第14話
「まったく、あれで本当に士官学校主席卒業かよ……」
ふーーーっ、と息をつくと、また袖を引かれる感覚。
「どうした、エリン?」
「ありがと」
「は?」
「惑星の観測任務」
ああ、俺が最初に立候補したことか。
「お前も観測したかったのか、あの惑星?」
こくり、と頷くエリン。
「皆、さっきの戦いで疲れてるから、私が」
「そう、か」
呟くと同時に、俺は無意識にエリンの頭に手を遣っていた。エリンはそれをぼんやりと見上げる。
何となく手を載せやすかったのだ。エリンは俺より頭二つ分は背が低い。歳はいくつぐらいなのだろうと、再び考えてみる。俺は十七歳でユメハたちは同い年くらいに見えるが、エリンはやはり七、八歳といったところだろうか。
「さて、と」
俺は一人掛け用のソファを二つ引っ張ってきて、艦長席の脇に並べた。
「まあ座れよ、エリン。えーっと、ディスプレイの切り替えは……これか」
俺はメインディスプレイに、地上の映像を拡大表示した。これなら、リラックスしたまま眺められる。随分昔の『映画館』とやらで、でかいスクリーンを見上げるのと同じ要領だ。
「座らないのか、エリン? 突っ立って八時間も観ていられないだろう。椅子もあるから――」
と言ってそちらに顔を向けかけた直後、俺の頬に柔らかい感触がもたらされた。
「……」
「……え? あぇ? えぇえ⁉」
俺は驚きのあまりソファから跳び上がりかけて、しかしその前に硬直してしまった。
い、今の感触って、もしかして唇だったりするのか? キスか? 接吻なのか?
「なっ、ななななんで⁉ お前、自分が何をしたか分かってんのか⁉」
「嫌、だった?」
「そ、そんなことはないっていうか……それよりびっくりしたっていうか……」
先ほどコンソールに向かっていた時とは違い、随分と稚拙な喋り方をするエリン。いや、こっちが素のエリンなのだろう。
「ど、どうしてお前、俺なんかにキ、キキ、キスなんて……」
「……さっき、私を人殺しにしないでくれたから」
「えっ……」
俺の頭から急速に血の気が引き、落ち着きが戻ってくる。
確かに俺は、拳銃を構えたエリンの腕を掴み込み、狙いをずらしてはみたが。
しかし、そんな俺の無茶のせいで、ユメハは負傷したのだ。それを考えたら、俺の行動は決して褒められたものではない。衝動的で、冷静さに欠ける行為だった。
「エリン、もう一度訊くけど、どうして俺に、その、キスなんかしたんだ?」
「……」
「お前に信頼されるのは嬉しいさ。でも、そのために別な仲間が傷ついたんだ。そんな向こう見ずな奴に、こんな形で愛情表現をするもんじゃない」
「お父さんが……」
「ん?」
「お父さんが、私によくしてくれたから。キス」
ああ、そういうことか。エリンにとっては、キスをすることが親しみの情の表現なのだ。
だがそれは、世間一般で言ったら、単なる親密さの表現ではなく愛情表現だ。俺とエリンはそういう仲ではない。
俺は今日何度目かの溜息をつき、エリンの手の甲を握ってこう言った。
「なあエリン。いいか? そういう愛情表現は、本当にお前のことを守り切れる人間に対してするものなんだ。俺はそれに値するような人間じゃない。だから、止めるんだ」
すると、エリンはぱっと目を見開いた。
「イサム、いい人なのに?」
「ああそうだ――じゃない! 前提が間違ってる! 俺はいい人なんかじゃないから、もうあんなことはするな」
「あんなこと?」
「ん……キ、キスとかだ」
「むぅ」
おや。拗ねてしまったのか、顔を逸らすエリン。俺はふっと短く息をついて、自分の過去を話して聞かせた。リュンにしたのと同じ話だ。
「イサム、お父さんとお母さん、いない?」
「まあ、実質そういうことになるな」
「……可哀そう」
そう呟くと同時に、エリンの目から透明な雫が頬を伝っていく。俺の口から、どはあ、と大きな吐息が漏れる。
「おいおい、同情ならやめてくれ。貰いすぎて売るほどあるんだ。この前言ったろ? そんなに変な顔してたら、せっかくの美人が台無しだぜ」
「ん……」
「おおっと、睨むなよ。ほら、涙拭け」
俺はハンカチを取り出して、エリンに押しつけた。
「私も、話していい、イサム?」
「ああ、構わねえよ。だけど、言いたくないことは言わなくていいからな」
