決意饅頭が覆う影(夕喰に昏い百合を添えて17品目)

広河長綺

第1話

昔から都会の暮らしに憧れていた樹里の部屋には、高級な絵画が飾られていた。

現代アートらしい幾何学模様の派手な絵。

白で統一された家具が並ぶ部屋で、色鮮やかに目立っている。

綺麗な部屋であるとは、思う。でも。


「都会人の部屋っていう感じではないかなぁ。どっちかというと、金持ちの部屋って感じ」

と私は率直に評した。

「えー。やっぱダメかぁ」

と樹里は肩を落とした。長い栗色の髪が、垂れ下がる。手入れは適当で枝毛も多い髪、薄い化粧の顔。本人は都会人ぶりたいようだが、そういうファッションが良い意味で田舎の人らしくて、私には魅力的に映った。

「…でも樹里はかわいいよ」

正直に言うと、「ちょっとぉー亜美ちゃん。からかわないでよー」すぐに顔が赤くなる。

しばらく二人で笑った。


村を出て雑誌の記者になった私が、故郷のここA村に取材に来て1日目。

昔から仲の良い知り合いの樹里のところからインタビューを始めたが、公私混同の果てに、10分後には、ただの思い出おしゃべりの場になってしまっていた。

10年ぶりに話すとは思えない、和やかな空気だった。


そこからさらに、親友との雑談が続いた。

私がこの村を出て東京で雑誌記者になってた頃、この村にのこった子たちがどこで働いて誰と結婚していたのか。

数か月前から飼い始めていたペット。昔小学生の時に「また会おうね。それからはずっと一緒にいよう」と約束した思い出。殺人事件担当記者である私の上司の愚痴。

話は尽きない。


気が付くと、窓から見える空が赤くなっていた。

もう夕方だ。田舎の夜は本物の闇になる。東京に慣れてしまった私には、夜道を歩くのは怖い。

「あぁそろそろ帰らないと」

「だね」樹里は首をかしげた。不思議そうに尋ねる。「っていうか、亜美ちゃんは仕事の話はしなくていいの。取材のために村に帰ってきたんだよね?」

「そうだったね。なんかせっかく楽しいおしゃべりしてたのに、最後に取材するの、後味わるいっていうか」

「それが仕事でしょ」

私は苦笑しながら頷いた。「それもそうだ」

「雑誌記者の仕事、嫌いなの?」

「ううん」と私は嘘をついた。


「ここはね、亜美ちゃん」樹里は私に、じっくり語りかけるように言った。「確かに普段はよそ者を入れない閉鎖的な村だけど、何か事件があったら警察でもマスコミでも積極的に受け入れて、優しく接する。その結果、この村はものすごく田舎なのに風通しがいい。だからあなたのことも歓迎してくれるよ。遠慮せずにきいて」

「…ねぇ」

「おっ、ついに質問くる?どうぞ」

「なんでそんなに村の風通しよくできるの?」

樹里は脱力して、下を向いた。「がくっ。そっちかい。」

「純粋に気になって。田舎はどうやったって閉鎖的になる。なのにここはそうはなっていない。この家にくるまでの軽い取材で、感じたの」

「それはね、決意したから」

「決意?」

「昔ね。村人全員で決意したの」とても誇らしい武勇伝を語るような口調で、樹里は言った。「この村を風通しの良い村にするってね。だから今、住み心地のいい村になってる」

「へぇー。ちゃんと努力したんだね」

私は素直に感心した。


「この村人はね、みんな決意したらやり遂げる人ばかりなんだよ」

「…殺人でも?」

「いいねぇ」私のツッコミに、ニヤニヤ笑った樹里は、どこか不快感を楽しんでいるようだった。「マスコミらしい、意地悪な質問。質問の答えはね、、、たぶんそう。ここの村人はなんだって決意したらやり遂げると思うよ」

