第19話 ロマニア正教会

 みやびが帰還する次の満月まで、あと十日。


 焼き肉弁当に始まり、この三日間でメイド達もだいぶ手慣れたようだ。一階の空き部屋を調理場と定め、妙子の部屋にあった棚も移動済みである。

 レアムールとエアリスが、木箱を並べながらみやびをチラチラ見ていた。食事の度に、メイド達を呆然とさせてしまう張本人を。


「守備隊と牙が大変な騒ぎになっていると、レベッカ隊長が笑っていましたよ」

「私たち近衛隊も似たようなものね。今までの料理で、エアリスは何がお気に入り?」


 これまで口にしたみやびの料理を頭に思い浮かべ、エアリスはどれも捨てがたいですがと前置きして人差し指を立てる。


「一昨日の夜に出た、ブリの照り焼きが美味でした。隊長は?」

「あれは確かに美味しかったわね。でも私は、昨日の昼に出た豚の角煮が一番かしら」


 そんな二人の会話を背中で聞きながら、みやびはファフニールにお昼の献立を説明していた。揚げ鍋が発する油のコンコンと弾ける音が心地よい。


「これがトンカツで、こっちがトンカツを使ったカツとじ」

「完成した料理を、更に別の料理にしてしまうとは驚きです」


 ファフニールはメモを取りながらも、料理の幅広さに目を丸くする。みやびにはどれだけのレシピがあるのだろうかと、軽い目眩を感じるほどだ。


「妙子さん、味見をお願い。もちろんファフニールもね。レアムールとエアリスも来て」


 お声が掛かったレアムールとエアリスは、顔を見合わせアイコンタクトを交わす。この味見という行為が厄介で、三日間の間に思い知らされていた。


「第三種警戒態勢」

「了解、第三種警戒態勢」


 レアムールの発した言葉を、エアリスも復唱する。実のところ、近衛隊の隊規に第三種警戒態勢などというものは存在しない。

 味見で呆けてしまっては、後の仕事に支障が出てしまうのだ。我を忘れぬよう心して口にすべしと自主的に決めた、心構えみたいなものである。


「トンカツはソースをかけて、お好みで練りからしを使ってね。カツとじは、リンドの皆さんはこれを使うと良いわ」


 みやびは七味唐辛子を練りからしの隣に置くと、小皿にトンカツとカツとじを小分けして四人の前に並べていく。

 妙子とファフニール、そしてレアムールとエアリスが箸を伸ばす。この頃にはメイド達も箸の使い方をマスターしていた。

 妙子によると、みやびが食事だけでなく調理でも箸を使うことから、メイド達の間でブームになっているらしい。


「うん、どちらもご飯がもりもり欲しくなる味。みやびさん最高」

「お昼のお弁当は、この二種盛りでいきまーす」


 みやびがVサインを妙子に向ける。

 そしてリンドの三人はと言えば、第三種警戒態勢が既に崩壊していた。経験した事の無い味と食感が、食事の度に襲って来ては致し方ない。

 辛いものを旨みと感じるリンド族であるが、この三日間で和風の味付けも好むことをみやびは把握していた。特に甘塩っぱい味、甘辛い味に目がない。

 顕著だったのはハンバーグで、和風ハンバーグとデミグラスハンバーグでは、圧倒的に和風ハンバーグの支持率が高かったのだ。スープもコンソメより味噌汁やとん汁を好む。

 だがそうなると、醤油と味噌がまるで足りない。次回の訪問時には大量にゲートへ投げ込むとしても、現地生産を確立できないものかとみやびは頭を悩ませる。

 その時、まるで天啓を受けたようにみやびは閃いた。鞄を開けて図書室に返却するはずだった本を取り出すと、それをずいっと妙子に向ける。


「この本、こちらの言葉で翻訳できないかしら」


 視界を遮るように突き出された書籍のタイトルを見て、妙子はまさかと言いながら箸を置いて本を受け取った。


「醤油と味噌の歴史、その醸造方法」

「歴史の部分はカットしていいから、醸造方法を」


 内容を確認するべく、パラパラとページをめくる。料理の定着こそが妙子の望みであり、こちらで造れるならば実現したいという気持ちはみやびと同じ。


「私ね、日本酒にも手を伸ばしているからこうじはあるのよ」

「妙子さんステキ!」


 目を輝かせながらみやびは手を叩いた。麹があるなら、市場で塩と大豆と米に麦を確保すればいい。仕込みから出来上がりまで十ヶ月はかかるが、目処は立った。


「ならば醸造に馴染みのある、私が翻訳しましょう。でもみやびさん、誰にやらせるの? さすがにメイド達を動員するのは無理があるわ」


 それはみやびだって百も承知。メイド不足のエビデンス城で生産するなど、端から考えていない。閃いた時に作り手も思い浮かんでいたのだ。


「醤油と味噌の醸造を、戦争孤児にどうかしらって思うの」


 それまで呆けていたファフニールが、我に返った。みやびの意図が読み取れず、真意を正そうと彼女に詰め寄る。


「戦争孤児を利用して、何をなさるおつもりでしょう」

「利用だなんて人聞きの悪い。これは立派な食品製造業、戦争孤児は職を手に入れて自立できるわ」


 その言葉に、ファフニールが鼻をスンと鳴らした。拳を口に当てて考え込んだかと思うや、顔をばっと上げてみやびに向き直った。


