第5章  1973年 プラス10 - 始まりから10年後 〜 4 告白

 4 告白

 



 まさしく終戦直後、岩倉節子は未婚のまま妊娠し、そして出産。

 身寄りのない彼女は乳飲み子を抱えて奮闘するが、あの時代、女性が一人で生きるのだって大変だ。ある日、節子はとうとう我が子を手放す決意をする。ろくに食べていないせいか乳もだんだん出なくなって、このままでは先に赤ん坊が死んでしまうと考えたからだ。

 誕生日と名前だけを布切れに書いて、夜も明けきらぬうちに、養護施設の玄関前に赤ん坊と一緒に置いてくる。

 それから今日に至るまで、彼女は一度たりとも我が子と会っていなかった。

 それでも最初の頃は、いつか迎えに行くんだと、子供のために日々必死に働いた。

「それから三年ほどして、なんとか食べていけるようにはなったんです。だから子供を引き取ろうと施設を訪ねました。だけどもうその時は、すでに養子に出された後だったんです。それでもわたしは、どうしてもあの子を諦められなかった……」

 絶対に会おうとしたりしない。遠くからその家を眺めるだけだからと拝み倒して、やっと養子に出された家の住所を聞き出した。

「裕福な家庭だとは聞いていたんです。でも、あそこまでとは思わなかったわ。本当に大きなお家に広いお庭があって、わたしが行った時、ちょうどご家族全員がお庭に出ていてね、わたしの子供が、木でできたギッタンバッコンに乗ってたの」

 そこでうつむいていた顔を急に上げ、剛志の顔をジッと見つめる。

「ギッタンバッコンってわかります? 今ならみんな、シーソーって言うんでしょうけど、まあそれをね、おじいちゃんおばあちゃん、そして若いご夫婦みんなが嬉しそうに眺めてるの。あの子のためにね、あんな大きな遊具を買ってくれる。着せられているお洋服もね、わたしなんかじゃ、きっと買ってあげられないなって思ったわ。正直……言うとね、最初は、なんとしてでも連れて帰ろうって思ってたんです。でも、このままの方が、きっとあの子のためになるなって、心の底から思えちゃって。だからそのまま……逃げるようにその場を離れました……」

 ここでようやくひと息ついて、節子はぬるくなったコーヒーをひと口啜った。

 きっとその頃の記憶が蘇り、辛い気持ちを必死に堪えていたのだろう。

 しばらく深い呼吸を繰り返し、そのたびに唇が怯えるように小さく震えた。

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