「…じゃあ最後に質問。一昨日の夜7時ごろ、つまりわが社の雑誌記者の大道雄太さんがこの村の山道の交通事故で死亡した時、樹里ちゃんはどこで何してた?」

「おおアリバイ確認。ミステリードラマみたいでカッコいいね。私はアリバイないです。一人でこの家にいたから。証明してくれる人はいないね」

「質問は以上です。ご協力ありがとうございました。」

私が頭を下げると、

「こちらこそ。久しぶりに亜美ちゃんと話せて嬉しかったよ。じゃあね。次はお仕事関係なくしゃべろうよ」と樹里は笑った。


樹里と別れて、民宿まで歩いている間、しばらく私は一人でニヤニヤしている不審者状態だった。

気心の知れた相手との久しぶりのリラックスした雑談の余韻に浸っていた。

しかし、数分でその笑顔は消え失せた。


ずりっ、ずりっ


何かを引きずるような音が背後からしたからだ。

背筋が一気に冷たくなり、足が硬直する。すり足のようなぎこちない動きで振り返る。


何もいない。

田舎の道なので、道の両脇はコンクリートが剥がれ、雑草が茂っている。その中に何かいるのか。

調べようとすると、スマホが震えた。


「もしもし」

「どう?取材は?」

上司からだった。


「順調に話をきいていますが、殺人とは思えなくて」

「じゃあ、嘘をかけ。こっちとしては、田舎の閉鎖的な村で殺人がおこった。村人全員で嘘をつき、殺人犯をかばっている。やっぱり田舎はクソだっていう記事が書きたいんだよ」

怒鳴るような勢いで、上司の苛立ちが滲む声が聞こえてくる。

「はぁ」

「それくらいやってくれよ」上司は受話器越しでも聞こえるように、大げさにため息をついた。「何年目だよ、全く。先日死亡事故でウチの記者が死んだし、その前にも匿名のタレコミで5人もそこの村に取材に行く羽目になってるんだ。嘘でも記事を作らないと、わりに合わない」

