第86話 マーナガルム

『わふー!?』


『わっふわふ!』


 バスカーが驚き、ブランと呼ばれた白い大きな犬が応じる。

 まるで笑っているような顔をしている。

 サモエドと言う種類の犬かな?


「これは、バスカーと同じ魔獣の類ですわね。今は魔力を抑え込んで本当の姿を見せていませんけれども」


 シャーロットがブランをしげしげと眺めてから、そう結論づけた。


「ええ、そのとおりです! ブランちゃんは凄いんですのよ~」


 うふふふふ、と笑いながら、どこからともなくブラシを取り出したアリサ。

 ブランを猛烈にブラッシングする。

 幸せそうな笑顔……というか、水麻窟で見たようなちょっとラリってる笑顔だ。


 しばらく、アリサが理性を取り戻すまで、私たちは一休みすることにした。

 小一時間ほどして、満足した顔のアリサが戻ってくる。


 奥方氏がお茶を淹れてくれたので、それをいただきながら物事の顛末について聞くことになった。

 どうやら、アリサは私の故郷とは違う側の辺境に向かうべく旅をしていたらしい。

 途中でかつての仲間であったブランと再会し、そのまま一休みのつもりでエルフェンバインへ。


 伝手を通じて奥方氏と連絡を取ったものの、異教の神官であるアリサと、正真正銘の魔獣であるブランでは王都の中に入れない。

 ということで、二人のお世話をするために、奥方氏はちょこちょこと家を抜け出して来ていたということだった。


「私が彼を裏切ることはないですよ。彼が浮気したら分かりませんけど」


「そうだよねー」


 相手が浮気してるんじゃないかと疑うなんて失礼な、という向きもあるかもだけど。この国における結婚は、綺麗事ばかりじゃないからなあ。

 奥方がご主人と離縁すると、この国に住む権利を失う。

 逆に居住権を持っている側が不義理を働き離婚が成立する場合、状況を憲兵が精査の上、問題ないと判断されれば相手方に居住権が付与される。


 この辺り、法はフェアだ。

 ただし、わざと居住権を持っている側に不義理をさせるように仕向ける……そういう画策が判明したならば、悪いことをした側は罪人として裁かれることになる。

 これは男女ともに変わらない。エルフェンバインはその辺りはちゃんと厳しいのだ。


「彼はマーナガルムという種類の魔獣ですわね。魔法による広大な魔力結界を作り出し、その空間の中で太陽と月の動きを操り、強大な精霊王とすら渡り合うモフモフのわんこですわ」


『わふ!』


 アリサに紹介してもらったが、最後の一言に対して抗議の声をあげるブラン。

 もふもふした前足が、アリサの頭をポコンと叩いた。


 なるほど。

 これは確かに、王都に入れたらいろいろな意味でダメな種類の魔獣だ。

 バスカーもすっかりおとなしくなってるし。


「バスカー大丈夫?」


『わふー』


「それも仕方ありませんわ。ガルムは強力な魔獣ですけれど、それとマーナガルムでは、ワイバーンとドラゴンくらいの差がありますの。ガルムは種族の名前。マーナガルムはブランさんただ一人を指し示す、単独で完結している種の名ですのよ。つまり目の前にいるモフモフの白いワンちゃんは、神話級の魔獣ということになりますわね」


「この白くてモフモフしてて、いつも笑ってるみたいな顔をしている子が!?」


『わふ!』


 人は……いや、魔獣は見かけによらないなあ……。

 ブランからは全く威圧感を覚えることがない。


 むしろ、もふもふもこもことした見た目に吸い寄せられ、ナデナデしたくなる……。


『わっふー!』


 バスカーから猛抗議が来た!

 私の膝の上に頭をずどんと乗せて、一歩も動かせないつもりだ。


 私は仕方ないなあ、と笑って、彼をもふもふと撫でてやった。


 ブランを撫でるのはモフモフ、バスカーはもふもふで、ちょっと感じが違うんだよね。

 日常的に撫でたいのはバスカーかな。


 かくして、事件と呼べるほどのものでもなかった本件は解決。

 程なくして、アリサとブランは辺境へ旅立つことになった。


 何やら、シャーロットが前に話をしていた、宙に浮かぶ遺跡とその管理人に用があるのだとか。


「友人の子どもを見に行くのですわよ!」


『わっふ!』


 二人並んで去っていく姿は実に楽しそうだった。

 種族の差なんて感じないし、本来は厳格なはずのイリアノスの信仰、ラグナ新教の神官たるアリサがそれでいいのかとは思うけれど。


 見送りには、職員氏も駆けつけた。

 彼は、奥方氏の身の潔白が証明されて嬉しそうだ。


 不倫を疑ってしまったお詫びに、へそくりをはたいて最高のディナーを用意した、と奥方氏に囁いている。

 何もかも解決である。


「それにしてもシャーロット。どうしてブランは、鼻先に真っ白な仮面をつけていたの?」


「外から大きな犬を見られたら目立ちますでしょう? バスカーですら、王都の噂になったのですもの。ただまあ、今の王都ではジャネット様がバスカーを連れ回していますし、ブランくらいは全然気にされなかったと思うのですけれどね。まさか、エルフェンバインがそこまで魔獣に寛容になってるなんて、想像もできないじゃありませんこと?」


 ええ……。

 つまり私のお陰で、ブランは本当なら騒ぎになりそうなのを、気にされない状態になってたってこと?


 それでも念の為に、ブランは白い仮面をくっつけて、人間のふりをしてたみたい。

 それがむしろ目立ってしまってたんだけど。


 去っていく二人の姿が見えなくなった頃、一緒にいたバスカーが、私の袖を噛んで引っ張った。


『わふー』


「あらバスカー、まだお散歩し足りないの?」


『わふわふ!』


 今日のバスカーはちょっと甘えん坊さんなのだ。


「それじゃあ、私たちは散歩の続きに行くわね。シャーロット、また明日!」


「ええ、また明日ですわ!」


 かくして王都の道を駆け始めるバスカー。

 彼は私を独り占めしているこの状況に、なんだか満足げなのだった。

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