第78話・新生活⑨
「旨いな」
「そりゃどうも」
皿に持ったカレーを、一口スプーンで口へ運び、ガストンが言った。レインは一言だけ返し、黙々とカレーを食べ進める。彼にとってはいつも食べている味だ。
「今度レシピを教えてくれ」
「さっき見せたろ」
「とても覚えられん」
レインはスプーンを止め、言う。
「バイク直す手順は一発で覚えるのに?」
ガストンはスプーンを持つ手を止めずに言った。
「勝手が違う」
「あぁ、そう」
レインが眉を動かしながら言う。
「おかわり!」
アンジェが言った。レインは頷き、自身の方へ差し出された皿を受け取ろうと、左手を伸ばす。
「はっ!」
しかし、彼女は突然声を上げ、両手で持ったカレー皿を引っ込めた。レインが怪訝そうな表情を浮かべていると、アンジェは胸を張りながら、誇らしげに言う。
「自分で入れてきます」
レインは喉を鳴らして答える。アンジェが椅子から降り、リビングルームへ消えて行くのを見送った。
「それで、どうなんだ?」
ガストンが、空になったカレー皿の中へスプーンを転がし、言った。レインはカレーライスを一掬いしたスプーンを宙で止めながら、マヌケ面で口を開ける。
「え?」
「どうなんだ?」
「何が?」
「例の子との共同生活は?」
レインが、またそれか、とでも言いたげに鼻を鳴らし、スプーンを口に入れる。同じような質問を、聞き方を変え品を変え、カークやマックスには千度された記憶がある。
「言ったろ? 俺は雇われてるだけだ。それ以上の事は無い」
「旦那様宣言されたとか聞いたぞ?」
レインは今しがた口に運んだカレーを勢い良く吹き出す。
「……汚いな」
「それ、誰に聞いた!?」
「カークとかいう奴から」
「アイツは何処で知ったんだよ!?」
つくづく、噂話が広まる早さを痛感させられる。
思わず声を荒げたレインを見て、カレーとご飯をよそい戻って来たアンジェが、キッチンとリビングの境目で目を丸くして立ち尽くしていた。
「あぁ、すまん」
そう誤ったレインに対し、アンジェは小刻みに頷く。驚きが醒めないのか、手に持ったカレー皿をピンと前に突き出し、憲兵がやる様な膝を曲げない歩き方で、先程まで座っていた椅子へ戻って来た。
レインは一度溜息を付き、言った。
「別に、今までとそんなに変わっちゃいない。起きる時間も同じだし、過ごし方も同じだ。ただ、作る飯と洗濯物の量は増えたな」
「それだけ?」
「それだけだが?」
ガストンが妙に意地悪な様子で言う。レインが目を細め、訝る様に言った。
「……何が言いたい?」
「話は聞いてるんだ。この街の連中もみんな知ってる」
「すぐ忘れるよ」
「まさか。異国の民でありながら、うちの軍人を助けるために、何百キロと走り回った一般人の男」
ガストンはレインを指差しながら、言った。
「それが、お前だ」
「……まぁ、俺だけど?」
「一部の連中じゃ、英雄なんて言われてる」
「大きなお世話だ」
ガストンは口角を歪めながら、言った。
「……英雄、色を好むとか」
「まーたそれだよ」
カークもマックスも、どうせ聞きたいのはそこなのだ。レインは呆れたように溜息を付き、言った。
「何もねぇよ。寝室も分けてる」
ガストンが落胆したように肩を落とし、何か言おうと口を開く。
その時、アンジェが口を挟んだ。
「何の話をしてるんですか?」
「……あぁ、これは――」
ガストンが言い淀んだ隙に、レインが滑り込むようにして言った。
「今まさにスケベな話に持ち込まれようとしてた所」
ガストンは青ざめた表情をレインに向ける。その視線を防ぐように、レインはカレー皿を顔の前で傾け、残っていたカレーライスをスプーンで喉へ流し込んだ。
アンジェが一瞬にして赤面し、声を上げる。
「ガストンさん!? スケベです! サイテー!」
「い、いや、これはだな――」
慌てるガストンを尻目に、レインは空になったカレー皿をテーブルの上に置き、その横にオイル代を叩きつける。
「御馳走さん」
「あ! おい、レイン!」
喚くガストンを躱しながら、レインは素早くガレージに移動する。オイル交換の終えたV45マグナに跨り、エンジンを点火し、ガレージの中で見事なアクセルターンを決め、颯爽とガストンの店から逃げ出した。
背後で焦り喚く声が聞こえて来たが、レインはアクセルを煽り、聞こえないふりをする。
「ざまぁみやがれっての」
レインは言い、笑いながら帰路に就いた。
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