第9話

 が、しかし。


「止めなきゃ……」

「ん? どうした、イサム?」

「止めなきゃならないんだ!」

「あっ、おい!」


 バリーを無視して、俺は駆けだした。流石に疲弊したのか、ユメハの息は上がっている。追いつくのは容易だった。


「止まれユメハ、命令だ!」


 この一言は効いたらしい。『命令』という言葉に、ユメハは立ち止まって振り返り、踵を合わせた。

 しかし、俺はその姿を見て後悔した。


「どこかお怪我をなされたのですか、イサム様!」


 一歩、また一歩とこちらに近づいてくるユメハ。その短いスカートからは血が滴り、エプロンは赤と紫色に染まり、頬には点々と返り血が付着している。


「う、あ……」


 俺はジリジリと後退した。そして、思ってしまった。『怖い』と。

 教えてくれ、ユメハ。お前、それで平気なのか?

 人を殺したんだぞ? 軍人でもないくせに。

 それを、何とも感じていないのか?


「イサム様、私はこの死体から弾倉を拝借し、データ集積室に参ります。散発的ですが銃声が聞こえますので。緊急のご用件でなければ、今しばしお待ちくださいませ」


 丁寧にお辞儀をするユメハ。だがそこに浮かんだ笑みは、俺には悪魔のそれに見えた。

 俺がぺたん、と床にへたり込むのをよそに、ユメハはくるりと半回転。新しく拾い上げた自動小銃を手に駆けていった。


「おい、イサム」

「……」

「イサムってば」

「どわあっ! あ、あぁ、バリーか」


 肩に手を載せ、自らもしゃがみ込むクリス。


「今頼りになるのは、僕たちより彼女たちの判断力と戦闘力だ。お前の出る幕はない」

「だ、だって! お前も見ただろう! あんな女の子が、これほど残酷なことをするなんて!」

「どうやら彼女たちも訳ありらしい。今の僕たちにできるのは、彼女たちからの『敵性勢力殲滅』の報告を待つことだけだ」

「しっ、しかし!」


 するとバリーは、やや強めに俺を小突いた。


「今飛び出して行ったら、彼女たちの邪魔になる。それくらい分かるだろう?」

「そ、それでも、彼女たちを止めなくていい、って理由にはならない……。ならないんだよ!」

「おい、待てって言ってんだろうが、イサム!」


 俺は血まみれの床に手をついて立ち上がり、再びユメハを追いかけた。


         ※


 息を切らす間もなく、銃声が聞こえてきた。データ集積室が近い。俺はさっき拾った拳銃を握り、また匍匐前進で接近を試みた。

 しかし、銃声はすぐに止んでしまった。俺がやや腰を上げ、データ集積室のあるフロアに入ると、そこにいたのは――。


「むむっ! イサム様! ご無事ですかにゃ?」

「ああ、フィーネ。状況は?」

「ご覧の通りですにゃ」


 その言葉に、俺は彼女の肩越しに様子を見た。


「たっ、頼む! 許してくれ! 命だけは、どうか……!」


 敵の一人が生け捕りにされたらしい。といっても、拘束されているわけではない。

 それよりも酷い。武装解除の上うつ伏せに寝転がり、背中をリュンに踏みにじられている、という状況だ。


「リュン! 状況を説明してくれ!」

「敵だから蹴りを食らわせて、両足を折ってやった。今にでもあの世に送らせてもらうつもりだが、それでいいんだろ?」


 あまりにも余裕がある、というより不遜な態度のリュン。


「よし、エリン。やっちまいな」


 こくん、と頷くエリン。って、まさか。


「ちょ、ちょっと待てよお前ら! エリンにとどめを刺させる気か⁉ まだこんな小さな女の子なのに!」

「外見は女の子だろうが、心に秘めた任務遂行のための熱意はあたいらと変わらない。彼女には、侵入者をぶっ殺す権利と義務がある。『妨害勢力が通達に従わない場合、実力を以て排除せよ』――イサムだって、そう聞いてるはずだと思ってたんだが?」


 確かにその通りだ。だからこそ、このスペース・ジェニシスには大型メーサー砲やら対艦ミサイルやらが装備されている。

 だが今目の前にいるのは、丸腰の、それも両足を駄目にされた哀れな人間が一人。こいつを殺すのに、何のメリットがあるというのか?


