第85話 シルバニア方伯領(1)
「近衛隊の諸君、竜化せよ!」
北門でみやびの号令に呼応し、第一種警戒態勢に身を包んだ近衛隊の乙女達が一斉に竜化した。延び延びになっていた、みやびの領地初訪問である。
妙子がぶどう酒生産を始めた地であり、ロマニアに外貨をもたらすぶどう栽培の一大拠点にこれから向かうところ。
現地の有力者と顔つなぎをするため、カエラが操るワイバーンのゴンドラに乗り妙子も同行する。降って湧いた出張手当にカエラがホクホク顔。
それは別として、なぜかミスチアが操るワイバーンのゴンドラにカルディナ姫とエミリーが乗っていた。灌漑工事でのお祭りバーベキューを耳にし、同行させよと言ってきかなかったのだ。カルディナ姫曰く、食べ損ねたと。
そんな彼女にファフニールとみやびが押し切られたわけだ。侯国の客人が外出するので、護衛としてヨハン組も同行する。
一斉に大地を蹴るリンドとワイバーンの勇壮な姿に、北門の牙達がこいつはすげぇと額に手をかざし空を見上げていた。
「麻子、香澄、もう慣れた?」
灌漑工事の起工式へ向かうのが初飛行だった麻子と香澄。みやびが声を上げて尋ねると、二人は笑顔でグーサインを突き出した。
遊園地のジェットコースターに連チャンで並ぶくらいだから、へっちゃらなのだろう。それぞれパートナーであるレアムールとエアリスとも息が合っているようだ。エアリスが宙返りをして、香澄がひゃっほうと声を上げている。
「宙返りして欲しい? みや坊」
「あはは、私としては海の上で二人っきりでしたいな」
どうしてと尋ねるファフニールの首を、みやびは優しく撫でた。手のひらに伝わるウロコの感触が心地よい。
「水掻きがあるんだもの、水属性は水中にダイブ出来るんでしょ? ファニーとのバカンスは海がいいなぁ」
みやびはあっけらかんとした顔で、心の深い所へ愛の矢を放ってくる。この人はまったくもうと、飛びながらファフニールは頭を垂れた。
「……バカ」
「何か言った?」
「なんでもないわ。ほら、見えてきたわよ」
眼下に現われたのはクスカー城。シルバニア卿であるみやびが持ち主となる居城で、北方のボルド国と国境を接する方伯領の砦。
直ぐ近くをルアン川が流れ、そこが国境線となる。みやびが治める方伯領は州三つ分で、総面積はクアラン国とそう変わらない。
先触れを受け城の管理を任されている国境守備隊のリンド達、それに政務を代行する方伯知事が表に勢揃いして出迎えた。
「フュルスティン・ファフニール、こんなご立派になられて」
方伯知事のルーシアが、感慨深そうにファフニールと挨拶を交わす。無限大を表す紋章が象られた深紅のマントが、彼女にはまぶしいようだ。
加えて領主である若草色のマントを身に付けたみやびに、ルーシアは興味津々。料理の噂はここクスカー城にも届いていた。
「ところでラングリーフィン、近衛隊の皆さんが設置しているあのテントは?」
「ああ、お祭りと思って頂戴。北方の牙が参加するのも許可します」
みやびが人差し指を立ててウィンクする。
首都ビュカレストで自警組織がビュカレストの牙と呼ばれるように、方伯領で組織される自警組織は北方の牙と呼ばれる。
立ち昇る美味そうな匂いに何が始まるのかと、国境守備隊と牙達が顔を見合わせる。みやびが言ったお祭りが理解できなかったらしい。
そんな中、牛肉に塩胡椒を擦り込むエミリーと、それを串に刺すミスチアと、串を焼くカルディナ姫の姿がルーシアの目に映る。そのカルディナ姫に、彼女はまさかと目を剥いた。
「あの、フュルスティン・ファフニール。私の記憶が確かならば、あのお方はマリア・カルディナ・エリザベート・フォン・シュタインブルクでは?」
マリアは洗礼名、エリザベートは彼女の母方が代々使うセカンドネーム。よくフルネームを知っているわねと、ファフニールが記憶力の良さに驚く。
「その通りよルーシア。お忍びだから挨拶は省いたけれど、失礼の無いようにね」
何で帝国の第一皇女がテントで作業しているのと、ルーシアが顔面蒼白となる。先触れに無かった情報ですわと。
ごめんねルーシアと、ファフニールが苦笑する。先触れを出した後、強引に参加して来たのだからしょうがない。
だが当のカルディナ姫は自らも頬張りながら、匂いに釣られて集まる守備隊や牙の面々に焼き上がった串を突き出していた。
「腹を空かした者どもよ、さっさと食うのじゃ。冷めれば味が落ちるし焼きすぎては焦げてしまうじゃろう」
相手が高貴な身分とは知らぬまま、串を受け取り頬張る守備隊と牙の面々。こいつはうめぇと、唸りながらがっつき始めた。
そしてこちらは貴賓席として設置された丸テーブル。妙子がぶどう栽培の責任者とぶどう酒生産の責任者を紹介してくれた。国営事業を任されているので身分は子爵、その二人が新酒をどうぞと杯に注いだ。
ファフニールやルーシアと共に、今年の新酒が入った杯を舐めるみやび。ブラドとパラッツォが喜びそうな、新酒に合うお通しは何だろうと考えてしまうのは料理人としての
そしてテントでは、麻子の塩焼きそばと香澄のカリーブルストも大評判。そんな二人の袖をついつい引っ張り、作り方を教えてたもれとカルディナ姫がせがんでいる。
クスカー城の庭園と広場はやっぱりお祭り状態と化し、立ち食い歩き食いも新鮮らしく、守備隊と牙たちがその味を絶賛している。
「ルーシア、ここでは普段なにを食べているのかしら」
みやびの問いにルーシアは美味しそうに頬張っていた塩焼きそばを置いて、そうですねと考え込んだ。いやいや考え込むほどの質問だったかしらと、逆にみやびの方が焦る。
「最盛期はぶどうで、それ以外は干しぶどうが主食かしら。そこに塩で煮たり焼いたりした肉や魚ですね。そうそう、塩漬けした豆もよく食べますわ」
あちゃあと、みやびが額に手を当てる。輪番制で教会の子供達をクスカー城にも派遣しようかしらと、彼女は本気で考え始めたていた。みやび亭シルバニア支店、近い将来開店である。
そこへ、国境を巡回していた守備隊が二人の若い男女を連行し城門をくぐった。男女はすっかり焦燥し、その瞳に生きる者が持つ光は無かった。
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