11話 初めてのお化粧体験

 普段は10年寝過ごし弱り切った私の介護……もといお世話をしてくれる私の可愛い従姉妹の琴ちゃんも、今や立派な大人の女性だ。わざわざ年休を使ってまでいつも私の面倒を見てくれているんだけど、社会人故にどうしても会社へ出向かなきゃいけない時もある。

 そんな時心配性な琴ちゃんは、私一人だと大変だろうと大抵私の母さんや友人のあや子を呼び出して自分の代わりに私のお世話をお願いしてくれてるんだけど……


「ふぁあああ……あー、小絃。お母さん4徹でちょっと寝不足なの。3時間経ったら起こしてね」

「ねえ小絃。お腹減ったんだけどなんか琴ちゃん作ってないの?あの琴ちゃんの事だし、あんたの為に美味しいおやつ用意してるんじゃないの?」

「……どっちかというと、こいつらのお世話をされてる気分よ」


 ソファに寝転ぶ母と、勝手に冷蔵庫の中を物色する悪友にため息を吐く私。こいつら……まったく何のためにここに来てるんだか。


「あんたらさぁ……平日だってのに暇なの?なんなの?」

「失敬ね。ホントはあたしメチャクチャ忙しいのよ?けど他でもない琴ちゃんの頼みだから、わざわざ仕事の合間を縫って様子見に来てるってのに。もうなんて言い草よあたしの娘は」

「ホントですよね。ったく。小絃、私あんたのせいで嫁から『あや子ちゃん……浮気、してないよね……?』ってめっちゃ嫉妬されてんのよ?そんな嫁の微笑ましい追求にも耐えて仕方なく来てやってるんだから感謝くらいしなさいよね」

「感謝されるような事あんたらしてるのかい?」


 私の世話する気ゼロで、ただぐーたらするくらいなら帰れと言いたい。


「まあ今日だけはいいけどね……ちょうど二人に聞きたいことがあったわけだし」

「「聞きたいこと?」」


 私のそんな一言に、ぐーたら二人はなんだなんだと身を乗り出す。


「母さん、それにあや子。二人を見込んで一つ頼みたいことがあるんだけど」

「なーに?聞くだけなら聞いてあげるわ」

「まあ、どうせ小絃の事だし大した事じゃなさそうだけど……言ってみなさいよ」

「——あのさ二人とも。私に、お化粧教えてくれない?」

「「…………」」


 その瞬間。おちゃらけていた二人の表情が凍り付く。え、何この反応……


「どしたの二人とも?なんでそんなにビックリしてるのさ」

「……あや子ちゃん。どう思う?うちの子……」

「これは……再入院が必要みたいですね小絃ママ……」

「は?」

「小絃、悪いこと言わないわ。お母さんと一緒に病院へ戻りましょう」

「頭の打ち所が相当に悪かったのかもね……しっかり検査して貰わなきゃ……」


 さ、再入院……?何故?なんで急にそんな話になる?なんで二人ともそんな真剣な顔をしてるんだ?


「ちょ、待て……待って二人とも?一体どうしたの?いきなりなんの話してるのさ?私全然なんともないよ?」

「いいえ小絃、貴女重傷よ」

「手遅れかもしれないわね……」

「いや、だから何でさ」

「「あの洒落っ気の欠片もない小絃が化粧したいとか。頭がおかしくなったとしか思えないから」」

「ぶっ飛ばすぞ貴様ら」


 こいつら私をなんだと思ってるんだ。


「だってそーでしょ?小絃ってばあたしに似て。10年前もお洒落とか全然でさぁ」

「ですね。確かこいつ、琴ちゃんの前以外だと家でも外でもジャージで平気で出歩く干物女でしたよね」

「そうそう。寝癖とか直してるとこ、琴ちゃんの前くらいしか見たことないし。髪も美容室に行くお金が無駄だからと自分で適当に切ろうとするくらい女としてアレな子で」

「酷い時は食べかすが口元に付いてようがよだれの後が付いてようが歯に青のりが張り付いてても気にもしない女どころか人としてもちょっと——」

「わかった、もういいわかったから。それ以上は言わんでいい」


 ……いや、まあ確かに昔からお洒落とかに興味はなかったのは認める。そんな私が化粧したいって言いだして、ビックリする気持ちはわからんでもないか……


「で?なんで急に化粧がしたいって言いだしたのかしら」

「へっ?」

「だからー、急に小絃が色気づくなんて何か理由があるんでしょ?一体何が原因なのよ」

「……い、いや……別に理由なんてないんだけど……ただ私も、化粧を覚えたい乙女心が芽生えて——」

「「嘘ね」」


 容赦なく嘘だと断言される私。そ、そんなに否定することはないんじゃないかね?まあ嘘だけどさ……

 急に化粧したくなった理由……確かにあるにはある。けど、この二人には言いたくないんだよなぁ……正直に言ったら絶対弄られるだろうし。


「な、何でも良いでしょ。ただちょっと興味が出てきたってだけだから。とにかくね、最初は私も一人でやってみようと思ってこっそりやってみたわけよ。けどね……これが中々上手くいかなくてだね」