「あの」

言おうとした。もうやめたいと。これ以上殺人事件担当記者として嘘を書きたくないと。

辞意の伝え方を昨日の夜に5回くらい練習したのを、思い出す。

「なんだ」

「…えっと取材はあと何日すればいいでしょうか」

「明日の夜に帰ってこい」

「分かりました」


通話が切れて、顔を上げると、「決意したらやり遂げよう」という道端の看板が目に入った。村の標語だろうか。さっきの「決意」についての会話を思い出す。

私は、「今仕事を辞めたら、同僚の負担が増えて、職場でたくさん陰口叩かれるんだろうな」というどうでもいいことが気になって、簡単に辞職の決意が揺らいでしまう。

かたやこの村では決意したことは絶対やるらしい。なんてカッコいいのだろう。

村人と比べて自己嫌悪を感じながら振り返ると、あのキモい音はしなくなっていた。



宿に帰ると、一人で宿を経営しているおばあさんが玄関で出迎えてくれた。

自己嫌悪が顔に出ていたのだろうか、おばあさんは「心が疲れていますね。ご飯をお食べればマシになりますよ」と部屋まで案内してくれた。

シンプルな言葉の優しさが、心に沁みる。


襖をあけたとたん、和食特有の醤油と味噌の香りがまざった、美味な匂いが充満していることに気づく。上着を脱ぐのも忘れて、私は夕飯にかぶりついた。

おばあさんの得意料理というハマチの刺身と豚汁の和食セットは、故郷の味がした。

味付けは薄いのに、素材がおいしい。

クソみたいな仕事とはいえ、故郷に戻れたのは良かったという気持ちになってくる。


美味しいものを食べただけで、気分は上向く。おばあさんの言うとおりだった。



あの「ずりっ、ずりっ」という奇妙な音を再び聞いたのは、食後のデザートが運ばれてきたころだった。

プリンを口に運ぶ手をとめ、窓辺に行く。

夜なのでカーテンも閉めているのだが、その向こうから確かに聞こえてくる。

今日の夕方に聞いた音だ。


私は意を決してカーテンを開けた。

そして見てしまった。

宿屋の前の細い道を、怪物が這っているのを。

それはかろうじて人の形をしていたが、裸で、肌の色が不気味なほど白く、なにより動きが四つん這いで体を引きずっているように見えた。


「ひぃい!」

悲鳴とともに、しりもちをついてしまう。その拍子に夕食の食器をかやして割ってしまった。


「いかがなさいましたか」

宿屋のおばあさんが、駆け付けてきてくれた。

「あの、あの、道を変な人?が這っているんですけど」

「ああ。あれは金石さんね。昨日亡くなったから、霊安室から出てきて畑を見に行ってるんですよ」

当たり前の光景を見ているかのような口調だった。

「なんで、ですか」

「だって畑を見に行くって1週間前に、決意してたから」


――この村では、決意は絶対なんだよ


鼓動がだんだん速くなるのを感じる。

樹里の言葉が今さらながらとてつもなく不気味に思えてきて、息が、うまく吸えない。


私は慌てて宿を飛び出した。

荷物も取材データもほったらかしだが、もはやどうでもいい。

これ以上この村にいたら危ない。

本能でわかる。

でも宿を飛び出した私の足は3歩で止まることになった。


宿屋の前に樹里が立っていたから。

「よっ。どうしたのそんなに慌てて」

と首を傾げている。

その背後を、金石さんがズリズリと這っている。


「この村は何なんだよ。やっぱり異常だ。死亡事故も、実は殺人だったんでしょ!!」

「だから決意が絶対なんだよって言ったじゃん」バカな子供に言って聞かせるように、樹里は言った。「この村が普通じゃないっていうのは、最初から言ってるでしょ」

「だからって、死んでも決意したことはやるっていうの!?」

「この村はね、土着の神様が強力でね。饅頭供えてお祈りするだけで、人を呪ってくれる。より正確に言えば人の行動を言霊で操れるんだ」

「呪いなんて、非科学的な」

「これ見ても、科学気にする?」と言って、樹里は背後の金石さんを指さして笑った。


「それは…じゃあ、死亡事故も呪いなの」

「人を呪わば穴二つ。この村の呪いは他人には使わない。全て自分にかけるんだ。ダイエットのためにお菓子を我慢すると決意したら、お菓子を食べない呪いを。テスト勉強頑張ると決意したら、勉強するという呪いを自分にかける。そうやってこの村は呪いを平和利用して、決意したことをやり遂げ、幸せに暮らしてるの」

「じゃあ、あの事故は!」


「殺人だよ。そして犯人は亜美ちゃん、あなたです」と樹里は静かに告げた。


「私!?」

「亜美ちゃんは匿名でこの村の取材依頼を会社の同僚にかけた。そしてその同僚が村に来る前に摂取した食べ物に、微量の睡眠薬を混ぜた。ガチで飲ませたらバレるからね。もちろん微量だから、すこし注意力が落ちる程度でしょ。確実に交通事故を起こすとは限らない。でも失敗したら同じことをもう一回すればいい。その結果、やっと先日の5回目の挑戦が成功して、記者が事故死した。そんなとこでしょ」

「私はそんなことしてない!!」

「もちろん覚えてないでしょうね。これは呪いの結果だから」


私も私自身を呪っていた?いつ?

――また会おうね。それからはずっと一緒にいよう。

小学生の頃。私はと再会を約束した。それは覚えていた。でも、どんなシチュエーションだったかまでは。

その時、脳裏に、赤い布が思い浮かんだ。そう、これはお地蔵さんが首に付けている涎掛けだ。

そういえば、お地蔵さんの前だったような。

そして、私との手にはお饅頭が…


「思い出した?」

回想を終えた私が前をみると、樹里が私の顔を覗き込んでいる。心底嬉しそうに。

「亜美ちゃんが自分にかけた呪いは、私と再会することだったんだよ。だから亜美ちゃんは同僚をこの村で殺した。この村で殺人事件が発生すれば、事件が起きた時はマスコミを受け入れるという村のルールにより、殺人事件担当記者の亜美ちゃんはこの村に入れるからね」

そう言って私を抱きしめた。


私は茫然と抱きしめられながら、「いつからだろう」と考えていた。

いつから呪いに縛られていたのか。

思えば上京した後に、なぜ雑誌記者になったのか思い出せない。殺人事件担当記者になったのも、このトリックでA村に侵入できるからではなかったか。

私が自分の意思で決めたことなど、今までの人生で何もなかった気がしてくる。


ただ一つ確かなのは、もう雑誌記者でいる意味などないということだ。

私は抱きしめられたままスマホを取り出し、上司に電話をかけた。

そして開口一番に「今日で雑誌記者やめます」と告げて切った。何か怒鳴っていた気もするが、どうでもよかった。


抱きしめるのをやめた樹里が、「今からは、ずっと一緒に私の家で暮らそうよ」と言った。

私は頷いて、樹里と一緒に帰り始めた。


もう私はこの村からは出ることはできないだろう。

その「決意の呪縛」が今はとても心地よかった。

悩みも苦悩も消えるなら、呪いに縛られた人生も、きっと悪くない。

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決意饅頭が覆う影(夕喰に昏い百合を添えて17品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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