第2章 願いと迷い


 一週間後の朝。


 湊はゆっくりと目を開けた。

 ホリゾンブルーの天井に白いカーテン。いつも通りの朝。

 体を起こしていくと湊は体がすごく重いことに気づいた。


 ……そっか。今日は診察の日だ。

 研究所に、行かないと。


 足を床に下ろした時、ガクンと湊の体が沈んだ。


 ゴン!


「うっ……」


 嫌な音が部屋に響いた。


 ……動けない。起き上がれない。重い。


 倒れたまま湊は必死に考えた。


 どうしよう? 研究所に行かないと、診察が。


 部屋の主の異常を察知したのか、万が一の時のために備わっていたサイレンが鳴った。そのサイレンは研究所に伝わるはずだ。


 ……よかった。

 これで父さんたちが助けに来てくれる。


 湊はそのまま意識を手放した。




 ◆◆◆



 「……な……がお……て……」

「……あん……ろ……」


 何? 誰?


「た……の……ふぐ……だ……」


 父さん、と……母さん?

 何て言ってるの? 何を話してるの?


「そ……よ……たわ……ら……」


 ぼくもニ人と話したい。


 湊はゆっくりと目を開けた。

 真っ白な天井と絶えず聞こえてくる機械音。

 体を起こして見回せば、そこは研究所の診察室だった。


 ……よかった。気づいてもらえたんだ。


 体もさっきのことが嘘みたいに軽い。栄一郎が診察をしてくれたのだろう。でも今は誰もいない。

 湊は窓際に行きカーテンをめくった。

 夜だ。ほぼ一日眠ってしまっていたことになる。診察室を出ても人の姿はなかった。


 どうして誰もいないのだろう?


 時計を見ると八時だった。この時間はいつもどんなに家中を探しても誰もいないのだ。それは朝と昼間にもあって、毎回湊は不思議だった。

 自室に戻ろうかと考えていると、机の上に無造作に広げられた資料が目に入った。

 どうやらロボットのデザイン画みたいだ。いろいろなロボットのイラストが描かれていて、一番上にはあの馬型ロボットの設計図らしきものが書かれている。


「地図をプログラムして目的地まで人を背に乗せて移動できるようにする。人の言葉を話す……これ、この間のロボットだよね。こんな機能だったんだ」


 あの馬が人の言葉を話す……


「うーん、なかなか不気味だなぁ」


 他のも見てみると、知らないものもたくさんあったけれど湊が見知ったものも混ざっていた。


「わあ、懐かしい」


 これは目が覚めてまだそんなに日が経っていなかった頃、見せてもらった犬型のロボットだ。こっちの人型ロボットは指示した文字をいろいろな書体で書いてくれる機能を持っていて、父さんと遊んだっけ。


 ……このロボットたちは、父さんが今まで作ってきたものなのかな?