 ただでさえ10年前も禄に化粧なんてしたことなかった上に、最新のコスメの使い方なんざ私にはさっぱりわからない。始めようにも鏡の前で途方に暮れるしかなかったのである。


「その点、私と違って二人は化粧に関してはプロ級でしょ?だから二人に助力を願ったってわけさ」

「プロ?いや、何言ってんのよ小絃。お母さん化粧に関しては専門外なんだけど?」

「私も公の場に出る時に必要で覚えたってだけで、別に化粧がプロってわけじゃないんだけど……なんでそう思ったのよ小絃?」

「え?だって……あや子はもうアラサー、母さんに関しては驚異のアラフィフで。私のようにまだまだ10代の瑞々しいピチピチお肌とはとっくの昔におさらばした身でしょう?化粧なくして外に出るなんて自殺行為。もはや化粧は切っても切りきれない存在でしょう?だから化粧はプロ級だと——」

「はは、小絃…………あんた、まだ寝足りないみたいね。あと10年ほど追加で病院のベッドで寝かしてあげようか?寧ろ永眠させてあげようか?今度はあたしのコールドスリープ装置無しで」

「ふふ、小絃…………良い根性してるわね。そんなに化粧がしたいなら、させてあげようじゃないの——


 小粋でお茶目なジョークだったのに、割とガチ目にキレる二人。そんなにキレなくても良いじゃないか……


「で?あんたどんな化粧がしたいのよ」

「どんな化粧……んーと……そーだね。なるべく色の濃い……いわゆる厚化粧的な化粧がしてみたいかな」

「は?厚化粧がしたい?何よ小絃そのリクエストは。ホントにそんなんで良いの?」

「うん、それで良いの。出来るかな?」


 私の要望に二人は首を傾げる。まあ、変な注文してる自覚はあるけど……無理を承知でやって欲しいんだよね。


「んー……厚化粧ねぇ。ならいっそのこと今時のギャル風にしてみましょっか」

「ほうほうギャル風ね。悪くないんじゃなかろうか。あや子、頼める?」

「任せなさい。バッチリ決めてあげるわ」


 そう言ってあや子は化粧道具を片手に、化粧を始めてくれた。



 ◇ ◇ ◇



「——はい、完成よ小絃。どうかしらこの出来は?完璧でしょう?」

「…………なあ、一つ聞いていいか親友よ」


 そして、10分後。あや子渾身のメイクを鏡の前で見て、私はあや子に尋ねる。


「なにかしら小絃?」

「これ、ホントに今時のギャル風……?」


 私がその疑問を持つのも無理のない話だと思う。出来上がったそのメイクは……異様に黒く濃いファンデーションを顔一面に塗りたくられ、目元はラメの入ったアイシャドウ。ついでに金髪のウイッグをかぶせられている。あや子曰く今時のギャル風らしいけど……

 どっちかというと10年前、いいや20年前のメイクでは?いわゆるやまんばメイクというやつでは?これホントに10年後の今時のギャルの姿なの……?


「……そ、そうよ?これが最新の流行なのよ。良かったわね小絃、普段よりも3割増しに——じゃない。綺麗になったわよ」

「おい、今本音が漏れてたぞ貴様……!?」


 ぷるぷると笑いを堪えながらそうほざく悪友。面白おかしくって言いかけなかったか?こいつ……さては私で遊びやがったな……!


「もー、ダメよあや子ちゃんからかったら。こんなんでも小絃は真剣なんだから。小絃、そういうのはお母さんに任せなさい」

「ちゃんと頼むよ……信じてるからね、母さん」

「任せなさい。超今風な別嬪さんにメイクしてあげるわ」



 ◇ ◇ ◇



「出来たわ小絃!我ながら完璧よ!」

「…………おい、おいそこの年増。これは一体なにか説明して貰おうか?」


 そうしてまた10分ほどかけて、母さんがやってくれたメイクを鏡の前で確認する私。


「誰が年増よ。って言うか、何か不満でもあるのかしら?」

「不満しかないんだが?……これのどこが超今風だと?」


 出来上がったそのメイクはさっきのあや子のやつとは真逆。顔どころか首くらいまで真っ白に染め上げられ。ついでに歯を真っ黒に……いわゆるお歯黒にされてしまった。

 10年、20年どころの話じゃない。江戸時代くらいまでファッションセンスが遡っているんだが?


