お題、『猫』

 そもそも彼の人生を変えた引き金は、本人の思い上がりによって心に隙ができた脇の甘さからといっていいだろう。


 幼くして父親は行方不明、母親はパチンコ依存症のアルコール中毒という荒れた環境から最終的には養護施設へ預けられ、親の愛情というものを知らずに育ってきた新宿生まれの彼は、小学生のころから万引きや喧嘩をくりかえし、中学生になると準構成員としてヤクザの世界に足を踏み入れ、少年院にも入った。

 同年代の少年少女が義務教育を終えるころにはもうすでに日本でも五本の指に入るヤクザ事務所の部屋住みとしての修行を務め上げ、組からの杯をもらえるまでにもなっていた。

 その後も、たとえ自分が若衆の立場であろうと関係なく、率先して他組織との抗争や地回りの先頭に立ち、次第に地元である歌舞伎町でその名を轟かせるほどに彼は成長した。

 ただ、生まれつきの才能なのか性格なのか、なぜだか憎めない愛嬌のあるその態度と姿勢が、管轄署のマル暴刑事から一目置かれ、あげく裏取引に手を染めるまでに至るのだった。

 組のシノギとして積極的に地回りを繰り返し、キャバクラやホストクラブなどから大口のエンソみかじめ料を吸い上げる毎日を送っていても、担当刑事は「ほどほどにしておけよ」の一言だけで目をつぶってもらっていた。その謝礼として覚醒剤の横流しや拳銃の没収ノルマに貢献することを彼は忘れなかった。

 やがてそれまでの実績が認められて舎弟頭という立場になった彼は、自分の出世のためにここでひとつの大きなヤマを掛けた。敵対する組事務所に奇襲を仕掛けたのだ。

 しかしそれは結果的に失敗する。事務所へのカチコミ襲撃を掛けるも、たちまち全員が逮捕されてしまった。なぜなら、若衆のひとりが、マル暴のエススパイとして囲まれていたのだ。

 従って情報は筒抜けで、奇襲が収まるまで自由にやらされてからのお縄となったが、彼と彼の舎弟に限っては担当刑事の恩赦を受けて執行猶予がつき、ふたりはカチコミを入れた組組織から命を狙われぬよう、ほとぼりがさめるまでまずは富山市に身を隠すことになった。

 しかしこれが結果的には彼に幸運をもたらすことになる。彼がもつ裏社会のコネクションを利用して、富山湾でとれる春のホタルイカ、夏のマダイ、秋にはズワイガニ、そして冬のブリなどを新宿近辺の居酒屋チェーンへ直接卸すビジネスを展開させることに成功したのだ。

 こうして一気に羽振りのよくなった彼は、舎弟をつれて富山県最大の歓楽街である『桜木町』へ繰り出しては、散在を重ねる日々を送るまでになっていく。

 モデルのようにスラリとした長身と甘いマスクでアルマーニのスーツを着こなしたその姿は、たちまち桜木町じゅうのホステスたちから噂の的となっていたが、そんな堅気の生活にも飽きはじめ、やがて表のビジネスと並行して、フィリピンから密輸したコカインを裏社会でさばいていくようなると、とある男の紹介で、グアム島の住民たちにコカインを密売する太いパイプができ、そして最中的には、富山での贅沢三昧な生活を惜しむ舎弟をひとり置いて、自らもグアム島にコンドミニアムを購入して海外生活をはじめるまでに至ったのだった。

 そのあたりの時代が彼にとって、人生の頂点だったのかもしれない。

 三人の使用人を雇い、島でたった一台しかないランボルギーニを乗り回しては、夜となると日本人高級クラブでシャンパンを煽るセレブな毎日。日本から訪れてくるスポーツ選手や芸能関係者を自宅に招いての派手なパーティー。そんな生活が一年三六五日、休むことなく続いた。

