第79話 波のお悩み〜伊予はいーよ〜

「ここが伊予。」


私は駅から出てポツリとつぶやいた。


ほどよく田舎でほどよく都会。そんな感じでとてもいい街だ。


「はぁ、頑張ろ」


私は自分の頬を強めに叩いて、商談相手のお店に向かった。





 ◇ ◇ ◇






「ありがとうございました。失礼します。」


はぁとため息をつきそうになるのを我慢して、お店から出る。


今回の相手は不動産屋さんで、とても気さくな方で話しやすく、商談もうまく行きそうなのだが……。


いかんせん、疲れた。


こういうお話はクレームをつけて態度が悪い人のほうが楽な場合もある。


こちらの話が通じないことは分かってるし、応じないとすぐにわかる。なので適当に流して、帰ればいいだけ。


ただ、今回みたいに普通に良い人だと、こちらも全力で説得にいかなければならないし、頭を使う。


はぁ、あと一つ行って、その後やっと少しの休憩だ……。


私はヒールの低い靴を履いてよかったと思いながら、足を半ば引きずるようにして次の場所へと向かった。




 ◇ ◇ ◇





「すみませんでした。失礼します。」


私は深く頭を下げて、その雑居ビルから出る。


今回のところは、ハズレだった。


本気で取引する気がなく、あくまで話を聞くだけ。


こちらが一話せば、十くらい文句をつけてきて、やれ今どきの若い人はだの、これだから東京人はだの言ってくるタイプ。


こんなもんでいちいち傷つくほど私もやわではない。そりゃ、昔はいちいち傷ついていたけど、もう何年社会人やってるというのだ。流石に慣れてくる。


「はぁ、休める……」


そう言ったは良いものの、見渡す範囲に店はない。ファミレスどころか、定食屋さんも喫茶店すらない。


……まだこのあと一件残ってるから、松山に戻るわけにも行かないし。


どうしようかと悩んだところで、先程の不動産屋さんのお話を思い出す。


『最近東京から若い人がやってきてね、喫茶店開いたんだ。そこは昔それはすごいマスターがいてね、惜しまれながら閉店したんだ。それがもう一回開くって言うから、なかなか繁盛してるよ。仲介したこっちも一安心ってところ。』


そう言って、本当に嬉しげに笑っていた。


東京から若い人がやってきて喫茶店を開いた……。


「いや、そんな都合のいい話があるわけない。」


私は浮かんでくるあの人のことを、頭をブンブンと振ることで消す。


世界は会いたいときに会いたい人と会えるほど、優しくないんだ。


「けど、他に行くところもないし……。」


私は少しの期待とともに、おじさんの話を頼りに歩き始めた。


足取りは、心做しかさっきよりも軽い気がした。


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