第3章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 4 十六歳の少女(2)

 4 十六歳の少女(2)

 



 それから近所の本屋で時間を潰し、三十分ほどしてからブティックに戻る。すると智子が新しい服に着替えて、ちょうど鏡の前に立っているところだ。

 さすがに、十六歳にはちょっと大人っぽい感じはする。それでもラベンダーピンクのセーターに真っ白なコートは、十分智子に似合って見えた。それからニットの手袋と同系色のベージュのスカート、その下には、いかにも学生らしいペニーローファーを履いている。

 やがて後ろから見られていると気づき、智子が慌てて振り返る。そして剛志を見るなり何事かを言いかけるが、それを制するように剛志が先に口を開いた。

「いいじゃない、よく似合ってるよ」

「でもこれって、いくらなんでも高すぎます。このコートなんて……」

 きっと途中で、傍に立っている藤本早苗を気にしたのだろう。そこで息を吸い込んでから、智子はそのまま下を向いた。

 もともと智子の家は裕福で、普段から剛志とは段違いにいい服装を身につけていた。

 それでも二十年という歳月は、智子の想像を超えて貨幣価値を変えている。だからコートの値札に目をやって、彼女もたいそう驚いたに違いない。

 そしてちょうどそんな時、さらなるものが目についた。

「それ、どうしたの?」

 思わず声が出て、剛志の視線が智子の右手に向けられる。

 そこに、風呂敷包みがあったのだ。着物にあるような和柄のもので、最近では滅多に目にすることはなくなった。

 しかしそんなこと智子が知るはずもなく、だからなんとも素直な返事が返る。

「あ、これに、さっき着ていた服を包みました」

 智子はすぐにそう言って、提げていた包みをほんの少しだけ持ち上げた。

「そうなんだ、風呂敷なんて、よく持ってたね」

「伊藤さんに届ける、ちらし寿司を包んでいたんです。だけど途中で落としちゃって。それで風呂敷だけ、スカートのポケットに入れてあったのを思い出したから……」

 そうして彼女は、脱いだ洋服をささっと畳んで、風呂敷に〝四つ結び〟で包み込んだ。

 思えばあの頃、風呂敷ってのはまさしく日々の生活に溶け込んでたと思う。どこであろうと何か買って、手提げや袋がもらえるようになったのはいつ頃からか?

 あの時代、何かをちょこっと持っていく時、誰もが普通にこんな風呂敷を使っていた。

 ――正真正銘、あの頃のまんまの智子なんだ。

 この瞬間、剛志は改めてそんな事実に感じ入った。

 きっと今どきの十六歳であれば、まずこんなふうには包めない。万に一つできたとしても、この場で包もうなどとは思わないだろう。

 そして実際、その手際の良さに別れ際、藤本早苗が剛志の耳元で囁いたのだ。

「親戚のお嬢さんって、十六歳なんですよね? 何だか、こっちが照れちゃうくらいに礼儀正しくて。普段からやり慣れているんでしょうけど、洋服を畳んで風呂敷に包むところなんて、あまりに手慣れててびっくりしちゃいました」

 そう言った後、彼女は智子へ向き直り、

「智子さん、またぜひ来てくださいね。支払いはぜんぶこのおじさんに付けときますから、いつでも、大船に乗った気でね……」

 そう続けて、満面の笑みを浮かべたのだった。

 それから藤本早苗に礼を言い、剛志は見違えた智子と一緒に店を出た。辺りはずいぶん暗くなっていて、彼は時刻を知ろうと腕時計のライトを点ける。

 すると偶然見ていたのだろう、智子がいきなり大声をあげ、

「え! それって、夜になると明かりが点くんですか?」

 驚いて立ち止まった剛志の横で、目を丸くして腕時計を覗き込んできた。そこで智子の顔の前まで持っていき、すでに消えてしまった照明を再び点灯させてみる。

「ほら、ここを押すとね、時計の中のライトが点くんだ。これ、ぜんぜん最新式じゃないんだけど、いろんな機能が付いててね、けっこう便利な腕時計なんだよ」

 八年前、国内大手から発売された世界初のストップウォッチ付きデジタル時計。西暦からカレンダーまで確認でき、発売当時としてはかなり画期的なものだった。

 そんなデジタル時計のライトが点いて、暗い夜道にくっきり時刻が浮かび上がった。

「暗い中でも、しっかり時間がわかるんですね……。へえ、針じゃなくて、数字がそのまま出るんだ、すごい……」

 デジタル表示であることはもちろん、それ以上に、塗料によって針がぼんやり光るくらいしか知らない彼女は、その明るさにもかなりびっくりしたようだった。

「これって、日付も曜日もわかるんですね。すごいなあ……」

 こんな智子の食い付きに、剛志はどんどん嬉しくなった。

「ちょっと、してみるかい?」

 そう言いながら、さっさと時計を外して智子の手首に持っていく。

「やっぱり緩いね、でもまあ、抜けちゃうほどではないからさ、もし良かったら、未来訪問記念にあなたにあげるよ。ちょうど僕もそろそろ、アナログ式の時計に戻ろうかなって思い始めていたからさ……」

「え、こんな高そうなもの頂けません。このお洋服だって、ものすごく高いんですよ」

「大丈夫、大丈夫……あなたのいた時代とは、お金の価値が違ってるんだ。だからきっと、あなたが考えているほど、この時計だって高いもんじゃないんだよ」

 そう返したものの、五万円以上する国産時計は今だってそこそこお高い方だ。

 それでもそんな剛志の言葉に、智子も少しだけホッとしたのか、

「じゃ、ここにいる間だけ、お借りしてていいですか?」

 この時代で初めて嬉しそうに笑って、

「あとで、使い方を教えてください」なんてことまで言ってきた。

 もともと、智子は物怖じしない性格だ。そしてブティックあたりから、少しは信用してもいいか、くらいに思い始めているのだろう。ずっと居座っていたぎこちなさが、ここにきてかなり薄れてきたようだ。

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