第二章

2-1

「関……お前、最近変わったよな」


 本日のランチ(弁当)のメインである焼き鮭に舌鼓を打っていると、購買で買った焼きそばパンを無表情で頬張る大塚が不意にそう呟く。


 最近、お昼は千波さんと過ごすようになったため、こうして大塚と昼食を共にするのは実に一週間ぶりである。ちなみに、普段は弁当を食べている大塚が珍しくパンを買っていたので理由を尋ねると「うちのマネージャー、今日風邪で休みなんだよね」と、一瞬何を言っているか理解できない答えを返してきたが、ワンテンポ遅れてドス黒い何かが芽生えたのは内緒だ。


「……? あ、そういえばシャンプーは最近変えたかも。清涼メンソールって言うのかな? 頭がスースーするやつ」


 件の千波さんは昼休みに図書委員会の集まりがあるらしく、昨日のうちにごめんなさいのスタンプ(もちろん〝たぬき〟の)がLINEに届いていた。うちの高校の生徒は学年問わず強制的に委員会に所属させられるため、俺も不本意ながら文化委員会に所属しているのだが、名前の通り文化祭の時期にしか活動がなく、基本的には暇である。


「ちげーよ、そういうのじゃねえよ。そもそも男相手にそんなこと気がつくわけねーだろ。……いや、それも間接的には関係あるのか?」

「なんだよ。シャンプー以外だと特に何も変えてないぞ? 他に何が変わってるよ?」


 まるで男相手でなければいけまっせと言わんばかりのイケメン発言を華麗にスルーしつつ、俺は冷凍の唐揚げを食べる。……うん、冷凍の唐揚げも決して不味いわけではないはずなんだけど、千波さん手作りの唐揚げがあまりにも美味しすぎて相対的に不味く感じてしまうから不思議だ。ああ、昨日くれたエビチリも美味しかったな。また食べたいな。


「じゃあ無意識にやってんのか? ……髪とか身だしなみとか、先週までの関と比べると随分違うように見えるんだが」

「髪と、身だしなみ……?」


 大塚から答えを聞くも、いまいちピンとこない。


「やっぱり無意識でやってんのか……」


 そんな俺の様子を見た大塚は「これはどうも土日になんかあったっぽいな……」とぶつぶつ呟く。


「髪も身だしなみも、特に変えたつもりはないんだけど……」

「まず髪の方。先週までは健在だったハネ放題の寝癖を、今週に入ってぱたりと見かけなくなった。既に四日も経っている。もしかして、関の寝癖はもう……」

「なんだその殺人事件テイストな言い方は……」

「次に身だしなみ。先週まではよれよれだった制服のシャツが、今週になってやけにきっちりとしている」

「…………」


 ……おいおい。こいつ、俺の事どんだけ見てるんだよ。もしかしてあれか、俺のこと好きだったりするのか? 確かに大塚は半端なくイケメンだが、残念ながら俺にそんな趣味はない。もしそうなのであれば、数少ない彼の失恋記録を俺が更新することになってしまう。


「……おい、お前今なんか失礼なこと考えてるだろ? 別に俺もお前のこと見たくて見てるわけじゃないからな。席の位置関係上、授業中にどうしても視界に入ってしまうだけだからな」

「……エスパーかよ」


 時々、こいつは読心術でも習得してるんじゃないかと思うときがある。つーか、今の台詞は典型的なツンデレのそれじゃないですか。つーことはやっぱり、こいつ俺のこと――


「……殴るぞ」

「ひえっ」


 ……やっぱりエスパーじゃないか。


 確かに、大塚に指摘された二点は尤もだった。千波さんとの初デート前の念入りな髪のセット中に寝癖の直し方のコツみたいなものを掴んだため、翌日以降もそれを実践するようにして寝癖を撲滅している。シャツのよれがなくなったことについても、初デート前に姉の部屋で発見したハンディスーチーマーなる文明の利器を試しに使ってみたのがきっかけだった。服のよれとしわが見る見るうちに伸びて行くことにある種の快感を覚え、同じく翌日以降も必ず服にかけるようになっていた。アイロンをかけるより圧倒的にお手軽だしね。そのどちらも別に〝自分を変えよう〟だとか、〝周りからよく見られたい〟と意識しての行動ではない……と思う。