「もう、撃っていい?」

「ああ、あたいの足に当てるなよ」


 無感情な声音で、リュンに許可を求めるエリン。

 駄目だ。これだけは絶対に看過できない。


「待て、エリン!」


 俺が彼女の腕に飛びつくのと引き金が引かれるのは、ほぼ同時だった。

 パン、という音と共に、短い悲鳴が上がる。エリンの手から拳銃をもぎ取り、横倒しになる俺。その視線の先では、ユメハがうずくまっていた。


「馬鹿野郎! イサム、何してやがる!」

「ユメハ、大丈夫かにゃ? キュリアン!」

「分かってますわ、すぐに医務室へ!」

「だ、大丈夫……。私は平気、これは掠り傷だから」


 脇腹を押さえるユメハ。


「おい、ど、どうしたんだ?」

「まだ気づかねえのか! エリンの撃った弾が逸れて、ユメハが被弾したんじゃないか!」


 クリスの声に、俺は言葉を失った。それって、俺がユメハを傷つけた、ってことか?


「ゆ、ユメハ……」

「致命傷ではありません。でもキュリアン、治療を頼める?」

「もちろんですわ!」


 ユメハにそう答えながら、キュリアンは足元から拳銃を拾い上げ、片手で三連射。先ほどの敵は、しばし痙攣してから動かなくなった。これで敵は殲滅できたということか。

 ――などと悠長なことを考えている場合ではない。


「ま、待ってくれキュリアン、医官のお前がどうして殺人なんか……」

「殺人ではありませんわ、イサム様。これは立派な戦闘行為です。我々はメイドや医者である以前に、軍人なのですよ」

「でも!」

「落ち着けよ、『でも』なんて言ってる場合か」

「おいバリー! お前、この状況を見過ごせっていうのか⁉」

「見過ごしていたら、この船は乗っ取られていたかもしれない。常に最悪の状況を想定して動かなければ、部下に余計な被害が出る。もちろんお前にもな、イサム」

「そ、そんな……」


 さっきまで喚いていたのが嘘のように、バリーは冷徹な目を向ける。

 俺がなお食い下がろうと口をもごもごさせていると、宇宙服の袖の部分をくいくいと引かれた。


「何だよエリン! 俺はお前に人殺しになってほしくないからこんなことを……!」

「余計なお世話」


 その一言に、俺は時間が止まったかのような錯覚に陥った。


「何度も言わせんなよ、イサム。あたいらは民間人じゃねえ。軍人だ。人を殺すのが仕事なんだよ」

「そっ、それを言うなら、上層部がおかしい! リュン、あんたくらいの年齢ならまだしも、ユメハみたいな子供に銃を握らせるなんて!」

「そんなことを言ってる場合じゃないって、何度も言ってるだろうが!」


 俺の不毛な主張を打ち切ったのは、やはりバリーだった。


「取り敢えず、敵は殲滅した。僕はこれをフランキー大佐に報告する。ユメハとキュリアン以外の女性陣とイサムは、艦内から敵の死体を捨てて、清掃作業にあたってくれ。命令だ」


『命令』とあっては仕方ない。俺はざわつく胸の内をなんとか押さえ込みつつ、目の前の死体を見下ろした。


         ※


 幸いなことに、俺以外の連中にも『死者を弔う』くらいの倫理観はあったらしい。

 俺とフィーネ、リュン、エリンの四人は、非常用ハッチから、死体袋に入れた敵の遺体を宇宙空間へ放り出した。

 その際、敵の認識票は回収してある。いくら正体不明の敵だとはいえ、何らかの武装集団に属していることは確かなのだ。せめて誰がここで命を落としたのか、証拠となるものは手に入れておくべきだろう。


 人工重力の発生しない非常用ハッチの前で、俺たちは軽々と死体袋をもたげ、一つ一つ投げ出していった。

 その時、俺はようやく、自分が未だに宇宙服を着ていることに気づいた。ジェット・ブラスターから降りた時から戦闘に巻き込まれたままだったのだ。


 最後の死体袋をハッチの向こうへ押しやってから、俺は他の三人に言った。


「俺は風呂に入って、少し休むよ。何かあったら遠慮なく起こしにきてくれ」

「了解ですにゃ!」

「あいよ」

「……」


 フィーネ、リュン、エリンがそれぞれ返答する。いや、エリンは俯いたまま動かない。やはり、自分の任務を妨害されたことを根に持っているのだろう。


「大丈夫か、エリン?」


 するとエリンは、フィーネの陰に隠れてしまった。

 普通なら、年上の人間がエリンを追い詰め、説教でもすべきなのだろう。だが、俺はそんな気は起きなかったし、そもそもどっちが悪いか分からない。


 仕方がないので、フィーネに『エリンを頼む』とだけ言って、俺は三人と別れた。


 一旦自室に戻り、洗面用具と着替えを抱えて風呂場へ向かう。スペース・ジェニシスの船体は、宇宙船では小柄な方だが、様々な機器を搭載する関係で、余分な空間も出てくる。風呂場はそこに用意されていた。

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