第50話◇容疑者、リギル




 その日の朝、ディルはいつも通り過ごした。


 アレテーに起こされ、寝癖はそのままに朝食を摂り、彼女が用意したシワひとつない服に袖を通し、教官なので生徒である彼女より早く家を出る。

 欠伸をかみ殺しながら、朝の街を往く。


「あっ、ディル兄さんっ」


 職場へ向かう途中、羊の亜人の少女ムフと出くわす。

 もこもこの髪をした、『白羊亭』の看板娘兼、リギル・アドベンチャースクールの受付嬢。


 ディルとリギルにとっては、この街に来てからの十年間一緒に育った妹分。

 彼女はディルを視界に収めると、控えめに微笑みながらパタパタと早足で近づいてくる。


「……おう、ムフ。今日出勤だったか」


「うん、おはよう」


 ディルは一瞬、眠たげな表情を苦しげに歪めた。

 これから起こることを、この少女には見せたくない、と思ったのだ。


 しかし、敵――リギルに冤罪を被せた者――の手の者がディルに監視をつけているかもしれない。


 今の所そういった気配はないが、ここはダンジョン都市プルガトリウム。

 熟練の探索者であるディルの感覚を欺くようなアイテムだって存在し得る。


 ディルとパオラが協力して捜査にあたるのは、公式にはリギル逮捕後となっている。

 だからそれまでは、何も知らない普段の自分を演じる必要がある。


 せっかくパオラが隠れて自分に会いに来たのだ、その努力を無駄にはしない。

 ディルが何かを知ってる素振りを見せ、そのことで巡り巡って元仲間のパオラが捜査情報を部外者に漏らしたのではないかと疑われるなど最悪。


 敵がどれだけ優秀かわからない以上、警戒し過ぎということはないのだ。


「ごめんね、ディル兄さん」


「ん? どうした?」


 並んで歩くムフを見ると、申し訳なさそうに縮こまっている。


「パルちゃんのこと……」


「パルちゃん? あぁ、あのピンクか」


 サキュバス娘のパルセーノス。

 パルちゃんというのは愛称だろう。


「その、わたしがディル兄さんに頼んだから……。パルちゃんは良い子だけど、ディル兄さん、困ってたら申し訳ないなって……」


 ディルは過去、ダンジョンで男二人に襲われていたパルセーノスを助けた。

 パルセーノスはそのことに深く感謝し、ディルとの再会を願っていたのだという。


 偶然にもムフと知り合ったパルセーノスは、自分を助けた探索者のことをムフに話した。

 ムフはそれでピンときて、ディルに相談してきたのだった。


 ディルの方は、話を聞いても依頼人の探し人が自分だとは思わなかったが。

 とにかく、そんなこんなでパルセーノスと再会し、彼女は今ディルの生徒になっている。


 ムフはそのことでディルに迷惑を掛けたのではないかと思っているらしい。


「お前が気にすることじゃないさ」


 ディルはムフのふわふわの髪を優しく撫でる。


「でも……」


「むしろ、生徒が増えたんだからよくやった。リギルのやつにボーナス出せって言うか」


 ディルがそこまで言うと、ムフはこぼれるように笑った。


「……ありがとう、ディル兄さん。怒ってたらどうしようって、不安だったの」


「お前のダチがやったことで、お前に怒ることはないよ」


「うん……」


 それ以降、ムフは近況や『白羊亭』での出来事などを穏やかに、楽しそうに話した。

 ディルはそれに時々相槌を打ちながら、職場への道を歩く。


 無事到着し、彼女と別れる。

 ムフは受付嬢の制服に着替えるべく更衣室に向かい、ディルは職員室だ。


 職員室に到着すると、これまたいつも通り自分の机に向かい、授業が始まる数分前まで眠ろうとした。

 だが、それを阻む者がいた。


「ねぇ」


 ディルは無視して席につき、そのまま机に突っ伏し――。


「へぇ? そうくる?」


 声に怒気が混じったので、渋々視線をそちらに向ける。


 人間でいえば童女ほどの体型をした緑髪の女性だ。

 ハーフリングという種族で、ディルの元仲間。


 緑髪は左右で編まれ、肩から前側に垂らされている。

 探索装備は魔女ふうの彼女だが、教官の職務中は白のブラウスにタイトなスカートという格好。

 ディルは『女教師コス』と呼んでいるが、口にする度に彼女の機嫌が悪くなる。


 『一心同体のアニマ』である。


「なんだよ。俺の睡眠時間を奪う価値がある用件なんだろうな」


「まず職場で寝ないでほしいんだけど」


「ふああ」


 これ見よがしに欠伸するディルに、アニマは露骨に溜息を漏らす。


「んで?」


 ディルが言うと、アニマは視線を下に向けながら、小さな声で言う。


「昨日、探索騎士の屯所に行ったんでしょ」


「それがどうしたよ」


「……パオラには、逢えた?」


 そういえば、とディルは思い出す。

 自分はかつて勝手にパーティーを抜けた件で、パオラに避けられていたのだった。


 リギル逮捕の騒ぎですっかり忘れていた。

 どうやらパオラはディルに怒っているようなのだが、昨日はその件が話題に上がることもなかった。

 それどころではない、と彼女も分かっていたのだろう。


「いや、あいつの部下が出てきた」


「そう……まだ避けられてるんだ」


「文句があんなら、面と向かって言えって話だよな」


「ディル」


「なんだよ」


「五人目は、パオラだよ」


 アニマの視線は真剣だ。

 ディルが再び深淵を目指すと言った時、リギルもアニマもレオナも、一瞬も迷うことなく手を貸すと意思表示をした。


 だが、かつて最強の名をほしいままにし、全探索者の中でも最も多くの成果を上げ、その絶大なる功績から国家より第八階層探索免許を交付された、リギルパーティーは、五人編成だった。