 そんなこんなできんぴらごぼうを食べながら大塚との即席コントを楽しんでいると、近くの席で食べていた女子がこちらに向かって話しかけてきた。


「あ、そういえば関君。さっきは宿題教えてくれてありがとうね。教えてもらった問題、あのあとの授業でちょうど先生にあてられたからすっごく助かっちゃった」


 急に話しかけられて少しびっくりしたものの、三限目の休み時間に数学の宿題の解き方について彼女に教えた事を思い出し、とりあえず話を合わせる。


「……いえいえ、お安いご用ってやつですよ。ちゃんと説明できたか不安だったけど」

「んーん、すっごくわかりやすかった! 関くんって数学得意だったんだね。また今度教えてよ」

「なになに? ユリ、関君に数学教えてもらったの? いいなー、うちも数学苦手だから今度一緒に教えてよー」


 彼女と一緒に弁当を食べていたもう一人の女子も会話に加わる。


「あはは……ちゃんと教えられるかわからないけど、俺でよければいくらでも」

「やった! これで夏休み明けの期末は赤点回避できそう」

「よろしくね、関くん」

「責任重大だなあ……まぁ、頑張るよ」


 話が少し膨らんでしまったが、とりあえずあははと笑顔を作ってその場を流す。うちの高校は二学期制を採用しているため、期末試験が夏休み明けの九月に行われる。夏休み前に試験がないのは素晴らしいが、その分試験範囲が広くなるため、良いこと尽くしというわけでもない。


 今度の期末試験前は色々と大変そうだなあと考えていると、そんな様子を見ていた大塚がパックの牛乳を一口飲んでから口を開く。


「そういうところだよ」

「……どういうところだよ」


 ミニトマトを一つ口に投げ込む。


「髪と身だしなみに気を遣うようになって、清潔感が抜群にアップした〝爽やか関君〟は今、女子の中でちょっとした注目の的だぜ?」

「はぁぁ? んな馬鹿な。つーかそれが本当だとしたら、先週までの俺はどんだけ不潔だったんだって話になるだろ」


 ……傷ついてなんかないんだからねっ!


