第88話 裏のつながり
ハンスの職場だというところに来てみれば……。
そこは何のことはない。
商業施設がみっちり詰まった、どこにでもある雑居ビルだった。
レンガと漆喰で作られた三階建てのビルは、一階が商店。
二階では、簡単な魔法器具の修理屋。
三階は細かく分けられていて、あちこちに個人営業のお店が入っているようだった。
「ここです、ここ」
ハンスが指し示したのは、その一角。
扉を開けると、あまりに狭いので私もシャーロットも絶句した。
三歩歩けば壁の端から端へついてしまう。
ベランダ付きの窓が一つだけあって、そこからは下にある商店街の賑わいが見えるところだけはプラス。
「トイレは共用なんで、一階のを使うんですけど、まあ不便なのはそれだけですかね」
部屋の中心には、ぽつんと一つだけ机があって、そこがハンスの作業場だった。
なんということでしょう。
「ハンス、あなた絶対騙されてるわ」
「や……やっぱり? 誰一人訪ねてこないし、作業が終わった書類は部屋の隅に積み上げておくだけだし、おかしいと思ってたんだけど……金も一応もらえてるし……」
「今だけ楽で長続きしない仕事よこれ」
「そうなんですか!? ジャネット様詳しいですね……」
「経験者は語るからね」
完全に私と同じパターンだ。
しかも、もっとずーっと規模がしょぼいやつ!
シャーロットはツボに入ったらしく、くっくっく、と必死に声を殺して、だけど笑いを抑えきれていない。
「もう、シャーロット!」
「うふふふふ、失礼しましたわ! ええとですね。ジャネット様の仰るように、これはハンスさんは騙されていますわねえ」
シャーロットも断言した。
「ねえハンスさん。あなた、ここで働く時に、仕事の条件の他に何かを依頼されませんでしたこと?」
「依頼?」
「例えば、サインを書かされたとか」
「ああ! やたらと何枚も白い紙にサインをさせられましたよ!」
「ああ、それですわねえ」
うんうん、と頷くシャーロット。
「どういうこと?」
彼女が一人だけ状況を理解しているみたいなので、尋ねてみた。
「ハンスさんの筆跡を真似る必要があったのでしょう。そうすれば、まかり間違ってハンスさんを知る方にそれを見られたとしても問題はない。そしてハンスさんの知名度と貴族との繋がりを使って、どこかに入り込んだのですわ」
シャーロットの推理が冴える。
貴族との繋がりというのは、シタッパーノ子爵家や、私のことだ。
知名度は、貴族たちの間で笑い話として話題になった、ハンスが婚約者に化けた件のこと。
「でも、ハンスと顔が違っていたらばれてしまわない? 私とか、シタッパーノ子爵の家の人が来たら……」
「一度入り込んでしまえば、顔バレの心配が少ない職場なのでしょうね。そしてハンスさんを騙して雇い続けられるのは、常識的に考えれば短い日にち。ですから向こうも、短期決戦で目的を果たすつもりだと思いますのよね」
顔がバレにくい職場で、だけど私とのコネが使えて、自分の話題性も活かせて、短時間で何かしらの目的を果たせる場所……?
しかも、ハンスを雇うのにお金が掛かってるし、部屋を借りるのだってタダじゃない。
犯人は、これらの出費を賄いきった上で、黒字になる収入が見込めるというわけだ。
これってつまり、何か高価なものを盗み出すってこと?
入り込めて、他人に顔がバレる心配がなくて、短期間で盗み出せる場所なんてある……?
私は思考を巡らせる。
そんなの、私の心当たりには……。
……あったわ。
「分かっちゃった」
「ジャネット様も答えにたどり着きましたわね! 笑い話の種にはなりましたけど、貴族の元使用人で、あのジャネット様とも親交がある。となれば、雇ってしまうでしょうねえ、賢者の館は」
「やっぱり賢者の館かあ……!」
「え!? え!?」
ハンスだけ、何も分からずに右往左往している。
部屋が狭いんだからバタバタ動かないで欲しい。
「つまりね、ハンス。犯人はどうやら、あなたの名前とサインを使って、賢者の館に入り込んだみたいなの。なるほどねえ……。あそこならば、遺跡で発掘された貴重な物品が溢れているものね。幾つか盗み出して、裏の世界にでも流せればそれなりのお金になるわ」
違法に忍び込むには、賢者の館は恐ろしいところらしい。
遺跡の発掘物を活かした、謎の防衛システムみたいなものが今は配備されていて、先日物取りに入った不届き者は、黒焦げになって発見された。
これはオーシレイがあそこに常駐するようになってからの話。
彼、とにかく自分の所有する発掘物が減るのを嫌がるからな……。
だけど、正式に賢者の館に雇われてしまえば問題ない。
外からやって来るものを迎撃することには長けているが、内から顔見知りが出ていくことに対しては、防衛システムは何もできないらしい。
どこでその情報を知ったのかは分からないが、犯人は悪知恵が働くやつだ。
「さてハンス! 狭いお部屋でちまちま仕事の真似事をしている暇はありませんことよ! 賢者の館に向かいましょう!」
「ええ!?」
急展開についていけないハンス。
「あなたがいないと話が始まらないんだから、キリキリついてくる! 場合によったら、正式な就職先になるかも知れないんだから!」
「ええっ!?」
今度は明らかにニュアンスが違う声だったな。
雑居ビルから飛び出すと、私たちは馬なし馬車に乗り込み、一路賢者の館へ。
犯人を追い詰めにかかるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます