第14話 晩餐のやり直し
不思議な感覚だった。背を向けたはずなのに、みやびの心はファフニールに触れたがっていたのだ。
その答えが見つからないまま、みやびは別の思案をもしていた。貴賓室を出て来たものの、これといってすることも無い。さてどうしたものかと螺旋階段の手摺りにもたれ、鞄の中身を思い出してみる。
スマホは見事に圏外だったから、電源を落として鞄に戻した。
調理実習で焼いたクッキーが二十枚。
図書室に返却するはずだった本が一冊。
麻子から借りている、写さなきゃいけないノート。
「あ、そういえば二週間もノートを返せないのか。すまぬ、麻子殿」
届くはずもないが、両手を合わせて謝罪するみやび。そんな彼女の元へ、レアムールが駆け寄って来た。走ったせいなのか、メガネが鼻先までずり落ちている。
「どうしたの? レアムール」
メガネを直してあげながら尋ねると、彼女はやっちゃいましたと舌を出した。
「やっちゃった?」
「不敬罪に問われてもしかたが無いほどの暴言を吐いて来ました」
何をしでかしたのだろうかと、みやびの胸に不安が広がっていく。遅刻の件は、せっかくブラドに許してもらったというのに。
「あ、そんな顔しないで下さい。私は近衛隊の代表として、いつかは言わなきゃならない事をファフニールに言っただけなんです。みやびさんは、きっかけを作ってくれたに過ぎません」
「でも、何か処罰を受けるんじゃないの?」
「まあ最悪は、更迭でしょうか」
更迭とは重職にある者の人事処置、ひらったく言えば首のすげ替え。それは近衛隊長とメイド長代理の解任に他ならず、彼女がどんな立場に追い込まれるのか想像もつかない。
「その時は私の従者にならない?」
声の主は妙子で、気が付けば彼女まで広間に出てきていた。
「ぶどう酒飲み放題の従者、悪くないですね。でもごめんなさい妙子さま。私はリンド、死ぬまでファフニールのそばにいてあげたいの」
妙子はあら残念と言いつつも、笑顔で二人の前に歩み寄った。
「妙子さん、晩餐は?」
「私もおいとまして来ちゃったのよ。ねえみやびさん、私の部屋に寄っていかない? 調理器具や調味料を見て欲しいの。レアムール、貴方も付き合いなさいな」
一食抜いた程度はへっちゃらだが、二週間も絶食という訳にはいかない。する事も無かったし、これ幸いとばかりにみやびは頷いていた。
「レアムール、先ほどの肉と魚を私の部屋に運んでもらえるかしら」
「かしこまりました」
「あ、私の部屋からも鞄をお願い。料理に必要な道具が入っているの」
レアムールは大きく頷くと、お任せ下さいと駆け出していった。
「ではみやびさん、付いていらして」
妙子はみやびの手を取り、螺旋階段を上りはじめるのだった。
そこにあったのは、見覚えがある物。調理実習室の準備室にあった物。
妙子の部屋である
「妙子さん、これはいったい」
「ブラドさまが開いたゲートの座標、それがたまたま準備室だったのよ。私も驚いたわ、自分の母校だなんて偶然を通り越して奇跡ね」
「ええ!? 妙子さん耽美女子学園の出身だったんだ」
「裁縫科卒業よ、今では服飾科に名称が変わったみたいね。最初の頃はもう現代日本に興味津々で、夜を見計らって準備室の窓から周囲の散策に出たものだわ」
それを聞いたみやびは、心の中でまさかと叫んだ。妙子は和服しか所有していないから、着物姿で夜間に学園内をうろついた事になる。
都市伝説と化している着物幽霊の正体とは、もしかしたら妙子なのではあるまいか。だとしたら、もう笑うしかない。
「みやびさん私ね、この世界に料理の文化を広めたくて、ついブラドさまに協力をお願いしてしまったの。これはチャンスだと」
「それで準備室の備品を?」
妙子は恥じ入るような顔で頷くと、調味料や調理器具が並ぶ棚に手を添えた。
「ここにあるもので、みやびさんなら何とかなるかしら。実は私、料理はからっきしで失敗続きなの。もう心が折れそうで」
