夏草揺れる線路の先、君が見た夢の果て
別府孝
第一章
1-1
『一ヶ月後にあなたは死にます』
――早朝。学校の下駄箱を開けると、上履きの上にちょこんと置いてある白い〝それ〟が目に付いた。
「え、と――」
白地のメッセージカード上に書かれた、整った文字とシンプルな単語から構成されたその文章が素直に頭の中に入らずに思わずその場で固まってしまう。遠くから聞こえる梅雨明けを告げる蝉の声と制服のシャツをじわりと濡らす汗が、現実の境界線を曖昧なものに変えていく。
「……ラブレターでは、ないよなぁ?」
冗談でも笑えない意味を持つこの文章に、あはは、と乾いた笑いが体の底から漏れる。
……よし。もう一度この状況を整理してみよう。朝、けたたましく鳴り響く時計と共にいつも通りの時間に起きた。そしていつも通り朝食という名の栄養補給タイプのゼリーを胃に流し込んで、いつも通りギーギーと嫌な音で軋む自転車を漕いで登校した。うん、ここまでは至っていつも通りだ。問題は多分ここからだ。
――〝下駄箱を開けると上履きの上に白い紙が置いてあった〟
……高校生活が早くも半分が過ぎようとしているが、今ままでこんなときめく展開はあっただろうか?
「うーん」
……中学校、小学校とはるか昔の記憶を半ば必死に遡ってみても、悲しいかなそんなことは一度もなかった。一度くらいはあったんじゃないかと自分の記憶を疑ったり、記憶の捏造も試みたけれど、やっぱり一度もなかった。誠に遺憾である。あれ、雨なんて降ってないのに目から水が……
……いやいや、冷静になれ俺。惨めな青春振り返って負の感情に苛まれたとしても、そこで思考停止してはいけない。そう、問題は多分ここじゃない。盲目的に〝上履きの上に白い紙が置いてあった〟という事実だけに焦点を絞るのであれば、それは単に「面と向かっては言えない、でもどうしても私の気持ちを伝えたいの!」といささか矛盾する二つ想いに日々葛藤するも、「直接じゃなければ、私の気持ち、伝えられるかな……」という新たな希望を見いだし、ついに想いを伝える決心が着いた乙女チックな女性からラブレターを渡された幸せ者の図に過ぎないではないか。
そう、このことから解るように、問題はその白い紙にどのような内容が記載されているか、この一点に尽きるのだ。よし、内容をもう一度声に出して確認してみよう。どんなに急いでいても、声出し反復確認は大事なことだ。
「一ヶ月後にあなたは死にます」
……いやいやいや。ここに記載されているべき内容は、「ずっと前からあなたの事が好きでした」だとか、そこまでストレートでなくても「伝えたいことがあります。放課後、校舎裏まで一人で来て下さい」といった、読むだけでにやけてしまうような甘くてかつ酸っぱい魔法の言葉でなくてはならないはずなのだ。「死にます」とか、医者が重病患者に余命宣告を告げるときでももっと遠回りな言い方をしそうな言葉が書いてあって良いはずがない……いや、待てよ。
「もしかして、これは……」
どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったのだろう。このメッセージカードの主であろう乙女チックな女性の立場に立って考えてみれば答えは明白なのだ。
まず、ここはこの学校で唯一の昇降口である。この学校の生徒であれば、必ずこの昇降口を通って各クラスへと向かう。言い換えれば、〝この学校の生徒は、この昇降口を通らなければ自分のクラスにたどり着くことは不可能〟ということだ。そうなると、この場所は想い人にラブレターを渡す場所として、一つの不可避の問題が生じてしまう。――そう、人目だ。始業一五分前頃のピーク時には、この昇降口は学年性別問わず生徒たちで溢れかえる。それが俺はどうにも苦手で、早めに登校するよう心がけているのだ。もし、俺がピーク時に登校し、このメッセージカードを発見していれば――他の生徒に見られるというリスクは十分にある。
乙女チックな女性がそのリスクを踏まえた上で、それでも懸命に、どうしようもなく一途で切ない想いを伝えようとしてくれたのであれば……自然と答えにたどり着く。そう、つまりこのメッセージカードの文章は――
「――暗号、か」
暗号とは第三者に通信内容を知られないように行う特殊な通信方法のうち、通信文を見ても特別な知識なしでは読めないように変換する表記法のことである。古くは紀元前十九世紀ごろの古代エジプトまで遡り、このような状況下でのリスクを回避するうってつけの通信手段|(Wikipediaより)なのだ。うんうん、乙女チックな女性は乙女チックなだけでなく、相当頭がキレるらしい。
よし、そうと解れば早速暗号を解読することにしよう。暗号を解読した暁には、『一ヶ月後にあなたは死にます』というなんとも不可解で穏やかではないメッセージが「あなたのことがずっと好きでした。付き合って下さい」と読めるようになるはずなのだ。何か、解読につながるヒントは書かれていないのか――そう思い、メッセージカードの裏を見ようとした、その時だ。
「おっはよー、
突然、自分の名前を呼ばれてビクッとなる。平静を装いながら、ゆっくりと声の主の方を向く。
「……あ、おはよう。
クラスメートである
「どうしたの? なんかすごく真剣な顔してたけど……」
そう言って彼女は不思議そうな目で、俺の顔をのぞき込んだ。ドキッと……では決してなく、ギクリ、とした。どこか大人びているその目でのぞき込まれると、不思議とすべてを話してしまいそうになるが、まさか馬鹿正直に乙女チックで頭がキレる女性からのラブレターの解読作業をしていたなんて口が裂けても言えない。
「え? ……い、いや、なんでもないよ」
自分でも笑ってしまいそうになるくらいに挙動不審な受け答え。何とか、話の方向を変えなければ。……彼女の印象と言えば、人気アイドルを彷彿とさせる整った顔立ちに加えて体型の割に大きめな胸とであることと、人当たりがよく、こうして誰にでも分け隔てなく平等に接してくれる女神的存在であるということだ。前者は、クラス……といわず学校中の男子の中でも定番の話題となっているのだが、ここでその話をすると俺の人生は間違いなく終わりを迎えてしまうであろう。
そしてこんなこと考えているからか、いつも以上に彼女の胸に視線が吸い込まれてしまう。というかそもそもなんで話題そらすのに下ネタチョイスしようとしているんだ俺。欲求不満か。
「えー、ほんとにー? あ、今なんか後ろに隠さなかった?」
「あはは……何も隠してないよ。それより清藤さん、今日はいつもより学校来るの早くない? 日直だったっけ?」
朝、俺が教室に入るタイミングで既に登校している生徒は片手で数えるほどしかいない。その中に清藤さんはいなかったような気がするし(曖昧)、俺が教室に入った後しばらくは誰も登校してこないため、こうして清藤さんと昇降口で鉢合わせするのはどこか違和感があった。一か八かで聞いてみる。
「あ、気づいた? 今日さー……」
胸の方に視線がいかないように必死になっている俺をよそ目に、彼女は「今日何故早く登校したのか」というテーマで熱弁を始めた。簡単に言うと、忘れ物があったらしい。
……ふう、なんとか無事に話題をそらすことが出来た。
彼女の話に適当な相づちを打ちながら、後ろ手に隠していたメッセージカードをさっとカバンにしまう。その際、メッセージカードの裏がちらりと見えた。
暗号解読の重要な鍵となるであろうメッセージカードの裏に書かれていたものは――
――なんとも可愛らしい、〝たぬき〟の絵だった
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