第8章  1945年 マイナス18 - 始まりの18年前 〜 4 生き抜く(2)

 4 生き抜く(2)




 友子が生まれてしばらくは、大家さんもいろいろ助けてくれた。だから大変ながらも順調と言えば順調で、こんな日々がずっと続くと思っていたのだ。ところが友一の失踪から一年ほどが経った頃、後家となっていた大家のばあさんが突然亡くなる。

 すると母屋から貸家までが売りに出され、智子はすぐにも出ていかねばならなくなった。

 それからも、様々なことが彼女の身の上に降りかかる。アパートの世話を頼んだ男が消え失せて、預けた金は一銭たりとも返ってこない。残った金もあっという間にスリにやられて、気づいた時にはスッカラカンだ。結果、すべてを失い、家もなければ頼っていい人もない。

 そんな状態でこれからどうやって生きて行こうか……。いっそ、友子と死んでしまおう、などと思いながら、智子が多摩川の土手道をトボトボ歩いていた時だった。

いきなりドンパチに巻き込まれ、ひょんなことからヤクザの死に際に立ち会うことになっていた。男は持ち合わせた金を智子に預け、河原の上で一人静かに生き絶える。

 ――俺の分まで……生き抜いて、くれ……。

 最期の言葉がこれだった。

 こんな言葉を耳にして、ふと、友一の言葉が聞こえた気がした。

 ――だから君には、これからもずっと生き抜いて、俺の分までちゃんと、日本の未来を見届けてほしいんだ。

 俺の分まで……。そんな声が蘇った途端、智子の中で何かが大きく変化した。

 ――何もわからないまま死ぬなんて、冗談じゃないわ!

 次々と、そんな思いが溢れ出て、

 ――何をしたって、生き抜いてやる!

 地面に置かれた傘を手にして、もう一度男の亡骸に頭を下げた。

 ――トコトンお金を稼ぎまくって、友子と一緒に幸せになるんだ!

 力強くそう思い、智子は赤ん坊と一緒に土手に向かって歩き出した。

 きっと、この川は今度の台風で大荒れになる。

 男の身体は海まで流れていくか? 途中どこかで浮かび上がって発見されるか? 

 どちらにしてもその頃には、ほっそりして優しげな顔は変わり果てているだろう。そんなことを智子は思って、名井という男と出会えたことに心の底から感謝した。

 ――わたしはあなたの分まで、きっとこの時代で生き抜いてみせます。

 そう誓って、智子はその数日後、以前から知っていた孤児院に向かった。日の出とともに、友子を施設の玄関先に寝かせ、あとは逃げるようにただただ走った。

 とにかく身軽になって金を稼ぐ。金が貯まれば友子とだって暮らせるし、そのためにはなりふり構っていられない。そう考えて、智子はその夜から街に立った。


 そうして月日は流れていくが、〝あの記憶〟のことだけはずっとわからないままだった。

 ところがそれから十数年経って、突然すべてを知ることになる。

 なぜ、昭和二十年という時代に自分はいたか?

 そんな事実を思い出す代わりに、智子はあまりに大切なものを失った。

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