みやびはようやく理解した。これがチェシャの省略した、かくかくしかじかの詳細なのだと。直ぐさま棚に並ぶ品々に、ざっと目を通す。
「大抵の料理は出来そうよ、妙子さん。でも火はどうするの?」
ガスが無いのは当たり前としても、妙子の部屋には
「加熱なら、私に任せてちょうだい」
なるほどその手があったかと、みやびはぽんと手をたたいた。人間電磁調理器、ここに現る。もちろん口に出しては言わないが。
ちょうどそこへ、開け広げていた扉からワゴンを押したレアムールが戻ってきた。指示通りの肉と魚、そしてみやびの鞄が載っている。
「よっしゃ、まずは肉からいきますか」
着物をたすき掛けしたみやびは鞄から包丁を取り出し、肉の塊をスライスしていく。その様子を後ろから、レアムールが興味深そうに見つめていた。
「妙子さん、これは牛肉だし魚もカレイよね」
「魚介類も含めて動植物は、向こうと変わらないわよ。あとこれも使えるかしら」
棚の脇にある木箱の蓋を開け、妙子が中から籠を取り出した。そこには腸詰めとチーズに、黒くて丸くて平べったい何かが入っている。
「この世界で唯一、料理と呼べるものかしら。腸詰めとチーズは昔から羊飼いが生産していて、市場に行くと手に入るの」
腸詰めとチーズは料理の幅がグンと広がるからありがたい。けれども、黒くて丸い物がよく分からない。
「これは?」
「端的に言えばパンなのだけど、雑穀だしパン種が違うみたいで固いわよ」
妙子がどうぞと促すので、みやびは手に取り端っこを少しだけ噛んでみる。確かにこれは固すぎて、一個食べ終わる頃には顎が疲弊しそうだ。だが噛むほどに味がして、悪くはない。柔らかくする方法さえ確立すれば、ごちそうになるはず。
そんな思考を巡らせながらみやびは、はたと気が付いた。よくよく考えてみれば、突っ込みどころ満載ではないか。
「もしかして妙子さん、ずっとこれらを主食に?」
「そ、そうね。でも最近は生の牛肉もウロコ付きの魚も平気よ」
そうは言いつつも、妙子の目は死んでいる。だからこそ料理の文化を定着させるため、道具と材料集めに準備室を漁ったのだろう。
「た、卵とミルクもあるわよ。これも市場で手に入るから」
まるで取り繕うかのように、木箱から別の籠を取り出す妙子。みやびは包丁を放し、彼女の肩に手を置いた。この人はやせ我慢をしていると見抜いたからだ。
「妙子さん、ずっと食事で苦労してきたのね」
すると彼女は、否定することなく笑顔を見せた。しかし目は笑っておらず、苦労の程がうかがえる。これは美味しい料理を出してあげねばと、みやびの料理人魂に火が付いた。
切り分けた牛肉を包丁の背で豪快に叩き、塩と胡椒を振って擦り込む。次いでカレイはウロコ引きでウロコを取り、頭を落として五枚に下ろす。
その手際の良さに妙子は目を見張り、レアムールは何が起きているのかも分からずポカンと口を開けている。
「あ、このカレイ卵持ちだ。ラッキー」
カレイの腹骨をすき取り、皮を引いて身に軽く塩を振る。そしてみやびはバットを取り出すと、昆布を敷いてお酢を注いだ。そしてカレイの卵は親指大にカット。
「うん、これで下ごしらえは完了」
肉は焼くのだろうと想像できたが、魚をどうするのかは妙子にも分からなかった。最後の昆布とお酢はどのように使われるのだろうかと、ワクワクした表情を見せる。
「外部からのお客さんをもてなす時も、生肉とウロコ付きの魚なの?」
ふと浮かんだみやびの疑問に、答えたのはレアムールだった。
「いいえ、その場合は羊飼いとパン職人を雇うのが通例です。今回は急だったことと、妙子さまがお口にするので大丈夫だろうと判断されたみたいですね」
「うわひっどーい。判断したの誰よ」
「ファ、ファフニールです」
水差しの水を片手鍋に注ぎつつ、心の中であんにゃろうと呟くみやび。しかしそれでも、彼女を憎めないでいる自分がいた。
水を張った鍋にカレイの卵を入れ、妙子に指示された石台の上に乗せる。石の上でないと、周囲が焦げてしまうらしい。
「この鍋を加熱すればいいのね」
