第88話 麻子と香澄の腕前(物理)
エビデンス城の東門を出たすぐの所に、近衛隊と守備隊、そして牙が共通で使う訓練場がある。
第一城壁の中にも訓練場はあるのだけれど、もっぱら剣術や槍術用で、弓術の場合は城外の訓練場になる。
ファフニールから授かった武器を、麻子と香澄が試すために訪れていた。本来ならパートナー同士の絆を見定めてから授与する伝統ではあるが、男爵の件もあり支給を早めた形だ。
みやびはファフニールの書類仕事を手伝うため執務室だが、パラッツォやブラドも含め、リンド達は二人の腕前をまだ知らず興味津々である。香澄が武器庫で選んだのはヨイチの弓。エアリスと共に、二人揃って矢を放つ。
この訓練場で使用される的は、陶芸職人が焼き損じた皿を使う。そのセンターに、二人の矢が見事に吸い込まれていく。
牙のメンバーが次々と皿を交換し、二人は矢を放っていく。中心を外さない香澄の腕に、ブラドもパラッツォもほうと漏らした。
「いい弓だわ、手にしっくり馴染む」
満足顔の香澄だが、エアリスが的を見て首を捻った。共に中心を射るのだが、香澄の皿は割れず、自分の皿は割れてしまうからだ。
「私と香澄で、何か違いがあるのかしら」
「もしかしてさ、エアリスは矢を放つ瞬間に息を止めてない?」
その通りであった。香澄はエアリスの背中に手を添え、矢をつがえてと促す。エアリスの呼吸を手で感じながら香澄は、息を吐きながら矢を放ってとささやいた。
放たれた矢は皿を割ることなく中心に突き刺さる。弓術では大事なことなのよと、香澄はこれでもかってくらいのスマイルをエアリスに向けた。
そして彼女は矢筒から矢を一束掴むと、腕を振り下ろして地面に突き立てた。危ないから下がってと皿を交換する牙達に声をかけ、香澄は矢を連射し始めた。
自分の正面にある的だけではなくその隣、更に隣へと、次々当てていく香澄。その命中精度に誰もが声を失っていた。
片やこちらでは麻子とレアムールが、剣を構え向き合っていた。麻子が選んだのはムラサメブレード。
両足でトントンとリズムを刻み、上段から振り下ろし下段から振り上げるその太刀筋が恐ろしく速い。油断すれば中段から突きが来る。
この世界ではどちらかと言うと、剣で切ると言うより叩くという使い方をする。敵がチェーンメイルやプレートアーマーを装備している前提での剣技が主流。
ブラドやパラッツォが大型の両手剣を背負うのもそのためだが、では切ると突くに特化した麻子の剣は通用しないかと言えばスオンだから話しは別。
ムラサメブレードが火属性である麻子の炎を刀身にまとった場合、おそらく手がつけられなくなると誰もが思った。
炎をまといフレイムソードと化した剣の前では、チェーンメイルもプレートアーマーも役に立たない。切られるのではなく焼かれるのだから。
麻子の猛攻に、剣技には自信のあるレアムールだがぐいぐい押されている。二人の額からは汗が滲み、麻子の長い髪が舞う。
「レアムール、このあと一緒にお風呂入ろうね」
「え? え?」
剣で打ち合う中、突拍子もない事を言い出す麻子。
「メガネ外した顔をじっくり見たいのー!」
そう言いながらムラサメブレードを袈裟懸けに振り下ろす麻子。寸止めルールじゃなかったのかと皆が青くなる中、剣は訓練用の防具で止まっていた。
「うっしっし、峰打ちでござーる」
どうやら麻子、最初から刃のない方で打ち合っていたようだ。あんたはオヤジかと、香澄が半眼を向けている。
――今夜のみやび亭。
港から干物が入荷するようになり、お品書きにはアジの開きやホッケの開きが並ぶようになった。
なぜかミハエル皇子がパラッツォとブラド側に座っており、三人揃えばお通しを全種類シェアできると結託していた。みやびに一品だけと言われたのが相当ショックだったらしい。
〆はお茶漬けと決めている三人は、『本日のおすすめ』を注視する。書かれているのはキンメダイのお煮つけとアサリの酒蒸しで、三人は迷わずオーダーしていた。
ダイニングルームの夕食は煮魚定食だったのだが、キンメダイは数が少なかったのでまかないに回した次第。もちろん無くなり次第終了である。
「シリウス兄上にも食べさせたいのう」
そんなことをカルディナ姫が、お通しのひとつである鶏大根の煮物を頬張りながらポツリと言った。聞こえたのか、ミハエル皇子もそうだなと頷く。
皇帝に相応しくない放蕩息子と聞いていたブラドとパラッツォが、顔を見合わせている。
「弟が皇帝に相応しくないと評価されているのは知ってる」
ミハエル皇子がアサリの酒蒸しを頬張りながら、でも違うんだと続けた。弟がなりたいのは皇帝騎士団長であり皇帝ではないのだと。
ふたつ目のお通しである
「だから放蕩息子のフリをしておるんじゃ。妾には優しいし、酒や女に溺れているわけでもない」
実際に会ってみなければその人の本質は分からない。
ホッケの開きを焼いていたみやびと、近くのテーブルで肉じゃがを頬張っていたヨハンが同じ事を考えていた。風評なんていい加減なものだと。
ヨハンは新メニューのアイスクリームに舌鼓を打つ愛妻……もといスオンのレベッカを眺めた。この人はけっして暴走する炎ではないと。
「だったらさ、シリウス皇子をエビデンス城にお招きするのはどうかしら」
みやびが突然そんなことを言い出し、ミハエル皇子とカルディナ姫が目をぱちくりとさせる。
「良いのではないかしら、私も会ってみたいわ」
暖簾をくぐったファフニールがそう言いながらカウンターに座り、今日のお勧めは何かしらとみやびに尋ねていた。
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