「くくく。あと、女子との会話がだいぶ自然にできるようになったよな。清潔感とか話し方とか、そういう何気ないところを女子は案外見てるもんなんだよ」

「…………」


 ……先週までの俺、どんだけ不潔で挙動不審だったんだよ。つーか大塚、お前どんだけ女子の生態に詳しいんだ。女子博士か。


 大塚の言うことに思い当たる節が全くないと言えば嘘になる。確かに今週に入って、クラスの女子と会話する機会がやたら増えたような気はしていた。


 まぁ、女子との会話は今でもまだ少し苦手だけど、千波さんと話すようになってからは徐々にそれも薄れていっているように思う。


「さっき話しかけてきた女子も、先週までであればきっと俺の方に宿題の解き方を尋ねていただろうよ。現に、これまでに何度か教えたこともあるしな」

「……なんかすまん」

「ばっか、そういう意味じゃねえよ。俺、別にモテたいとかそういうの一切ないからむしろその方が助かるわ」


 ……他の男が言ったら負け惜しみにしか聞こえないこの台詞も、この男が言うと本心にしか聞こえないから余計にうざい。冷静になるためお茶を飲む。


「つーわけで、俺はあの女——千波茉莉とのデートがきっかけなんじゃないかと睨んでいるが、どうだ? ……キスでもしたか?」

「ぶふっ……!」


 大塚のあっけらかんとした物言いに、口に含んでいたお茶が盛大に吹き出る。


「うわっ、きったねえ。関、何してんだよ。お茶はそうやって遊ぶものじゃないぞ」

「お、お前が変なこと言うからだろうが!」

「……お前なぁ、中学生じゃないんだから」


 大塚はそう言って、顔にかかったお茶をハンカチで拭う。


「で? 実際のとこどうなのよ」

「どうもこうも……普通にイオンで買い物しただけだよ。俺と千波さんは……別にそういう関係じゃないし」

「なんだ、つまんねえな」


 大塚はわかりやすく落胆すると、残りの焼きそばパンをすべて口に詰め込んだ。


「……つまんなくて悪かったな」


 俺と千波さんは、別にそういう関係じゃない。〝助けられる人〟と〝助ける人〟、ただそれだけの関係なのだ。……自分で言ってて少し寂しい気がしたのは、きっと気のせいだ。


「一応聞くけど、次の予定とか決めてんの?」


 大塚は既に半分興味がないような態度で俺に尋ねる。


「……一応、夏休み初日の日に映画デートの約束してるけど」


 夏休みといっても、うちの高校の夏休みはお盆の頃まで夏課外が行われるため、平日は昼過ぎまで普段通り学校で課外授業を受ける必要がある。……中途半端な進学校の辛いポイントその一である。


「夏休み初日というと……もしかして明後日の土曜のことか?」


 大塚がデート内容ではなく日程のほうに食いつく。いや、そこはまず何の映画見に行くの? とかじゃないの?


「そうだけど」


 俺が短くそう答えると、大塚は「あちゃー」と大げさな反応を見せてから、真剣な表情で口を開いた。


「……関。とりあえず、千波茉莉になんて言って謝るか考え始めたほうがいいぞ」

「? なんでだよ」

「出欠の確認を取られたのが一ヶ月以上前だから、頭から抜けててもも仕方ないっちゃ仕方ないが……夏休み最初の土日は、クラス行事のキャンプがあるだろ? 欠席のやつは一人も居なかったはずだから、関も『参加する』で回答しているはずなんだが」

「……え?」


 大塚の言っていることが上手く頭に飲み込めずに固まってしまう。


「……その様子だとまじで忘れてたんだな。キャンプだよ、サマーキャンプ。今日の放課後に班分けと役割分担を決める時間をとるって、今朝のホームルームでタカムーが言ってただろ」

「……あ」


 大塚の説明を受けて、徐々に記憶が蘇ってくる。うちのクラスの担任教師である高村ことタカムーが休日にソロキャンプをするほどキャンプ好きであるという自己紹介をしていたこと。『クラス行事 サマーキャンプの出欠について』という紙に自分の名前を書いて、特に何も考えずに『参加する』に○を付けて提出したこと。二週間ほど前にクラス委員長から参加費を徴収されたこと。今朝、やけに上機嫌でタカムーが何かを話していたこと。肝心の話の内容は、千波さんのことを考えていたためまったく頭に入っていないこと。——それらすべてが繋がり、映画デートとキャンプの日程が諸被りしているというどうしようもない事実を理解した俺は、ゆっくりと血の気が引いていくのを感じた。


 大塚はまるで他人ごとみたいに――いや、確かに他人ごとなんだけど、部活の昼連に向かうために立ち上がって俺にこう言った。


「まぁ、とりあず……誠心誠意謝るこったな」


 ……弁当がまだ少し残っていたけど、心の中にずどんと落とされたおもりがあまりにも重くて、これ以上食べられそうになかった。見る映画のタイトルをまだ決めていなかったことがせめてもの救いなのかどうなのか、処理速度が著しく低下した脳では判断ができず、頭を抱えて一人で嘆く。


 ――彼女ができたことすらない俺がデートのドタキャンって、ハードル高すぎませんかね?


 こうして俺の苦悩の時間が始まった。

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