第4章  1963年 - すべての始まり 〜 8 智子の両親(3)

 8 智子の両親(3)

 



 ――おじさん、どうして……?

 まるで別人になっていた。血色のよかった顔は浅黒く、シャツから覗く腕は骨と皮だけになっている。男は智子の父親で、桐島勇蔵という名の弁護士だった。ただきっと、もう弁護士の仕事はしていない。現在の彼を目にすれば、誰もがきっとそう思うだろう。

 確か正一と同い年のはずなのだ。なのに見た目が一気に年老いて、老人と言ってもいいように映る。そんな彼が岩の上で立ち上がり、剛志に向かって大声をあげた。

「おい、おまえ! おまえもどこかの雑誌記者か!?」

 恐ろしい形相でそう言うと、あっという間にすぐそばまでやってきて、剛志の胸ぐらを力任せに両手でつかむ。それからさらに顔を突き出し、彼は次から次へとまくしたてた。

「おい! 何が聞きたい!? うちの娘が凌辱されているシーンを夢に見るかって聞きたいか? それともあれか? 殺されちまったところを、想像することがあるかって聞きたいのか? え? いったい何が聞きたい! なんでも答えてやるから言ってみろ!」

 そこまでは、まさに鬼の形相だった。

 ところが徐々に力みが抜けて、深い悲しみだけが滲んで残る。

「その代わり、その代わりにだ! 俺が話したことは絶対ぜんぶ記事にしろ! もし、適当なことを書いてみろ? 俺はおまえを許さない! どこまでも捜し出して、二度と嘘の記事が書けないようにしてやるぞ。だから書け。書いていいから、警察は何をしているって、何をやっているんだと書いてくれ。たった小娘一人捜し出せないで、何が警察だって……頼む! 頼むから……そう書いてくれ、頼む……」

 そこまでが、きっと限界だったのだ。急に黙ったかと思えば、彼はいきなりしゃがみ込んで苦しそうに咳き込んだ。

〝凌辱されているシーンを、夢に見ますか?〟

〝殺されたところを、想像したりしますか?〟

 きっとそんな問いかけは、実際にあったことなのだろう。

 剛志はこれまで、一切考えてもみなかったのだ。

 確かに、智子は生きていた。しかしそんな事実を知らなければ、彼女と近しい人々の苦しみは解消されずにずっと続く。剛志が児玉亭で飲んでいる時間も、ミニスカートだなんだと動き回っている時だって、智子の母親は心晴れないままでいたはずだ。

 ――俺はどうして、あの家を訪ねてみようと、これまで一度も思わなかったのか?

 父親でさえこうなっている。ならば智子の母親は、今頃いったいどうしているか?

 無性にそんなことを知りたくなって、

「ぜひ、お話をお聞かせてください。できる限りのことは、やらせていただきますから」

 気がつけば、そんな言葉を口にしていた。そうして彼の後ろにそっと立ち、剛志はその背中に優しく手を置いたのだった。

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