epilogue2. アンズとライタ
すっごく長かったような気もするし、あっという間に過ぎ去った気もする。
声を失ってからの五年半……、時計の針が止まったみたいに、ぽっかりと穴が開いていた時間。慌てて取り戻すかのように、目の前の光景が目まぐるしく移り変わっていった。
私……、五奏杏の、人生初ライブ。『KAMURO』による学園祭テロを決行したあの日から、早くも一か月が経過していた。スタジオでのバンド練習に、学園祭の準備に……、どこか毎日がお祭り騒ぎのように忙しなかった日々は終焉を迎え、私の人生に、いつもの、一人ぼっちの日常が還ってくる。
……そう思っていた私だけど、あの日を境に、ちょっとした変化が訪れたんだ。
お昼休み、今までは一人でやり過ごしていたその時間、学園祭ライブの翌日、松谷さんがお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたその日から、私は一時の休息をクラスメートと過ごすようになった。相変わらず、同年代の女の子との会話はやっぱり苦手で、緊張してうまくは喋れないけど、私がたどたどしく話そうとする様を、同い年のはずであるクラスメート達が「かわいいかわいい」と愛玩するのが通例となってしまい……、私が若干イラッとしているのも事実ではあるが、まぁこれも天命なのかもなと、自らのキャラクターを受け入れはじめたりもしている。
週に何回か、放課後に城井さんが私の教室を訪れ、図書室で受験勉強しようと誘ってくれるようになった。私は特段成績が良い方ではないので、なんで私なんだろうとその疑問を素直に口にすると、城井さんは「アイツらじゃうるさくて、お話にならないから」とよくわからない理由を述べながら遠い目をしていた。
城井さんと新くんが最近付き合い始めたと聞いて、私は目を点にして驚いた。……何故なら、私は一人で勝手に、二人はとっくの昔から付き合っていたものだと思い込んでいたからだ。あんなに仲が良いのに、なんで今まで気持ちを伝えなかったのだと彼女を問い詰めると、「いや、流れとか、色々あって」と、これまたよくわからない理由に私の眉が八の字に曲がる。……二人が互いに好意を寄せあっているコトくらい、私の目から見てもわかるのに。いやはや、恋愛ってやつはよくわからない。私にはやっぱりまだ早すぎる。
そんな私が今どこで何をしているのかというと、誰もいないがらんどうの体育館。ステージ檀上の中央にポツンと立って、一人瞼を閉じていたりする。
今日も今日とて、私は城井さんと共に受験勉強に勢を出しており、スペシャルゲストの新くんを交えた三人の勉強会を終えたところで時刻は六時過ぎ、教室に財布を忘れたという自らの失態に気づいた私は「先に帰ってて」と二人に別れを告げた。無事に財布を奪還したところで、テクテクと誰もいない廊下を歩いていると、開きっぱなしの体育館の引き扉がふと目に入り、魔法でもかけられたように私の身体は吸い込まれていった。
今でも、あの景色は鮮明に思い出せる。
うごうごと、一匹の大きな巨大生物のように暗がりに塗れる人、人、人の渦。
私は彼らに向かって、全身全霊のデス声をぶちかましていた。
無我夢中で、頭の中は空っぽで、だけど感情は昂っていって――
言葉では到底あらわせられない、不思議な感覚。
……でも、めちゃくちゃ気持ちよかったなって、それだけは声を大にして言える。
ニンマリと、私の頬が一人でに緩んで、
「お前、一人で何ニヤけてんだ。変なモンでも、食ったのか?」
――およそ聞き覚えのあるダミ声に、私はその目をパチッと開いた。
「……ら、ライタくん――」
眼前にお目見えされたのは、特徴のありすぎる赤毛のトサカ頭。
鼻先三十センチメートルの距離で、雷太くんが首を斜め四十五度に傾けている。
思わず私はずぞぞっとその身を引き、恥ずかしさのあまり頬が紅潮し始めているのは自明の理。「お前、何してんだよ」と乾いたように笑いながら、雷太くんはステージ手前の角に腰を降ろして、ブランと足を投げ出した。
「ライタくんこそ、こんな時間まで、何してたの?」
私はおそるおそる雷太くんに近づき、一定の距離を空けつつも、彼に習うよう隣にちょこんと腰を掛ける。
「別に、六限目の授業中から寝てたんだけど、誰も起こしてくれなくて、気づいたらこの時間だった」
「……受験勉強、しなくて大丈夫なの?」
「――ハッ! 舐めんなよ。俺はそもそも、卒業できるかすら危うい」
「あっ、そう……」
あまりにもだだっ広い空間に、制服を身に纏った二人の高校生が、ポツン。
ブランブランと、振り子のように、足を揺らして。
「なぁゴソー、お前、バンドはもうやんないのかよ?」
「んー……、うん。やらない」
「……なんでだよ、勿体ねぇ」
「なんかね、自分の好きは、自分で見つけたいなって」
「……はっ?」
間の抜けた声をあげながら、雷太くんのトサカ頭が斜めに傾く。私はふいに、体育館の天井に目をやった。
頭の中で数多に流れる言葉のピース。自分の気持ち、自分の考えているコトに近いのはどれかなって、ウンウンと唸りながら、一つ一つ手に取って、これかもな、これじゃないなって、カチャカチャと、不格好なパズルを組み立てて――
「バンドは……、楽しかったし、好きになれた。でも、ライタくんや、シンくんや、シロイさんの好きに比べたら、私の好きって、たぶん、全然小さくて。みんなほどの情熱は、きっと持てないんだろうなって、そう、思った」
不格好で、不器用だけど、ウソは言っていないつもり。