「みやびさま、午後からロマニア正教会にご同行願えませんか。よろしければ妙子さまもお願いします」

「私が、教会に?」

「みやびさんが戦争孤児に仕事を斡旋するからには、教会に話しを通す必要があるのよ」

「あ、そういうことか。実は私、もうひとつ子供達に仕事を依頼しようと思っていたの。一石二鳥だわ」


 キョトンとするファフニール。妙子に至っては、次は何をやらかすのかしらと目を細めている。そんな二人の前で、みやびは丼にご飯をよそい、その上にもつ煮を被せたのだ。

 内臓肉を消費するべく、甘辛い味付けのもつ煮は常時仕込んでいた。二十四時間三交代制の、守備隊と牙に配給するお弁当にも必ず入っている。


「市場には食事を提供するお店がひとつも無いでしょ、そこに屋台を出したかったの。ビュカレストの市民に捨てていた内臓肉を見直してもらう、布石になるはずよ」


 牙によって、料理の噂は市民に広がりつつあった。そこにお弁当の定番おかずとなっている、もつ煮を丼物として屋台販売したらどうなるか。

 ファフニールはピンとこなくても、妙子には容易に想像できたようだ。長蛇の列が目に浮かび、市場は騒然となるに違いないと。料理を世間に知らしめるチャンスである。



 北側の城門を開いた先には、エビデンス城と変わらぬ規模の大聖堂が鎮座していた。教会には他にも建物はあるのだが、大聖堂のてっぺんにあるタマネギのような形が一際目を引く。

 見覚えのあるその形に、やはりあれは正夢なのだとみやびは確信する。あの人・・・に会うには、どうしたら良いのだろうか。そんな思いを抱きつつ、彼女は司教室に案内された。


「あなたが蓮沼みやびさまね。城で面白いことを始めているって、ビュカレスト卿とモルドバ卿から聞き及んでおりますよ」


 アーネスト・フォン・リンドと名乗った女性司教は、落ち着いた物腰でみやび達に席を勧めた。服装はキトンに白いマントだが、頭に載せた司教冠で特別な地位にあることが分かる。

 護衛に付いたレアムールとレベッカが、扉の脇に控えた。レアムールが守るのはファフニールで、レベッカが守るのは城外に出たみやびと妙子だ。


「その面白いことを、戦争孤児に手伝って欲しいの」

「先触れのティーナからおおよその話しは聞きましたが、詳細を伺ってもよろしいかしら」


 みやびは頷くと、妙子に代筆してもらった紙をアーネストに手渡した。内容に間違いがない証明として、ファフニールのサインも連名で入っている。

 教会を通した仕事の斡旋でも、約束と違う重労働や長時間労働を課す輩もいるという。必然的に、教会としては仕事を依頼して来る者に厳しくならざるを得ない

 妙子とファフニールからそんな話しを聞き、みやびは書類の作成を思い立ったのだ。言葉だけではなく、証拠として残る紙に文章で伝えようと。

 受け取ったアーネストは、その文面を読み上げていった。



 依頼の内容と趣旨、及び報酬と労働条件についての誓約。


 一、食用に出来る家畜の内臓肉が捨てられている現状に鑑み、その料理を市場で戦争孤児に販売させビュカレスト市民に広めたい。


 二、料理販売は利益が目的ではないため、仕入れにかかった費用以外の売り上げは、孤児への報酬として教会に納める。


 三、料理に必要な調味料の生産に、戦争孤児の協力を要請したい。成功すれば、戦争孤児は調味料造りの職人となり自立できる。


 四、調味料の量産にこぎ着け自立できるまで、戦争孤児への報酬を教会に納める。


 五、大人が担うような重労働はさせず、仕事は一日八時間を上限とする。それ以上の労働は課さず、祝祭日は休みとする。


 六、教会が孤児に教養面での指導を行う場合、そちらを優先とする。


 以上を依頼の趣旨としてお伝えすると共に、記載したお約束を遵守いたします。

 依頼主、蓮沼みやび。

 依頼主代理、二宮妙子。

 記載事項に偽りが無いことを保証いたします、ファフニール・フュルスティン・フォン・リンド。



 読み終えたアーネストは、ふうと息を吐いた。


「このように書面で明確に誓約をしてきたのは、みやびさまが初めてかもしれませんね。ファフニールの保証と妙子さまのお墨付きがあるならば、安心できます」


 アーネストは書類から顔を上げると、三人に微笑んだ。


「孤児達への依頼って、そんなに酷いのですか?」


 みやびが尋ねると、アーネストは頬に手を当て窓に目をやった。その先に孤児達が生活する、寄宿舎がある。


「依頼を受ける前に、相手の身辺調査をする程にね」


 三人は眉を曇らせ、顔を見合わせる。だがアーネストは、みやびの依頼を受ければそんな必要も無くなると喜んでいた。


「ところでみやびさま、私には料理や調味料というものがよく分かりませんの」

「そう思って、精進料理を持って来ました」


 みやびが木箱をアーネストの前に置き、蓋を開く。

 聖職者は動物性のものを口にしないと、ファフニールからアドバイスを受けていた。そこでみやびがサンプルとして用意したのは、ごま豆腐を始めとした精進料理の定番であった。


