5話目

「え! 北見さんと!?」


「あー、そう……なんか成り行きで。だからそのごめん、お前とは夏祭り行けない」


「それはいいよ、全然。でもそっか、正樹って北見さんみたいな子がタイプなんだね。ちょっと意外かも」


「おい待てよ、好きとかじゃねえから」


 ふーん?、と矢野は微笑ましそうに笑って俺を見る。完全に勘違いされてる……とは思ったが、俺も逆の立場ならそう思うだろう。別に彼女が好きとかではなく、ただ単に動揺してしまった結果なのだが……。それに俺は、どちらかというと清楚な子が好みだ。北見さんは大人っぽいし美人だとは思うが、気が強過ぎるし不良っぽいし、なんか怖い。優しいというか、人間的にできているのは確かなんだろうけど。


「でもさ」


 頬杖をついて、矢野が言う。


「最近北見さん……いじめられてるよね、なんか」


 そう、なのだ。よく聞く話だが、嫌がらせのターゲットがあの日から、北見さんに移っている。移っているといっても、太田さんへの嫌がらせが完全に無くなったというわけでは無いようだが、もうほぼゼロに等しい。女子たちはネチネチ悪口を言ったり、ものを隠したり、机に死ねだとかなんだとか落書きをしたりと毎日熱心に嫌がらせをしているが、当の彼女は少しも気にしていないように涼しい顔をしているのだ。どこ吹く風、というのかなんというのか……。


 同い年なのに、心の強い人間っているものだな、と感心したし、かっこいいなとも思ったが、あんなに正しい人があんな目に遭わなければいけないのかと、正しさのせいであんな目に遭わなければいけないのかと思うと、許せなかった。許せなかったが、彼女が気にしていない以上、俺が勝手に介入するというのはどうなんだろう、とも思う。


 結局、6時間目の数学は、窓の外を眺めながらずっとそんなことを考えていた。1時間ほぼまるまる外に目をやっていたのに、空の色はおろか天気すらまともに覚えていなかった。北見さんは授業に出たり出なかったりしているが、最近はサボりがちなような気がする。左斜め前の、何人かの肩や頭越しに見える彼女の席は空っぽな時間が多い。


 ……もしかしたら。


 ***


 俺は放課後、職員室に行って担任を呼び出した。初老過ぎの、頭の禿げた世界史の教師だった。


「どうしたんだい、珍しいね、中島くん。最近も勉強頑張っているようだね、感心感心」


「今日は、勉強の話しに来たんじゃないんです。俺のクラス、いじめが起こってるみたいなんです、注意してくれませんか」


 にこやかだった先生の顔が、俺が話を本題に切り替えてから急に険しく歪んだ。いじめが許せない、という顔じゃないことはすぐに分かった。しみとシワの多い痩せた顔に埋まった黒い瞳から光が消えていて、面倒だとでも言いたげに見えた。


「……勘違いだろう」


 低い声だった。現実を叩きつけられたような気分だった。顔はカッと熱いのに、体の芯が気持ち悪いくらい冷えたような感じがした。闇が広がっているような黒い目が怖いと思った。人を傷つけることを、人を見捨てることをなんとも思わない目だと直感的に思った。そのあと俺はたどたどしく弁明したが、担任はひとつも俺の話など聞いてくれず、さっさと帰されてしまった。


 放心状態で昇降口までの廊下を歩く。


「どうすれば、いいんだよ……」


 誰もいない長い廊下に、声変わり真っ最中の低くも高くもない声が嫌に響いて、暗く吸い込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の残響 時瀬青松 @Komane04

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