俯いたエリンは、ぽつりぽつりと話し始めた。
※
エリンの記憶は、なんと母親の胎内にいる頃から存在していた。確かにそういう人間もいることは知っている。だが、まさか自分が出会うことになるとは。
しかし、エリンの語る内容には妙な部分があった。
「周囲が透明だった? 母親のお腹の中から外が見えた、ってことか?」
「うん」
「そんなまさか……。透明人間なんているわけじゃなしに」
「でも、本当。私は手足を縮めて、待ってた」
「待つ? 何を?」
「身体が出来上がるのを」
「……は?」
身体が、出来上がる? 人間なんて、製造されるものじゃねえんだぞ。
製造と言えば。確かに、クローン技術の発達には目覚ましいものがある。しかし、未だに人間のクローン製造は、どの人類居住地(惑星・衛星・コロニー含む)でも認可されていない。
エリンがクローンなりアンドロイドであり、こうして実戦投入されることなど、万に一つもあり得ない。
「な、なあ、エリン? 小さい頃に頭を打ったり、意識を失ったりしたことはないか?」
「ない」
「そ、そうっすか」
それでも、記憶が混濁しているのは確かだろう。出産の際に見た光景を、胎内で見たと勘違いしているに違いない。
そう。その通りだ、イサム・ウェーバー少尉。自分の判断は正しい。間違っているのはエリンの方だ。
と、自らに言い聞かせてみたものの、俺は心臓のあたりに違和感を覚えた。心理的な意味でだ。
「エリン、お前のお父さん、どんな人だったんだ? 今も元気か?」
「今は、よく分からない。どこで何をしているのか」
「そう、か」
「でも、地球時間換算で毎月メールをくれる。内容はおんなじだけど」
よかった、存命なのか。地雷を踏んだかと思ったぜ。
「お父さん、いっつも白衣を着てた。それと、胸元にバッジを付けてた」
「バッジ?」
「うん。軍隊に関わるバッジ。他の人が付けてるのは、見たことない」
「ふむ」
生憎、エリンはバッジの細かな形状を覚えてはいなかった。だが、白衣で軍の、それも限られた人間にしか装着を許されないバッジを付けていたとしたら、エリンの父親は一際優秀な科学者だったのではないか。
「でも、それならエリン、お前はどうしてこんなところにいるんだ? 軍事訓練まで受けて」
「え?」
今度はエリンが戸惑う番だった。
「聞いたところ、お前のお父さんは極めて優秀な人物だ。金なんていくらでも持ってただろう。それなのに、娘を軍に、それもこんな最前線に立つ部隊に入隊させるか?」
「それ、私が頼んだ」
「は?」
形勢再逆転。エリンは、自ら志願してこの任務にあたっているという。
「お、おい、冗談よせよ。こんな危険な任務に、愛娘を放り込む父親なんていねえぞ?」
「お母さん。この任務が済んだら、お母さんに会える。お父さんが言ってた。お母さん、私を産んでくれた人」
「その……、お母さんとは会ったことはないのか?」
「ない」
あまりにはっきりと言い切られ、俺はしばし言葉を失った。
「エリン」
「うん?」
「お前、寂しくはないか?」
「慣れてる」
「無理をするな。寂しいって顔に書いてあるぞ」
「ほんと?」
「じょ、冗談だよ、冗談! そういう言い回しがあるんだよ!」
「一つ、勉強」
「ああ、そうだな」
そろそろ会話を打ち切って、映像観察に勤しむとするか。そうでないと、エリンのみならず俺まで寂しい感情に囚われてしまう。
「あー、エリン、もし俺が眠っちまったら起こして――」
と言いかけて振り向くと、エリンはいつの間にか寝息を立てていた。
すぅすぅと、穏やかな寝息が聞こえてくる。
「ったく、仕方ねえな……」
俺は身近にあったブランケットを拝借し、エリンの肩にかけてやった。
「でも、まさかこんな子供が……」
俺の脳裏に、先ほどの戦闘場面がよみがえる。
メイドたちは必死に戦っていたが、どこか冷めた雰囲気を纏っていやしなかっただろうか? 他人の生き死にに頓着しない、一種の非情さがなかっただろうか?
それに、エリンほどの子供が、どうして銃把を握らねばならなかったのか?
「まだ義務教育期間中だろうにな……」
今回の任務に対する疑問が、俺の胸中に生じつつあった。
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