第16話
※
「イーサームっ!」
「どわあっ! ぐ、ぐるじ……首、締め……」
俺は背後から抱き着かれるようにして、何者かに窒息死させられかけていた。
この馴れ馴れしい態度からして、これは間違いなくアイツの仕業だろう。
「んーーーっ! げほっ! けほっ……。何するんだよ、フィーネ……」
振り返ると、案の定そこにはフィーネがいた。ししし、と口元に手を当てて、悪戯っ子らしい演出で笑っている。
フィーネがメイドらしく仕える姿勢を見せたのは、最初に出会った時だけだったようだ。バリーがそばにいないのをいいことに、俺に絡んでくる。まあ、あんまり嫌ではないが。
今は、地球時間換算で夕方に差し掛かっている。クリスの言う『緊急会議』とやらが、随分と長引いたのだ。
「で? お前はここで何やってんだ? 皆に休息を取るようにって、バリーが言ってただろ?」
「キュリアンに頼まれたにゃ。あの子は今、ホバークラフトに付着していたタールの一部の解析作業中。だから、そのお手伝いにゃ」
「だったらどうして俺に絡む?」
「どうしても何も、あたしはイサムのことが気に入ったのにゃ!」
「は、はあ? お前、いっつもバリーにくっついてたじゃないか」
「今日は特別! イサムがバリーよりもバシバシ指示を飛ばす姿がカッコよかったから、今日だけあたしにハグされる権利を授与するにゃ!」
『いらん!』と拒むのは簡単だっただろう。だが、俺もあのタールとの戦闘を経て、不安を感じている。一人でいるのは心細いということは、認めざるを得ない。たとえここがスペース・ジェニシスの内部であり、地表から一千メートル上空を航行中だとしてもだ。
「じゃあ、飲み物を何か奢ってやるよ。どこか落ち着いて話せる場所に行こう」
「さっすがイサム! 気前がいいにゃ!」
「そいつはどうも」
こうして辿り着いたのは、ブリッジ直上にある観測室だ。が、観測室とは名ばかりで、正面がガラス張りになっている展望室と言った方が正しい。
フィーネは両手を握り合わせ、思いっきり伸びをした。
「う~ん、やっぱり宇宙は広いにゃあ」
「そうだな」
適当ながら、相槌は打っておく。今一人でいるのは、やはり心細い。
「フィーネ、キュリアンの手伝いはいいのか? 誘っといて言うのもなんだけどさ」
「んにゃ? ああ、大丈夫だにゃ。あたしの力が必要なら、すぐに連絡してくれるにゃ」
ぴょこぴょこと動く猫耳。ううむ、フィーネ本人の顔の造形が愛らしいこともあって、これはなかなかの破壊力だな。
「でも、キュリアンはご機嫌斜めだにゃ」
「あー……。まあ、確かにそうだろうなあ。俺から直接謝っておくか」
俺の指令通りに発射されたメーサー砲は、謎の惑星地表部の半径三百メートルを焼き尽くした。草一本生えてはいないし、タールの侵食を受ける気配もない。
俺はこの惑星に、岩石しかない無の空間を出現させてしまったのだ。
キュリアンが不機嫌なのは俺から見ても分かっていたし、理由も明白だった。
『メーサー砲で焼き払うことがなければ、もっと多くのタールのサンプルを収集できたのに』――そんなところだろう。
「ところでフィーネ、お前、飲み物は何がいい?」
「グレープフルーツミックスだにゃ!」
長い名前だな。俺は缶コーヒー一択だが。
並んで自販機(地球ではもはや旧式らしい)の間のソファに腰かける。
「うあ~、この酸味と苦みを内包した甘さが絶品にゃ!」
「果汁零パーセントだけどな」
「そういう夢のないことを言うもんじゃないにゃ!」
軽い猫パンチを食らいながら、俺は適当に腕を振ってそれをいなした。
だが、それが緊張を解きほぐすための行為であることは、俺には明白だった。
「で? 俺に何か話があるんだろ? 本題は何だ?」
「んにゃ? 本題?」
「おいおい、忘れんなよ……」
眉間に手を遣る俺を見て、フィーネは『冗談! 冗談にゃ!』と言って取り繕った。
「少しデリケートな話になるにゃ。イサムは――」
「平気だ。続けてくれ」
少しばかり、フィーネが息を吸う間が生じた。
「イサムの子供の頃の話は、実はあたしも聞いてたんにゃ。盗み聞きみたいで、なんだか……ごめんなさい」
「なんだ、そんなことか」
「にゃにゃ?」
「皆に話そうとして、機会を逃してたんだ。フィーネはもう知識として了解してくれたわけだな? 俺の過去を」
「そうにゃけど……」
「いや、それでいいんだ。で? それがどうした?」
すると、フィーネは視線を落とし、彷徨わせた。らしくない所作だな。
「実はあたし、この船に配属される前の記憶がないのにゃ」
「あー、それはよくあること――って、はあ⁉」
何を言ってるんだ、コイツ?