「……ぷ、ぷぷ……に、似合ってるわよ小絃。だ、大丈夫……!多分琴ちゃんなら貴女のどんな姿を見ても喜んでくれるわよ……」

「せめて笑いを堪えてから言えよこのヤロウ……!」

「(バンバンバン!)ッ~~~~~!!!!」

「そして悶絶するくらい人の顔見て笑うなやそこのバカ……!」


 笑うことを隠そうともせずにヌケヌケとそんなことをほざきやがる我が母。私のメイクを見て腹がよじれる程に爆笑しやがる我が悪友。

 ああ畜生、こいつらに頼んだ私がバカだった……!


「ええい、もう帰れお前ら!化粧なら自分でなんとかするからとっとと帰れぇ!」

「ふ、ふはは……ま、まあまあ小絃。ちょっとからかっただけじゃないの」

「そ、そうよ……ぷぷっ……悪かったって。次はちゃんとやってあげるからさ」

「あんたら反省の色が見えないんだよ!?」


 そんなに笑いながら言われても全然説得ないわ。


「ごめんごめん。じゃあ今度こそちゃんと化粧してあげるわよ小絃。でも……その前に一つだけ聞かせてちょうだいな」

「……なにさ母さん」

「急に化粧がしたいって言いだしたのってさ。もしかしなくても——

「…………なんのことやら」


 母さんのその鋭い一言に、私は想わず目を逸らす。その反応が答えだって教えているようなものなのに目を逸らしてしまう。


「ごまかしても無駄よ小絃。あんたが『厚化粧したい』って頼んだ時点で、おおよその事は私も小絃ママも察したわよ。アレでしょ?その額に出来た傷、隠したかったんでしょ?違う?」

「…………」


 重ねてあや子も畳みかけるように核心に迫る。さっきまであれほどおちゃらけていたくせに。この二人はホント……変なところで察しがよくて腹が立つなぁ……!


「……バレてたの?」

「バレバレよ。てか、どうしてバレないと思ったのってレベル」

「あんたが必死になる理由なんて、9割が琴ちゃん関連の事じゃないの」

「……それもそっか」


 ……バレてたのならば話は早い。腹をくくって全て正直に話すことに。


「……多分大体察してると思うけど。この傷、この傷をどうにか隠したくて。それで手っ取り早いのが化粧をする事じゃないかって思ったんだ私」


 自分の額に指を指し、そう語る私。指さした先……そこにはばっくり割れた生々しい大きな傷跡がある。……10年前、琴ちゃんを事故から守った時に出来た傷がある。


「ふーん。小絃、あんたでもそういうの気にしちゃうんだ。寝癖あろうがパジャマで登校しようが気にしない、心臓に毛が生えてる女だと思ってたのに」

「ああ、いや。私自身はどう思われようがどうでも良いんだよ。この傷だって誰になんと言われても気にしないし。寧ろ……琴ちゃんを守れたって実感できて誇らしく思ってる」

「あー、あんたならそう言うと思ったわ。……で?じゃあなんで傷を隠したいなんて思ったのよ」

「…………それがさぁ。私じゃなくてどうも琴ちゃんが必要以上に気にしてるみたいでさ」


 と言うのも。琴ちゃんとの二人っきりの同棲生活中。私は度々、琴ちゃんの視線を感じていた。ジーッと何か言いたげに。でも言いたいのをグッと我慢しながら……それでも強い感情を込めて私のその額に出来た傷を凝視する。そんな琴ちゃんの熱い視線を何度も感じていた。

 多分琴ちゃんの事だ。『この傷は私のせいでお姉ちゃんに付けてしまったんだ、お姉ちゃんかわいそうだ』——そんなことを考えていることだろう。


「元は私が勝手に琴ちゃん庇って。それで勝手に作っちゃった自業自得な傷なんだけど。それを琴ちゃんが負い目に感じていたらと思うと……正直、申し訳ない気持ちでいっぱいなんだよ」


 だから……琴ちゃんが気にしなくていいように。化粧で隠せたらって考えて。この二人に化粧を教えてと助言したってわけだ。傷が見えなくなれば、琴ちゃんもそういう負い目とか感じなくて済むだろうからね。


「そっか。そんなことを考えてたのね小絃」

「あんたらしいわね。まあ、気持ちはわからなくもないけどね」

「そういうことなんだよ」


 私のその思いを聞いて、二人は納得した顔を見せてくる。うんうん、わかってくれて何よりだ。


「わかったわ。そーいう話ならお母さんも改めて協力してあげる。お化粧、教えてあげるわ小絃」

「私も協力してあげようじゃない。今度こそちゃんとしたお化粧講座をやってあげるわ」

「母さん、あや子……二人とも……!」


 そんな二人の心温かい申し出に、私は笑顔でこう返す。


「ありがとう、その気持ちだけでも迷惑だから謹んで遠慮させていただくね」

「「何でよ!?」」


 何でって……君たちついさっき人の顔で散々遊んだ前科があるの忘れてないかい?

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