第80話 バジルソース
枢機卿の脅威が消えたことで、みやびと妙子は城外への外出が可能となった。お付きのティーナとローレル、クーリエ・クーリド姉妹、それに巡回がてら警護に就くレベッカとヨハンが、一緒に市場の門をくぐる。
今までは献立を決めてから材料の買い出しをメイドにお願いしていたが、みやびとしては材料からメニューが思い浮かぶことも多い。
めぼしい食材はないかと、あちこち物色して回るみやび。このあと夕飯で作る料理に直結するので、お付きの四人はみやびの動向から目が離せない。
レベッカはレベッカで、何かやらかしてくれるかもという期待があったりする。みやびとしてはやらかす気持ちなど微塵もないが、想定外の行為を過去にやっちゃってるわけで、付き合えば面白いと思われている。
「そう言えば妙子さん、公用語を決める評議会はずっと順延になっているわよね」
「枢機卿の件がありましたからね。そろそろブラドさまが、日程をお決めになるはずよ」
そんな会話を交わす二人に、騒ぎの声が聞こえて来た。それは薬草を扱うエリアで、店主同士が揉めていた。
薬草とは言ったものの、みやびにしてみれば料理の素材となる香辛料を販売するエリア。
クミンやナツメグといった、肉料理やカレーに必要な素材はもちろん、タイムやローズマリーといった西洋料理には欠かせないハーブも並ぶ。
「あなた達、何を騒いでいるの?」
突然現われた若草色のマント。
それが何を意味するか、ビュカレスト市民なら知らぬはずはない。食の錬金術師と畏怖されるシルバニア卿。加えて超魔人という噂も広がりつつある。
広めちゃったのはまあ……、みやびのお付きであるあの子。すぐそばでローレルと並びフフンと笑っているわけだが、市場の買い出しで何を喋っているのやら。
「つまり販売品目が被っちゃって、それを貴方は銅貨三枚、そっちの貴方は銅貨五枚で売ろうとして揉めた訳ね」
みやびが値札の正の字を指差しながら尋ねた。一袋当たりの値段で、サンプルが籠に盛られている。みやびの問いに、二人の店主そうですと頷く。
みやびはトラブルの元となったバジルの葉を手に取ると、指でこすり鼻に寄せて香りを楽しむ。
シソ科植物に分類される青じその親戚で、もちろん日本でも広く栽培されている。本来は二年草だが日本の冬には耐えられないため、国内では一年草扱い。
オリーブオイルと一緒に摂取すればお通じが良くなるし、胃の不快感を解消するのにも役立つ。それで薬草扱いになってるわけだ。
そんなこともあって、オリーブオイルも薬草エリアで売られている。菜種油と比べればかなりお高いが。
葉っぱはすぐ傷むから、傷む前に安価で売りさばこうとした店主。傷んで廃棄する分を予め値段に反映させた店主。そりゃ揉めるだろう。
青じそとはベクトルの違う芳香を放つバジルに、みやびはピンと来たようだ。今夜のメインはチキンソテーのバジルソースがけにしようと。キノコのクリームスープでパン取り放題に、サラダはコールスローがいいわねとつぶやく。
「間を取って銅貨四枚にしてくれるなら、全部買うわよ」
店主二人はもちろん、妙子にお付きと護衛の六人もびっくりだ。薬草をこんなに買ってどうするのかと。
バジルの葉を風の力で一気に粉砕していくみやび。本来は包丁で叩くかフードプロセッサーを使うところだが、今のみやびは人間フードプロセッサー。
・バジルの生葉(二人前で10g、約30枚)
・にんにく(一片をすり下ろし)
・松の実(お好みの無塩ナッツでも可。大さじ二)
・粉チーズ(大さじ一)
・オリーブオイル(大さじ二)
・塩(二つまみ)
松の実ではなくカシューナッツを使うのがみやび流。こちらも風の力で粉々にしていく。あとは瓶に材料を全部入れて攪拌するだけ。
これハンドミキサーみたいに、攪拌したいな。そう念じた途端、瓶の中身が動き出した! できるできると手を叩くみやび。
「ちょっと……、みや坊なにそれ」
「念じたら出来ちゃった」
「信じられない」
ファフニールの呆れた声に、皆が集まってきて目を丸くする。民間のメイド達にとっては、もはや手品だ。
「これ、風属性と水属性の合わせ技だと思うのよね。ファニーとエアリスでやってみたら?」
回転数を調整するのは風属性側になると、みやびはエアリスに注意を促す。これが飛散すると悲惨よとウケないダジャレを言いながら、香澄が種を持ち込み仕込んでいたヨーグルトをほぐしてみようと移動する。
「お互いの力で攪拌したい、そう念じてみ……あぅ」
皆は離れて見ていたからセーフだったが、みやびとファフニール、そしてエアリスが頭からヨーグルトまみれ。
加減が難しいと言う顔面真っ白なエアリスと、同じく顔面真っ白なファフニールが、お互い指を差し合い吹き出していた。
これがバジルソースだったなら、ゾンビの顔になってたとみやびも笑う。そして三人は、直ぐさまお風呂に向かうのであった。
ダイニングルームでの夕飯はメイド達に任せられると、みやびは調理場に残ったチームとまかない作りに入っていた。
出来上がる頃、カルディナ姫とミハエル皇子がひょこっと顔を出す。今夜のまかないは何かなと、顔にそのまんま書いてある。
「いらっしゃいませ、みやび亭へようこそ」
近頃ではこれがみやびの口癖だったりする。ところがなんと、二人の後ろからパラッツォとブラドが現われた。
「げっ!」
「げっではない、みやび殿。姫君から聞いたのだが、ダイニングルームでは出てこない料理がここで食えるそうではないか」
「そうだみやび、まかないとやらを説明してくれ」
この人達はと、顔に手をやるみやび。
余った材料の有効利用と、数が少なくてダイニングルームに出せない食材の有効利用、それがまかないだとみやびは説明する。別に隠す必要もなく、ありのままを話して聞かせる。
「なるほど、よう分かった。ではブラド」
「そうだな、パラッツォ」
二人は頷くと、当然のような顔で席につく。どうやらみやび亭、常連さんが増えてしまったようだ。
そんな四名様の前に、みやびが一つの皿と一つのカップを置いていく。皿はバジルソースのパスタで、カップはヨーグルト。
ダイニングルームではフルーツヨーグルトにしたが、果実が切れてしまったのでこちらはイチゴジャムを入れたバージョン。
「カルディナよ、これは良い香りだな」
「ええ兄上、チキンのソースよりも香りが立っておる。ラングリーフィン、何かコツがあるのかや?」
「よく気付いたわね、カルディナ姫。ただ和えるんじゃなくて、弱火で加熱したフライパンの中で和えるの。そうすると香りがぶわっと立つのよ」
なるほどと、カルディナ姫は感心しきり。そして彼女はミハエル皇子と一緒にパスタを頬張る。咀嚼する度に、二人の目が細くなっていく。
青じそと違いバジルの葉は、そのまま生で口にするのは向かない。それがオリーブオイルと出会うことで、性質をガラッと変える。
みやび流のカシューナッツと粉チーズがコクを与え、ニンニクがパンチを効かせ、加熱されることで味と香りの本領を発揮するのだ。
これは美味いと四人が夢中になって頬張る。お代り欲しい人は遠慮無くどうぞと、みやびは追加のパスタを茹でていた。
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