 しかしここでも、なんの申し分のない贅沢三昧な毎日の生活に飽き飽きしはじめた彼は、同時に更なる欲望を満たすために、ついにハワイにまで足を伸ばすことになる。

 結局それが彼の人生を一八〇度変えてしまう結果になろうとは、彼自身がもちろん知る由もなかった。

「これがブツか」

「あぁ、上物だぜ。フィリピン製だ。おめぇらなんかは見たこともねぇようなスゲェ純度だから、きっと驚くだろうぜ」

 彼がオアフ島に到着してまもなく、ワイキキビーチそのものに建てられたピンク色がまぶしく目に映る高級ホテルの一室で、わざわざグアム島まで交渉を持ちかけてきたブローカーとの取引きが行われていた。

 が、

「なんだおまえ! きたねぇぞ!」

 現物を見せた途端に、彼はそのブローカーに背後から銃を突きつけられてしまったのだ。

「手を頭の後ろにまわして組め!」

 相手はそう叫んでいるが、いったい何を言っているのか英語がわからない。

 それを合図に、ドアを蹴り破ってどんどん男たちが押し入ってきた。

「くっそ! はめられた!」

 ハワイのギャングに騙されたのか。

 そう激しく動揺しながらも暴れて逃げようとしているうち、威嚇射撃が天井に二発撃たれて、ついに彼は観念した。

 コカインもろとも、俺はさらわれる……。

 後頭部に組んだその両手を腰元に押さえつけられたときだった。

「アナタ、ツカマリマシタ」

 片言の日本語ができる男から耳元でそう囁かれた。

「誰だおまえら!?」

「ワタシタチワ……」

 FBIだった。

 彼は、FBIのおとり捜査にまんまとしてやられたのだ。

 FBIとはこれすなわち、連邦捜査局である。よって連邦政府の指揮下にある連邦刑務所はハワイ州になく、従ってカリフォルニア州の刑務所に彼は送られることになってしまった。

 懲役八年。オレンジ色の受刑服を着せられバスに乗り、刑務所に到着すると看守に連れて行かれたそこはまず独房だったが、それからまもなくして連れ出されたその先は、ヒスパニック系の受刑者が屯している、地下のシャワールームだった。

 ごつい体格をしたその受刑者たちの輪のなかにひとり看守から放り込まれた彼は、いったい何が起こったのかがわからずに看守に目をやってみると、看守は受刑者たちのひとりから金を受け取っているところだった。

 自分は売られたのだ。

 札束をポケットにねじこみながら看守が姿を消したその途端に、彼は両手両足を押さえつけられ、受刑服も脱がされて、壁に向かって体をくの字にさせられた。

「やめろ! やめてくれ! 金ならもっと払ってやる! だからやめろっ!」

「ファッキン・シャラップ! メェーン!」

 受刑者グループの中でも人一倍でかい男がファスナーを下ろしながらドスをきかせてそう叫んでくる。

「ヤメロォーーッ!」

 しかしその直後。

「ウ゛ッ……!」

 彼は声にならない声を上げた。

 途端に彼は背後から激しく突かれはじめ、強い衝撃が体中を襲った。

 皮肉にも、彼のその体型と甘いマスクが、多くの女だけではなく、服役中の男たちの目にまで魅力的に映ってしまったその挙句の、この結果だった。 

 やがて大男が果てると、次から次へと背後の男が入れ変わり、彼は浴びるにいいだけの屈辱を浴び続けた。

 自分が築き上げたプライドも、ここまで生きてきたその実力も、今この場では何の価値も持たない。今生の別れとして腕にはめていたオーティマ・ピケをくれてやった自分の舎弟は今頃、富山で相変わらず悠々自適に暮らしていることだろう。

 自分が天狗になっていた。ちょっとした心の油断が、今のこの惨めな思いをさせられる羽目となってしまったのだ。思わず涙がこぼれ落ちそうになった。

 だがここで彼はふと、そんな思いとはまた別な、自分が今まで経験したことのない、一種の感電にも似た快楽的な刺激が体中を貫いて、鳥肌を立てていることに気がついた。

 このいわれのない快感はなんなのだろう……。

 自分はいったいどうしたのいうのだ……。

 そこで彼はついに、これまで生きてきてまったく気づかなかった、自分の隠れた性質を発見してしまったのだった。

 俺っていう男は……。


 実は、ネコだったのか……。

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