「んなまさか……。お前にも家族はいるだろう? 父親は? 母親は? そうでなけりゃ、親戚筋の誰かに育てられた、そうだな?」
「それが分からないのにゃ」
俺の強引な口調にも関わらず、フィーネは淡々と答えた。
「じゃ、じゃあ、最初に見た景色は? そこではどんな音がして、どんな人がいたんだ?」
「いっぺんに訊かないでくれにゃ! でも、どこからが最初なのかも分からないのにゃ」
「お前……」
俺はぐっとフィーネの肩を掴んでいたことに気づき、慌てて手を離した。
記憶喪失のまま宇宙戦艦に乗せられ、『何故か』知識のあった精密機器担当として、現在に至っている。猫耳にメイド服姿でムードメーカーを演じてはいるが、彼女本人がそこに喜びを感じているか否かは不透明だ。
「ど、どうかしたのかにゃ、イサム?」
「お前、キュリアンに何か言われなかったか? 頭をぶつけて記憶が飛んでるとか、アル中になって脳に障害が起きたとか……」
「むっ! あたしはお酒なんか飲まないにゃ! 脳にも異常はないことは、キュリアンのお墨付きだにゃ!」
「そ、そうなのか」
俺の恐れが、むくり、と胸中で蠢いた。エリンと話した時に感じた疑念――メイドたちはアンドロイドではないのか? という問い――が、その鎌首をもたげたのだ。
「おいおい、冗談じゃねえぞ……」
「ん? またまたぁ、イサムはいったい何を悩んで――」
とフィーネが言いかけた、その時だった。
《フィーネ、ちょっとわたくしのラボにおいでくださる? もしそばに誰かいらっしゃれば、手伝いに来るように伝えていただけるかしら?》
「へいへい、こちらイサムだ。フィーネと一緒にお前のラボに向かう。少し待っててくれ」
《あら、イサム! 随分と無茶をなさる殿方ですわね! 構いませんわ、フィーネとご一緒に》
「了解だ」
俺は缶コーヒーの残りを飲み切り、ごみ箱に放り込んだ。――誰が『随分と無茶』をしたんだよ。自覚はあるけどさ。
※
無言で廊下を歩くこと、約五分。
俺とフィーネは、今はキュリアンに独占されているラボの前にいた。
「にゃにゃーん、フィーネだにゃ。イサムも来てくれたけど、入ってもいいかにゃ?」
《待ってましたわ、お二人共。今ドアを開けますわ》
がしゅん、といってドアがスライドし、やたらと広いラボ、もとい化学解析室の全貌が露わになる。
ちょうどこちらに背を向けるようにして、キュリアンはコンソールに向かっていた。今はナース服の上から白衣を羽織っている。これはこれで様になってるな。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「今拳銃はお持ちかしら?」
「ああ。実弾のオートマチックを一丁」
「十分ですわ。イサムには警備員をお頼み申します」
「警備員?」
眉根に皺を寄せる俺に向かい、キュリアンはくるりと振り返った。
「これから、一旦冷凍保存していたタールを解凍し、分析しますわ。その際に、何らかの危険な現象が起こらないとも限らない。どの程度通用するかは分かりませんが、怯ませるのに適当な火力があれば大丈夫でしょう」
「フィーネはどうする?」
「あたしは単純に、ものを取ってきたり、配置したりするのが役割にゃ。キュリアンとは馬が合うから、頼まれたのにゃ」
馬が合う、ねえ。……って、ちょっと待て。
「フィーネ、お前は記憶喪失なんだぞ? どうしてキュリアンと馬が合う、なんて分かるんだ?」
「うーん、勘かにゃあ」
「……まともに質問した俺が馬鹿だったよ」
俺が拳銃に初弾を装填したのを見届けてから、キュリアンは奥の冷凍庫から透明な立方体を取り出した。ふわり、と白い冷気が漂い出る。目を凝らすと、その立方体の中に四方が二十センチほどの黒い物体が入っていた。
「それが、タールか……」
俺に頷いてから、キュリアンはゆっくりと、何重にも及ぶロックを外し始めた。大きめのピンセットで、凍りついたタールを取り出す。
それから二、三の実験器具の名を口にし、フィーネに取ってもらった。
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