物ごころがついたばかりのトニヤに親切にしてくれる者はほとんどなくて、それが森の大人に対するセラの不審を生んでいた。


 森の中にいてなお森の住民になれない悔しさ。母は愚痴ることはなかったけれど、随分心細かっただろう。人の排他的な面ばかりが目立って、そうして自身は理解者を得られぬ孤独な大人になるのだとずっと思っていた。


 森の子供は好きじゃない。でもそれ以上に大人が嫌いだ。知恵がある分余計な計らいが目立つ。たぶん大人は自身が思っているよりずっと出来ていないのだ。


 そしてセラは物語の真意に考えを巡らせる。


 森ではたしかに年に一度どこかの家の大人が居なくなるということが起きていた。公には森で動物に襲われただとか林道から道を踏み外したということで片付けられていたけれど、長老の側仕えをしていた父も真相を知っていたに違いない。

 だからこそこの絵本を書いた。我が子に真実を伝えるために。


 父の残した絵本のとおりならば消えた森の大人たちは大樹の元にいる。森の一部となり、という部分については不明な点も多いけれど答えはきっと大樹にある。


 そうするとようやく長老の髪の毛という言葉が浮上した。泉の精霊は言っていた。真実を知りたければ長老の髪の毛を泉に沈めよと。


 明日会いに行こう。お目通りを願えば嫌われていようと恐らく会ってくれる。問題は何を話すか。気難しい老婆の気を引く気のきいた話題にしなくてはならない。


 あれでもない、これでもないと否定しながらセラは夜深くまで考えた。

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