 パオラが、まだ戻ってきていない。

 アニマはそれをなんとかするべきだ、と言っているのだ。


「分かってる」


 だからディルも、その時ばかりは真摯な眼差しで答える。


「ん。ならいい」


 アニマは満足したのか、自分の席に戻っていく。

 その、途中の出来事だった。


「ま、待ってください! パオラさん!? う、嘘ですよね?」


 職員室のすぐ外で、ムフの悲痛な声がする。

 そして扉が開かれ、パオラと数名の探索騎士がずかずかと入ってくる。


「探索騎士だ。所長のリギル氏は何処いずこか」


 探索騎士団長のコートを羽織るダークエルフには、表情がない。


「は? パオラ、何やってんのさ」


 アニマは本気で何が起こっているかわからないようで、戸惑っている。

 探索騎士に続いて職員室に飛び込んできたムフは、涙目でディルに駆け寄ってくる。


「ディル兄さんっ。ぱ、パオラさんが、リギル兄さんを、つ、捕まえるって言うの。う、嘘だよね……? リギル兄さんが悪いことなんて、する筈がないもの」


 ディルは黙ってムフを抱き寄せ、頭を撫でる。

 突然の来訪者にムフの発言が加わり、職員室がざわつく。


 ――モネが居ないのは幸いだったな。あいつがいたらもっとうるさくなりそうだ。


「パオラ、ねぇ、説明してくれないかな」


 アニマの声は静かだが、相当の怒りが滲んでいるのが分かった。

 パオラは彼女を一瞥しただけで、答えることなく視線を外す。


 そのことに、アニマが「なっ」と瞠目する。

 仲間であり友人でもあるパオラに無視されるとは思わなかったようだ。


「――私なら此処だよ、パオラ団長」


 所長室から出てきた青髪の美丈夫に、探索騎士たちの視線が向く。


「旧交を温めに来た、というわけではなさそうだね」


「リギル氏、貴殿を迷宮侵入教唆・幇助の容疑で捕らえます」


 パオラの部下の一人が、手錠を手に近づく。

 リギルは泰然としているように見えるが、瞳の奥には驚きが見て取れた。


「探索騎士に与えられた権限により、現在貴殿の所持しているダンジョン由来のアイテムを押収します」


 後ろ手に手錠をかけられるリギルは、説明を求めるような視線をパオラに向ける。


 だがパオラは何も言わない。

 規定の手続きを踏み、容疑者に言うべきことを伝えるのは彼女の部下だ。


「パオラ。ねぇ、パオラってば!」


 滅多に声を荒げないアニマが、パオラの前に立って叫ぶ。

 パオラはアニマを見下ろし、冷たく言った。


「……リギル氏には、当教習所の元生徒を違法探索者とすべく活動していた容疑がかかっている。捜査のため、教官や生徒らに話を伺うこともあるだろうが、素直に従うように」


「リギルがそんなことするわけないだろ」


「それは、確固たる証拠あっての発言か? あるいは、貴嬢の感情か?」


「――――このッ」


 アニマがパオラに飛びかかろうとするのを、ディルは首根っこを掴むことで止める。


