第30話 アルネの機転

 お屋敷のスペアキーを預かる以上、自分は管理を任された責任者なのだ。そんな自覚と誇りがアルネを突き動かしていた。男を尾行しながら彼女は歯噛みする、絶対に許さないと。


「戦争で身寄りを失い天涯孤独となった私を、みやびさまは妹のように接してくれる。妙子さまも、そして恐れ多くも君主ファフニールさままで、孤児の私達を差別しない」


 アルネにとってお城の調理場という空間は聖域であり、鍵を預かったお屋敷は宝物なのだ。その大事なお屋敷の井戸に、男は何かを投げ込んだ。井戸に何かを混入させる、そんなの毒と相場は決まっている。

 アルネはたまたま、納屋の窓から一部始終を見ていたのだ。他の子達には井戸の水を口にするなと厳命し、南門に知らせるよう使いを出した。


「みやびさまは君主ファフニールさまのスオンとなられ、今は眠りについていらっしゃる。そのみやびさまにあだなす者を、絶対に逃がすものか」


 男を追いながら、アルネは胸の前で拳を握る。これでもビュカレストっ子、表通りから路地裏まで、市街地の道という道を知り尽くしている。

 ファフニールのスオンとなったみやびは、借りるのではなく正式にお屋敷の持ち主となっていた。当の本人はベットでぐーすか寝ているから、この事実をまだ知らないが。

 だがそうなると、子供達は仕事の斡旋ではなくみやびの配下と同義になる。君主のリッタースオンに仕える者であり、子供達を戦争孤児と見下す輩は市場にもういない。

 その男は、市場の近くにある宿屋へと入った。それを見届け、アルネは大きく深呼吸する。扉をちょっとだけ開いて中を覗くと、階段を上りきる男の背中が見えた。中に入り、帳場にいる宿屋の主人に歩み寄る。


「お嬢ちゃん、何か用かい?」


 市場でよく見かける女の子に、宿屋の主人はかけていたメガネを頭に上げた。そんな彼に、アルネは口に手を当てひそひそ声で話す。


「いま戻った宿泊客は、どこの何という人でしょう」

「おいおい、泊まり客の情報を教えられるわけないだろう」


 そう言われると承知していたアルネは、左手の中指にはめていた指輪を主人に向けた。その指輪には、竜騎士団の紋章が刻まれている。

 魔力が込められており、外せるのはリンド族と本人のみ。城の貴人に仕える者へ授与される、使用人の証明である。

 その指輪に主人は目を丸くした。 


「私は君主ファフニールさまのスオン、蓮沼みやびさまにお仕えするアルネと言います。みやびさまのお屋敷の井戸へ、あの男は何かを投げ込みました」

「なん……だと? 食の錬金術師さまの井戸へか」


 この頃にはビュカレスト市民に、食の錬金術師が浸透していた。言い出しっぺの張本人はティーナであるが、牙たちによって瞬く間に広まったのだ。


「こちらへ来なさい」


 主人は宿帳を手に、アルネを奥の部屋へ案内した。座るよう促すと、彼は宿帳をテーブルに置いてページをめくる。


「俺もおかしいとは思っていたんだ」

「おかしい?」

「あの男は枢機卿すうききょうの従者だ。聖職者に仕える者なら、市井の宿屋に泊まらずロマニア正教会の宿舎に泊まればよいのに、とな」


 枢機卿とは法王の側近であり、次期法王と目される聖職者だ。なぜその従者がみやびの屋敷にと、アルネの表情が強ばる。


「しかも目的は物見遊山ものみゆさんだと言う。おかしいだろ? 従者の仕事はどこへいった。枢機卿の側に仕えるべき者が、かれこれ二週間もビュカレストに居座ってる」


 主人はペンを走らせ男が宿帳に記載した内容を書き写すと、その紙をアルネに手渡した。


「アルネと言ったか、すぐにお城へ知らせるんだ。もし男に動きがあったら、私も南門へ使いを出そう」


 アルネは主人にお礼を言うと、宿を飛び出した。




「うん、毒だな」

「そうね隊長、これは毒だわ」


 レベッカとフランツィスカが顔を見合わせ、クーリエとクーリドも毒だと頷く。沿岸守備隊姉妹は、子供達が心配だと妙子にお願いされ同行していた。

 井戸の水を口にする四人を見て、子供達は呆気にとられていた。大丈夫なのかと。そんな子供達に、レベッカがカラカラと笑った。


「心配するな、リンドの毒殺なんて不可能だ。我々自身が毒の塊みたいなもんだからな」


 その言葉にほっと胸を撫で下ろす子供達。目を細めたレベッカが、子供らの頭をわしゃわしゃと撫で回した。


「妙子殿とみやび殿の毒殺も不可能さ、リッタースオンはリンドの血を受け継ぐからな。むしろお前達の方が危なかった、無事で安心したよ」

「レベッカさま、もう井戸は使えないのでしょうか」


 子供の一人が、泣きそうな顔で尋ねた。井戸が使えなければ作業は頓挫してしまい、みやびと妙子に合わせる顔がない。他から汲んでこようにも、自由に使える井戸は遠すぎた。


「姉上、出番ですよ」

「ふふ、水の浄化はお任せあれ」


 クーリエは井戸の中に手をかざし、水の魔方陣を展開した。リンド族は魔力を行使するのに、詠唱を必要としない。何をしたいか、明確な意思さえあれば即時発動が可能なのだ。

 青き光が井戸の中を煌々と照らし、やがてどす黒い煙が噴き出てきた。見事なものねとフランツィスカが手を叩き、子供達の歓声が上がった。


「屋敷を警備する、牙の人選がまだ終わっていない隙を突かれたな」

「しかしレベッカ隊長、標的はみやび殿でしょうか? 妙子殿でしょうか?」


 首を捻るクーリドに、三人も腕を組む。先日の襲撃を考えれば妙子だろうが、みやびの屋敷となれば話しは複雑だ。しかも相手は、子供を巻き込むことすら躊躇しない卑怯者である。

 そこへアルネが駆け込んできた。話しを聞いた四人は見張りの牙を残し、クーリエとクーリドは城へ、レベッカとフランツィスカは宿屋へ走った。

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