 人の感情を読み取れるロボット。何でも臨機応変に対応できるサポートロボット。

 どれも興味深くて、湊は口許に笑みを浮かべ目を細めた。

 読むのに夢中になっていると、最後の一枚が湊の目に止まった。


「っ……!」


 怖い。


 湊は思わず資料を机に戻した。

 けれどどうしても気になってもう一度手に取ってしまう。


「……これ、は……人型だよね?」


 金属で作られた顔に、目のところに埋め込まれたカメラ。幼い子供の人型ロボットだ。

 その無表情な顔に、湊はブルリと身震いした。


「無表情だと、こんなに怖いんだ……」


 人型のロボットは他にも作っていたのに、このロボットだけが異質なデサインになっている。一番下にあったから、初期の設計図なのだろう。

 詳細の欄には、人の言葉や感情を再現し思考を自立させると書かれていた。

 そういえば、と湊は数枚資料を読み直す。

 思考を自立させる。その1文は犬型のでも他のものでも書かれていた。


「へえ……やっぱり、父さんはすごいんだな……」


 人間のように考えることのできるロボット。それがあったら世界はすごく変わってしまうだろう。

 最後の資料ではまだ外見に問題があったけど、栄一郎はもう本物そっくりにロボットを作れている。そうしたら人間なんていつかは必要じゃなくなるのかもしれない。


 ……すごいな。いつかは、ぼくも……


 湊はロボットが好きだった。

 昔はどうだったかはわからないけれど、診察のために研究所に通ううち、いつの間にか栄一郎の作ったロボットと触れ合うのがすごく楽しくなっていた。

 この研究所は玲が継ぐことになっているけれど、研究員にはなれるかもしれないと湊は密かに考えている。


 資料を元に戻して、湊は入口付近に立つ馬型ロボットに近づいた。

 一週間前と違って本物の馬らしく塗装されている。

 そっと触ってみると、少し固いけれどたてがみはフサフサしていた。


「……すごいなぁ」

「気に入ったのか? 湊」


 湊が振り返るといつのまにか戻ってきていたらしい栄一郎が微笑んでいた。


「あ……はい。本物みたいになりましたね」

「嬉しいなー。再現するのには苦労したからな」


 栄一郎は真剣な表情になって湊の頭にそっと手を置く。


「それより湊、もう大丈夫か?」


 突然倒れたから驚いたんだぞと心配する栄一郎に、湊は微笑んだ。


「はい。もう大丈夫です。ありがとうございます、父さん」

「疲れがたまってたのかもしれないな。何か変わったことでもあったのか?」


 変わったこと……


 湊の脳裏に一瞬地下室で見た光景が浮かんだ。

 あれから気になってはいるけれど、それが疲れに繋がるとは思えない。


「特にはないです」

「そうか、少しでもツラかったらすぐに言うんだぞ。それと、念のため明日もここに来てくれ」

「わかりました」


 まだ仕事が残っていると言う栄一郎と別れて、湊は自室へと向かった。

 体が軽くなったことで何だか気分も軽く感じる。

 歩いていると前方で玲と朔が話しているのが見えた。

 湊はパッと顔を輝かせる。


「あ、兄さん、朔。こんばんは」


 声を掛けると、振り返った玲はぎこちなく微笑んだ。


「ああ、体調は大丈夫?」

「はい。診察も終わったので今は全然です」

「そうか、よかったね」

「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」


 ペコッと軽く頭を下げた後。湊は藍子に頼まれたことを思い出し、無言のままその場を離れようとしている朔に声をかけた。


「そうだ、朔。母さんが……」

「……」


 湊が話しかけても朔は止まらなかった。


 ……これじゃあ母さんの言葉を伝えられない。


 そう思った湊は思いきって追いかけ、朔の腕を掴んだ。


「聞いてください、朔……」

「っ……!」

「えっ」


 勢いよく振り払われ、そこまで拒絶されるとは思っていなかった湊は驚いて朔を見返した。


「触んなよ!」


 朔が荒々しく声を上げる。

 はっきりと怒りの色を滲ませて。

 そんな朔の様子に湊は思わずビクッと肩を揺らした。


「さ、朔……」

「黙れ!」

「朔」


 湊を忌々しげに睨み付ける朔に玲が落ち着かせるようにそっと声をかける。


「朔、兄にそんな態度は……」

「兄?」


 ハッと吐き捨てるように朔は笑った。

 そして湊を見て━━


「コイツなんか、兄でも何でもねぇよ」


 そう言って去ってしまった。

 まったく、とため息をついた玲が、立ち尽くす湊を気遣わしげに覗き込む。


「大丈夫?」

「……はい」


 そう答えた湊だけれど、なかなか顔を上げられなかった。

 それを見透かした玲が湊の肩にそっと手を置く。


「気にしなくていいよ」


 反抗期なんだよと明るく言ってから、玲は朔が消えた方に視線を送った。


「何か用事だったの?」

「あ……その、母さんが朔に来てほしいって……」

「ん、じゃあ僕から伝えておくよ」


 そうするしかないだろう。


 湊は少し落ち込みながらもお願いしますと玲に任せることにした。


「あの、兄さん。朔は……」

「一つだけ言っておくと」


 湊に被せるようにして玲が口を開く。

 彼らしくない行動に思わず湊が玲を見上げると、その顔はいつの間にか真剣なものに変わっていて。


「……朔とは、あまり関わらない方がいい」

「え……」


 どういうこと?


