第130話・サレン・バックマイヤー③

「やれやれ、無理をするもんじゃない」


 脇の下に手を入れて、レインを引き起こしながらケリヴは言った。


「イテテ……階段くらい一人で降りれると思ったんだが」

「自分が病み上がりな事を忘れちゃいかん」


 立ち上がったレインはパジャマの尻を叩きながら言う。


「足に力が入らなかった。情けない話だ」

「人間、無理は禁物だ」


 ケリヴがレインに肩を貸し、二人はゆっくりと階段を下った。二階へ降り、そのまま一階へと進み、最後の段を降りる。


「オーケー、ここからは自分で歩けます」


 レインは言い、ケリヴはそれに応じて彼から離れた。左に曲がり、その先の食堂へ歩く。昼時を外れていたので、食堂の中はガラガラだった。


 二人は窓際の席に着き、ケリヴが机の上のメニューを取り上げる。


「さてと、君は何を食べたい?」

「先に決めてください。俺は後で」

「いや、私はいつも食べるものを決めてある」


 そう言いながら、彼はレインの方へメニューを差し出す。


「そうですか、なら……」


 レインはざっとメニューに目を通し、それから向かい合って座るケリヴの方を向いた。


「貴方は、いつも何を食べてるです?」

「麺だよ。何処か遠い国の料理で、蕎麦というらしくてね」

「じゃ、俺もそれを」

「それでいいのか?」

「えぇ。どうして?」

「もっとがっつりした物を頼むのかと思っていてな」

「そうしたいのは山々ですが、あの、アレだ」


 レインはメニューを置き、席の上で、何か空中を手で探るようなジェスチャーをした。彼が何かを思い出そうとする時によくやる癖だった。


「病み上がりだから?」


 ケリヴが先に言った。レインは彼の方を指差し、笑いながら言う。


「そう、それ。病み上がりだから」

「そうか。なら、私は注文を伝えて来よう」


 そう言って、ケリヴは席を立ち、厨房の受け取り口の方へ向かう。レインはそれを見送って、一度席に座り直した。


 椅子が少し硬い。背もたれが立っているように感じるのは、恐らく彼が眠り続けていたからだろう。


 右隣りがガラス張りになっていて、そこから昼の日差しがレインに照り付けていた。外の方へ目を向けると、日光に曝された彼の瞳の奥がじんわりと痛んだ。暫く陽光を浴びていなかったせいだろう。


 薄目を開いて日光に慣れさせ、痛みが引いてから再び目をしっかりと開いた。窓の外に視線を巡らして見ると、奥の方、港の端の方に建物が見えた。


 倉庫の様に見えるそれは、海の方を向いた側の壁が打ち抜かれていて、船や、水上機の何機かを隠すのに丁度よい大きさに設計されている。


(あれは確か……)


 レインが先の作戦で乗り込んだ、シーサーペントの愛称を持つ潜水艦のドックだった。音を聞き取る事は出来なかったが、慌ただしくそのドックに人が出入りしている所を見ると、どうやらあれも幾らかの損傷を被ったらしい。


「ほれ」


 背後に低い声が掛かった。ケリヴの声だ。レインが彼の方へ身体を捩じると、ケリヴは両手に水がなみなみと注がれたプラスチックのコップを持っていた。


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