「どうぞ召し上れ。肉も魚も卵も、一切使ってませんから」


 見たことも無い形状の食べ物が並ぶ木箱に、アーネストは目を見張った。けれど色彩が美しく、良い匂いがする。

 お祈りをしてスプーンを手に、アーネストは精進料理の数々を口にしていく。一品食べる毎に口に手を当て、彼女は味と食感に驚愕していた。


「植物性のものだけで、これらを作れると言うのですか」


 聖職者は野菜や果実、木の実といった植物性のものだけを口にする。彼女達にとって食事とは、栄養補給という作業でしかなかったのだ。

 ところがみやびが出した精進料理は、それを根底からひっくり返した。単なる栄養補給ではなく、味わって楽しむものだと。


「調理が比較的簡単なものを、孤児達に教えると書面に一筆加えましょうか?」


 思いもしなかったみやびの申し出に、アーネストはポカンと口を開けた。

 書面の内容自体が、既に利益を度外視しているのだ。もちろんそれは孤児への報酬に加え、ロマニア正教会に対する寄付の意味もある。

 だが聖職者の為とは言え、そこまでしてくれるみやびの真意をアーネストは掴みかねていた。特殊な技術を身に付けるならば、弟子入りするかお金を払って学ぶものだからだ。


「貴方にとって、何の利益も無いと思うのですが」

「あはは、実は時間を持て余してまして」


 みやびの身も蓋もない言葉に、思わず妙子は吹き出していた。

 これまでの振る舞いを見て、みやびが子供好きなのを妙子は察していた。メイド最年少であるお付きのティーナとローレルを、まるで妹のように可愛がっているのだから。

 みやびは持て余す時間を、料理にかこつけて子供達と接することに使いたいのだろう。板前ではなく小学校の先生であったなら、好ましい教育者になりそうだ。


「妙子さん、なんで笑うのよ」

「ごめんなさい、悪気はないのよ。それよりもみやびさん、代わりに市街地の空き家をひとつ貸して頂いたらどうかしら」

「空き家を?」


 八年前の戦争で多くのスオンを失い、ビュカレスト市内には人が住まない屋敷が点在している。その管理運営を、ブラドが教会に委託していた。


「みやびさん印の醤油と味噌を生産する、拠点が必要でしょ。司教さま、如何でしょうか」


 妙子の提案を聞きアーネストは、おもむろに木箱を手にした。そして彼女はなぜか、くつくつと思い出し笑いをしたのだ。


「先触れに来たティーナがね、みやびさまのことを食の錬金術師と連呼していたの。この精進料理というものを口にして、理由がよく分かりましたわ」


 あの子は何てことを言いふらしてくれやがりますかと、みやびの顔が引きつる。だがアーネストは箱を置くとテーブルの上で手を組み、にっこりと笑った。


「このお話し、教会として歓迎いたします。南門に一番近い空き家をみやびさまに提供する旨、私も一筆加えましょう」


 これがロマニア正教会としての、正式なゴーサインだった。


「ところでファフニール」


 それまで成り行きを見守っていたファフニールに視線を移すと、アーネストは書類を指先でトントンと突いた。


「保証するくらいですもの、みやびさまを信頼しているのですよね」


 もちろんですと頷くファフニールに、アーネストは瞳を輝かせて尋ねた。


「そこまで信頼のおける方なら、スオンに相応しいのでは?」


 まるで石像のように固まってしまうファフニール。彼女の返事を待たずに間髪入れず、アーネストはみやびに視線を戻した。


「みやびさまは、ファフニールをどう思っていらっしゃるのかしら」


 聖職者に嘘をつくわけにもいかない。あんにゃろうにみやびさんと呼んで欲しくて、体がうずうずしているのだ。みやびはつい、顔を綻ばせていた。


「うん、大好き」

「あらまあ、良かったわねファフニール」


 アーネストの流し目に、石像の白い頬が見る見る朱色に染まった。

 扉に控えていたレアムールとレベッカが、視線を交わし頷き合う。


 司教さまは策士だと、妙子は心の中で呟いた。大好きなんて言われたら、ファフニールはみやびのことをスオンとして意識し始めるに違いない。

 妙子は窓から見える景色の、更に遠くへと思いを馳せた。申し込まれたら、みやびは生死を賭けた儀式に果たして挑戦してくれるだろうかと。

 だがもし二人がスオンになれば、何かが変わる。妙子はそんな気がしたのだ。

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