第23話 誰からも愛されず
「大事な試験問題が漏れたら、絶対ニュースになりますよ。管理だって、厳重でしょうからそもそも起こらないと思いますし」
「普通はそう考えるよなあ。でも、医学部受験組の中でも流行ったらしいぞ、この噂。受験生って大変だな」
長田が眉を八の字にした時、表の硝子扉が開く。特徴的な兎マークのついたネクタイをした男が入ってきた。男の髪がきちんとした七三分けだけに、やけにファンシーなネクタイだけが浮き上がって見えた。
「あ、先生」
馴染みらしく、長田が軽い調子で呼びかけた。男は黙って、カウンターの少し後ろに並ぶ。初対面の灯たちを先客だと思っているのだろう。
「あ、先どうぞ」
譲ると、男は怪訝な顔をしながらゆっくり進む。
「ここ、精進料理もやってるのか? いつの間に」
男は横目で常暁を見て言った。常暁も同じ高さで見返す。
「いやあ、ちょっと事情が……」
長田はうつむいて言葉を濁す。
「俺は警察関係者だ」
長田がオブラートにくるもうとしているのに、常暁がそれを全力で突き破った。
「そうか。店長、今までありがとう」
「えっ」
「帰ったら、臭い飯の感想聞かせてくれよ」
「えっえっ」
「……あの、僕たち別にこの人を捕まえに来たんじゃないんですが」
男が勝手に盛り上がっているので、灯は口をはさんだ。
「え? そうなの、つまんね」
「それより……もしかしたら、山手塾の先生ですか?」
「俺たちは理由あって、塾の調査をしている。もしそうなら、あんたからも話を聞きたい」
「ああ、そう……ご苦労さん」
男は呆れつつも、「唐揚げ弁当ね」と長田にオーダーした。
「俺は
五位野はそう言って壁にもたれる。
「まずは、噂のことを。試験の答案が漏れてるって、聞いたことありませんか」
「へえ」
五位野は長田をにらんだ。
「しゃべったのか、あれ」
「ふへへ……思わず」
「仕方ねえなあ、黙ってろって言ったのによ。……教えたの俺だけど」
「唐揚げ一個おまけしときます」
取引が成立したところで、五位野は話し出した。
「……どっかの劣等生が作った噂だ。毎年ちらちら流れていたが、爆発的に流行りだしたのは、去年の夏だ」
「その時、なにがあったんですか」
「急に不自然なほど成績が上がった生徒がいた。正直、こいつは落ちるなと思ってたんだが」
「名前は?」
「口外するなよ」
五位野は捨てられていたレシートに名前を書いてよこす。店長に聞こえないよう、配慮しているのだ。そこにははっきり、楡木の文字があった。
「おかしな現実を見た生徒たちが噂を信じ、広めていったと俺は見てる」
「たまたま教え方が合っただけでは?」
灯が言うと、五位野は派手なため息をもらした。
「中にはそういうヤツもいるさ。しかし、こいつは型が違う」
「型?」
「うちの塾は、初歩の初歩から教えるわけじゃない。本当の馬鹿は入塾テストで切るからな。基礎はあるが、どっかで配線ミスを起こしてうまくつながらない生徒の理解を助けるのが目的だ」
五位野はそう言って、指先をつき合わせた。
「配線ミス型の生徒は、うまくやれば伸びる。もともと地盤があるからな。しかしこいつは、本当に勉強してない上に頭も悪かった」
手厳しいにも程がある。自分が言われたら、泣いてしまうかもしれないと灯は思った。
「悪いが、受験ってのにも向き不向きがある。もともと奴は、成績だけなら退所ものなのを金でなんとかしてただけだからな」
五位野の追い打ちは止まらない。
「塾じゃ無下にはされねえが、所詮は張り子の虎ってとこか」
「むごい」
「真実さ。ま、あいつも可哀想なんだけどな」
「……そいつは、どこかから試験の情報を得ていたと思うか」
五位野に向かって、常暁が聞いた。
「それがわからん。友達のいない奴だから、ネットが可能性としては高そうだが……」
「分かった。こちらで調査を続ける」
会話が途切れた。五位野は弁当を受け取って、帰りがけにふと足を止める。
「ああ……つきとめるなら早くしてくれよ。もうすぐ、国試の合格発表なんだ」
「それと事件に、何の関係がある」
「分かんねえかな。うちから不正が出たとなったら、血に飢えたマスコミがつめかけるだろ」
「……はい」
「俺は明日から一ヶ月、休暇なんだ。面倒くさいことは他人がやってくれる方がいいだろ?」
「究極の無責任男ですね」
こんなのを採用するとは、塾の経営者は見る目がない。灯は眉間に皺を寄せた。
「じゃあな」
どこまでも食えない雰囲気を残したまま、五位野は街に消えていった。
しかし調査は、五位野が期待するほどスムーズに進まなかった。楡木がカンニングした証拠も、犯罪に関わった証拠もなかなか上がらない。
一度本人を呼んで話を聞いてみたのだが、岩田との接触は認めたものの、真剣交際ではないと言い張って譲らなかった。船戸に至っては、会ったこともないとつっぱねられたという。一応話の筋は通っていたため、解放せざるを得なかった。朗報と言えば、彼にアリバイが成立しなかったことくらいだ。
刻一刻と、証拠も証言もあやふやになっていく。それを恐れる捜査本部では、楡木の任意同行を求める声が次第に大きくなっていった。
だが正則は、あくまで慎重な姿勢を崩さない。
「任意でも、引っ張るには証拠がなさすぎる。とにかく、何かひとつ決め手が欲しい」
これには金崎も同意した。
「今はマスコミも警察叩きに回りますからね。彼の身内も医院経営、間違いなくうるさそうだし……無理はしない方がいいでしょう」
かくして、任意同行のかわりに徹底的な経歴の洗い直しが始まった。すると、隣県から意外な情報がもたらされる。
「楡木が船戸と会ったことがないってのは、大嘘ですわ。一年半ほど前、喧嘩してうちらが呼ばれてます」
なんでも、お互いの車がぶつかったのだが……どっちが悪いかで揉めたようだ。
「結局、どっちに責任が?」
「五分五分ですわ。譲り合えばスムーズに入れる駐車場なんですが、我先に入ろうとして衝突。それなのにようあそこまで醜う騒げるもんやと、他の人が呆れとったくらいで」
「中身が似たもの同士なんでしょうね……」
警察が到着した時には、つかみ合い寸前。二人とも、最後まで罵り合いながら別れた。勝手に勝ち誇る二人の横で、担当警官の目が死んでいたらしい。
「よく探してきましたね」
会議でこの情報を持ってきた刑事を、黒江が褒める。彼は自慢げに胸を張った。
「楡木はワガママで怒りやすいという証言は、いくつかありましたから。過去にもなにかトラブルを起こしてないかと思ったんですよ」
正則も、この報告を聞いて眉を開く。
「決定的ではないが、材料になるな。楡木の性格なら、ずっと恨んでいてもおかしくない」
「よし、攻めましょう」
翌日、楡木のところへ刑事が派遣された。しかしその時、すでに遅し、彼は誰にも手の届かないところにいたのである。
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