「うん、沸騰させてほしいの」
妙子に鍋を任せると、みやびはカレイの身に浮き出た水分を布巾で吸い取り始めた。塩を振ることで余計な水分が抜け、魚の旨みが凝縮されるのだ。その身を先ほどお酢を入れたバットに並べていく。
「それは何という調理法なの? みやびさん」
「酢締めって言うの。昆布を入れると更に美味しくなるんだ」
これはメモに残さなければと慌て出す妙子。そんな彼女にみやびは、後でレシピを書いて渡しますよと胸を叩く。
鍋が沸騰すると、卵が花のように開いた。そこから浮き上がって来るアクを、みやびは丁寧に取っていく。そしてアクが消えると鍋を下ろし、煮汁を九割方ボウルへと移す。
「その煮汁はどうするの?」
「使わないので捨てちゃいます」
みやびはそう言いながら、今度は醤油・みりん・料理酒を鍋に入れ、そして砂糖を大さじ一杯。更にチューブ入りのおろししょうがを一センチ程たらした。
「いま入れた調味料、計量カップを使ってないわよね。どんな比率で入れたのか気になるわ」
「基本は一対一対一なの。比率はお料理や食べる人の好みで、調整していく感じかな」
目分量で比率を決めたことに、妙子は驚きを隠せないでいた。だが料理に限らず職人とは元来そういうもの、みやびの師匠である華板が正にそうであった。
華板とは板長の別称であり、板場の総責任者。みやびは華板が調味料を計る姿を一度も見たことはなく、目分量で一発なのだ。そんな師匠の口癖が、『技術は教わるもんじゃねえ、盗むもんだ』である。
みやびはスプーンを使い、加熱され泡立っている調味液をすくって卵に回しかける。水分が程よく飛んだところで、彼女は鍋を下ろした。
「
「とても良い匂いですね」
レアムールが興味深そうに鍋の中を覗いている。
「みやびさん、煮物を先に仕上げたのには何か理由が?」
「魚卵のお煮付けは冷めても美味しいの。カレイの身はお酢が回って頃合いだからお刺身状に切って、ステーキを焼くのは最後よ」
さすが板前。仕上げる順番にはちゃんと意味があるのだと、妙子は感心しきりだ。こうして妙子やレアムールに解説を交えつつ、みやびの調理は続いた。
そして一時間後。
「みやびさん、私たちのお祈りをもう覚えたのですか!」
引っかかる事なくスラスラ付いて来たみやびに、レアムールが信じられないという顔を向ける。妙子も然りである。
「好きなことは覚えるの早いけど、苦手なことは中々覚えられないわ」
「あ、それ分かります。私もそうです」
「そんなのみんな一緒よ。さあ、頂きましょう」
クスクスと笑い合う三人。美味しく楽しい食卓は、やはりこうでないといけない。妙子はワインの栓を抜き、みやびの分だけ水で薄める気遣いをしてくれた。料理は三枚の皿にそれぞれ盛られ、全員でシェアするスタイルとなっている。
妙子は箸を使って酢締めから、レアムールはフォークの使い方をみやびに教わりながらステーキを頬張る。咀嚼する二人の動きが一瞬止まり、そして飲み込む。
「普段口にする肉と、まるで違います。柔らかいし美味しい」
「このカレイ、ただのお刺身とは別格の美味しさだわ」
そして二人は、お互い肉から魚へ、魚から肉へと手を伸ばす。酢締めを咀嚼するレアムールの表情が噛んで味わう毎に変わり、ステーキを口にした妙子は頬に手を当てていた。
「私たちが今まで口にしていた魚とは、いったい何だったのでしょう。しかもこれ、骨が一本もありません」
「みやびさん、お肉を包丁で叩いたのは筋を断つためだったのね。すごく食べやすいわ」
そんな二人の感想をにこやかに聞きながら、みやびはお煮付けもどうぞと手のひらを皿に向ける。もちろん妙子もレアムールも、期待に胸を膨らませながら口に含んだ。
「うん、これぞ日本の味。みやびさん最高」
「初めて経験する味と食感ですけど、私これ好きかも!」
こうして晩餐のやり直しは、楽しい語らいの中で終了した。
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