 湊は聞き返すが、玲はじゃあおやすみと朔の後を追いかけていってしまった。

 一人残された湊は、自室に戻っても朔と玲の言葉が頭から離れなかった。


「……兄でも何でもない、か……」


 記憶を失ってしまったから? それとももともと嫌いだったの? 昔は仲が良かったと聞いていたけれど、心の中でずっと嫌っていたの? 知らないうちに僕が何かしてしまったのだろうか?



『朔とは関わらない方がいい』



 ……兄さんは、どうしてあんなことを言ったの?


 わからなくなって湊はベッドに寝転がった。


 ……ぼくはただ、仲良くしたいだけなのに。


 湊は悲しかった。




 ◆◆◆




 一週間後。診察の日。


 湊が研究所に足を踏み入れた時、診察室の方で栄一郎と玲が話をしている最中だった。

 珍しく険悪な雰囲気だったので声をかけることもできず、湊は馬型ロボットの傍で待つことにする。

 ふわふわになったたてがみを触っていると、ウィンと微かな音を立てて馬が顔を上げた。


〈湊、さん。おはようございます〉

「わっ、もう完成してる」


 馬の瞳は間違いなく湊を見ていて、湊だと認識できている。

 一週間前はまだ話せなかったのに。


「おはようございます」


 湊は試しに挨拶を返してみる。


〈おはようございます〉


 だんだん楽しくなってきて、湊はいろいろな挨拶を試してみる。


「こんにちは」

〈こんにちは〉

「こんばんは」

〈こんばんは。……湊、さん。現在の時刻は八時二十分、です。朝です〉


 ついに突っ込まれてしまい、可笑しくなって湊は笑った。


「そうですね、失礼しました。お馬さんは元気ですか?」

〈はい、大丈夫です〉


 あれ、大丈夫?


 湊はきょとんと首をかしげた。

 まだ不完全なのかな?


「待てっ、玲!」


 突然栄一郎の厳しい声が聞こえ、診察室から玲が飛び出してきた。

 湊には目もくれずそのまま研究所を出ていってしまう。


 ……父さんと兄さん、喧嘩でもしたのかな?


「はあ、全く」


 診察室から出てきた栄一郎がやれやれと額に手を当てたところで、入口付近に立つ湊に気づいた。


「み、湊? いたのか」

「はい。でも話し中みたいだったので」


 お馬さんとここで待っていましたと答えると、そうかと栄一郎は安心したように笑った。

 喧嘩しているところなんて見られたくなかったのだろう。

 それからすぐに診察室に入り湊の診察が始まった。

 終わって湊が目を開けると栄一郎はそういえば、と湊を振り返った。


「湊。あの馬乗ってみるか?」

「いいんですか」

「ああ。昨日ようやく正常に乗れるようになったぞ」

「乗りたいです」


 もう夕方だったけれど、庭に出て湊は馬に乗せてもらった。


「気をつけて乗るんだぞ」

「はい。……わあっ、高いですね」


 乗るのに少し手間取ったけれど、湊は嬉しそうに声を上げた。


「そりゃあ馬だからな」

〈楽しいですか?〉

「もちろんです」


 嬉しいですと馬が鳴く。

 ……やっぱり少し不気味だ。


 庭を歩くだけだけれど、走ると速くて驚くほど気持ちいい。

 湊は初めての馬に興奮していた。


「父さんは本物に乗ったことがあるんですか?」

「あるぞ。昔にな」


 羨ましいな。ぼくも本物に乗ったことあるのかな?