「なっ、離してよディルっ。この分からず屋、引っ叩いてやらないと気が済まない! 仲間だと信じてたのに! さっきだってっ、この、裏切り者!」


 つい先程、ディルに仲直りするよう言ったばかり。

 だというのに、パオラの側はリギルを逮捕しに来た。それも、詳しい説明もせず。

 アニマの立場からすれば、怒るのも当然といえた。


「探索騎士の団長をビンタするお前は見てみたいが、リギルと一緒に捕まるぞ」


「君はなんでそんな冷静なのさっ! リギルは幼馴染で、親友だろ!」


 パオラがディル以外の元仲間に情報を伝えなかった理由は幾つかあるだろうが、一つはこの反応だ。

 生の、リアルな反応が必要だった。

 教習所の職員や敵に通じている可能性は否定できないし、そうでなくてもどこかに監視用のアイテムを仕込んでいるかもしれない。


 元々適当な性格であるディルが大した反応を示さないのは、彼の評判を思えばむしろ普通。

 だがアニマやムフの反応に嘘が交じっては、要らぬ違和感を抱かれかねない。


 ムフの涙には胸が痛むが、その分の罪も黒幕には贖ってもらう。


「お前が仲間思いの熱いやつなのは分かったが、俺には無駄に騒ぐ元気がないんだ」


「無駄とかそういう問題じゃない!」


 そうかもしれない。

 反応としては、ムフやアニマの方が人間らしく、また正しいのだろう。


 ディルはリギルを見た。

 彼もディルを見ていた。


 ディルは言う。


「――弁護士が行くまで何も喋るな。……これ一度言ってみたかったんだよな」


 リギルは目を丸くし、それから――くすりと笑う。


「君、私の弁護士が誰かも知らないじゃないか」


 教習所の経営者ともなれば、頼りの弁護士がいるらしい。


「取り敢えず、誰か送ってやるよ」


 パオラの部下が促し、リギルが連行されていく。


「リギル兄さんっ」


「リギル、こんなの何かの間違いだ。絶対なんとかするから、心配しないで」


 ムフとアニマが言う。

 リギルはそれらに微笑みで応えると、職員室を出る前にディルを見た。


「無理はしないでくれ」


 リギルがディルを助けるのは当たり前。

 金を借りようと、住むところを提供されようと、命の危機を救われようと、そんなのは当然のことで、感謝するまでもない。


 同様に、ディルがリギルを助けるのも当たり前なのだ。


 リギルもそれを理解している。

 故にリギルは、自分を助けるために無理はしないでくれ、と言っているのだ。


 さすがは十年来の親友、お見通しというわけか。

 ならば、ディルがこう返事するのも分かっているだろう。


「わけのわかんねぇことを言うなよ」


 ――必ず助ける。


 そんな当たり前、、、、のこと、わざわざ口にしてやるものか。




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