 湊はたてがみを撫でた。

 この子もすごいけれど、やっぱり本物とは違うんだろうな。


 ……ぼくも、いつか本物に乗ってみたい。


「湊、そろそろ終わりにしよう」

「あっ、はい」


 気づけば三十分も乗っていた。

 研究所へと戻り栄一郎が馬を元の位置に置く。


「父さん」

「ん? なんだ?」


 呼べば栄一郎は振り返って湊を見た。


「ぼくも、研究手伝いたいです。兄さんみたいに」


 ここでロボットを生み出してみたい。


 湊がそう言うと栄一郎は一瞬黙り、それから困ったように笑った。


「嬉しいが……お前はまだ高校生だぞ」

「兄さんも高校生ですよ」

「玲は今年で卒業するだろう」


 ……ぼくは学校行ってないんだから、そんなこと関係ないと思うけど。


「湊、研究所のことは玲や朔に任せとけ」


 朔……


 湊が顔を曇らせると、栄一郎が気づきどうした? と尋ねる。


「あ……朔に、昨日言われてしまって」



『コイツなんか、兄でも何でもねぇよ』



 あそこまで嫌われているなんて思っていなかった。


「……朔がそんなことを言ったのか」

「ぼく、嫌われてしまっているみたいで」


 湊が笑ってごまかすと、栄一郎は今まで見たことのないくらい険しい表情をした。


「……父さん?」

「湊」


 栄一郎は湊の肩に置いた手に力を込めた。


「朔には関わるな」

「え……」

「いいな」


 念を押され、湊は思わず頷く。


 ……兄さんもだった。どうして朔とは関わるなって言うんだろう。


 安心したように手を放す栄一郎に、湊は不思議に思った。





 ◆◆◆





 「湊です、母さん」

「あら、湊?」


 ドアが開き、驚いた様子の藍子が顔を出す。


「今日は早いのね」

「何もすることが無くて……」


 ダメでしたか? と湊が聞くと藍子は全然と笑った。


「来てくれて嬉しいわ。さっ、入って」

「はい」


 湊が部屋に足を踏み入れると、テーブルの上に液体の入った入れ物が一つ置かれていた。


「母さん、これは何ですか?」

「あっ!」


 慌てて片付ける藍子に、湊は首をかしげた。


「新しい実験ですか?」

「こ、これは……」


 藍子はおろおろと目を泳がせた。


「そ、そうよ。実験中なの」


 片付けるのを忘れてたわと藍子が部屋の隅に片付けた。


 ……忙しかったのかもしれない。悪いことしちゃったかな。


 湊は少し落ち込む。


 ……母さんも、ぼくのこと嫌いになったかな。


「湊?」


 湊が顔を上げると、藍子は心配そうに眉を下げた。


「どうかしたの?」

「……ぼくは……」


 視線を床に落として、湊は小さな声で言った。


「……ぼくは、どうすればいいんでしょうか」

「……湊?」


 朔があんなにも自分を嫌う理由。

 朔と関わるなと言う玲と栄一郎。


「……ぼくは、何か嫌われるようなことをしてしまったんでしょうか」


 わからない。思い出せない。


 湊はぎゅっと手を握った。


 仲良くしたい。朔とも普通に会話くらいできるようになりたい。湊と朔と玲の三人で話してみたい。


 昔は普通だったらしいことを、湊は一度もしたことがなかった。目覚めた時、湊の目の前にいたのは栄一郎と藍子で。玲と朔の姿はなかった。

 朔は初めから避けていたし、偶然会うこともなかった玲は最近になって話すようになった。


 朔も玲も、湊のことが嫌いなのではないか。

 目覚めてから1度も会いに来てくれなかったということは、そういうことなんじゃないか。


 玲だって、優しくしてくれるけれど朔を追いかけていってしまった。湊より朔を選んだ。


 ……どうすればぼくは仲良くできるの?


「湊」


 ぎゅっと藍子に抱き締められ、湊は顔を上げた。


「あなたは何も悪いことなどしていないわ」


 力を少し緩めて藍子が微笑む。


「湊はそのままでいいのよ。湊は私の大切な息子なのだから。大好きよ」

「……母、さん」


 温かい。


 そう感じて、湊は力を抜いた。


 ……大丈夫。ぼくの居場所はある。


 想ってくれる人がいる。

 それがこんなにも嬉しいなんて。


 藍子の背に腕を回して、無意識に湊は微笑んでいた。





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