私はまっすぐと雷太くんの目を見つめながら、彼もまた、まっすぐと私に目を向けていて。
「だから、今度は、人に教えてもらうんじゃなくて、自分が本当に好きだって、心の底から思えるコトは、自分で見つけようかなって、そう、思って」
ポリポリと頬を掻いた雷太くん。私の言っているコト、伝わっているんだか、いないんだか、よくわからない表情を浮かべている。
「……フーン、案外、小難しいコト考えるんだな、お前でも」
「……バカにしてる?」
「おう」
「ムカッ――」
不服を隠そうともしていない私がぷーっと頬を膨らませ、「わりぃわりぃ」と漏らしている雷太くんの表情は、反省しているようにはとても思えない。
「まぁ、演りたくなったら、いつでも声かけろや。シンやシロイは知らねぇが、俺はお前となら、何度だってライブ、演りたいからよ」
「うん……、ありがと」
ふいに真顔に直った雷太くんが、私から視線を逸らして。
「そういやさ、お前、カメタニに告られたんだってな」
「えっ……」
そんなコトを言うもんだから、私も思わず、彼から目を背けて。
「うん……」
「……なんで、断ったんだよ?」
「なんでって……」
今度のパズルはちょっと難しい。適当な言葉が見当たらない。
口元に手を当てて、ウンウンと唸りながら、まぁ、わからないなら、ソレをそのまま伝えればいいかと、最近の私は開き直るコトを覚えたらしい。
「人を好きとか、付き合うとか、よくわかんない。そもそも私、人と喋れるようになったの、つい最近、っていうか、未だにマトモには、喋れないから……」
「……俺とは、割とフツーに喋ってるじゃねぇかよ」
「あっ……、そうだね。なんか、ライタくんとは平気なの。……なんでだろう、お互いの色んなトコロ、いっぱい見せ合ったからかな?」
「……その発言、捉え方によっちゃあ、あらぬ誤解を呼ぶぞ」
彼の言葉にピンと来ていない私の頭上、クエスチョンマークがゆらゆらと揺れている。私の顔をジーッと窺い見ていた雷太くんが、「なんでもねぇよ」とこぼしながら、何かをごまかすように後ろ頭に手をやった。
「ねぇ、ライタくん、私、ライタくんに、ずっと言いたかったコトがあるの」
「……な、なんだよ。急に、改まりやがって……」
雷太くんが、珍しくギョッと構えたように身体を強張らせた。
彼の態度の変化に、これまたピンと来ていない私だったが、まぁ構うものかと。
トンッ、と体育館フロアに降り立ったのは私。
クルリと振り返って、凛と姿勢を正して。
私の視界に映る雷太くん、頬杖をつきながら、ポカンと口を開けていて。
「私を、バンドに誘ってくれて、一緒に、学園祭ライブやろうって、言ってくれて――」
私は、口を開く。声を、飛ばす。
私が思っているコト、感じているコト。
キミに……、私の、ヒーローに、
知って、欲しいから。
「本当に、ありがとう」
少しの沈黙が間を埋めて、雷太くんは相変わらずポカンと口を開けていた。
やがて、空気が抜けるように顔を崩し始めた彼は、どこか肩透かしをくらったような、でも少し嬉しそうな、微妙な表情でいつものしゃがれ声をこぼす。
「……どう、いたしまして」
彼の言葉に、私はニコリと満足した笑みを浮かべて、雷太くんが、大きな息をはぁーっと吐き出したかと思うと、私を真似るように、トンッと体育館のフロアに降り立った。ノソノソとした足取りで私に近づき、鼻先三十センチメートルの距離、ボソボソと、歯切れ悪い口調で声を漏らす。
「……俺も、お前に、言いたいコト、あるん、だけど」
「……何?」
私から視線を逸らして、もごもごと口をごもらせる。およそらしくない彼の姿に、私がキョトンと首を斜め四十五度に傾けたのは必然で――
「あのよ、俺……、俺はよ……、お前が――」
チラリ。
雷太くんの横目が私を捉える。
……あれ――
なんでだろう。
なんだか心臓が、ドクドクと波打つように高鳴り始めた。
彼の、雷太くんの顔をジーッと窺い見てみる。
何かをひた隠しにしているような、どこか照れているような……。
その表情は、私が今まで見た雷太くんの、どの顔とも違っていた。
……どうしよう、何もわからない。
雷太くんが、今何を考えていて、私に何を言おうとしているのかも、
私がどうして、こんなにドキドキしているのかも――
やがて、意を決したように雷太くんが口を開き、
覚悟が定まっていない私は、息が、止まりそうになって――
「――お前って、なんで小学生が履くようなパンツ、未だに履いてんの?」
私は、目が点になった。
雷太くんは、だらだらと額にいっぱいの汗を浮かべている。
「……ばっ、バカッ! 死ねッ!」
硬直から解かれた私の顔面は、言うまでもなく真っ赤に染め上がっており、怒りと恥ずかしさのバロメーターが同時に限界突破した私は、ポカポカと雷太くんの肩を叩きまくっていた。雷太くんは「いてぇ、いてぇ、いや、今のは違う、間違えた」とか、よくわからないコトを宣っている。
声を以てしても、言葉を以てしても、自分の気持ちを、100パーセント人に伝えるコトなんて、どうやらできないらしい。だからこそ、お互いが、お互いのコト知りたいって、そう強く思い続けるコトが、大切なのかもしれない。雷太くんが見せたさっきの表情、その時の彼が何を思っていたのか、ソレを私が知るのには、もう少し時間が必要なんだと思う。
私は、自分の声が嫌いだ。
……嫌い、だった。
胸を張って「好きになれました」と、堂々宣言するコトはまだできないけれど、
少なくとも、人に「ありがとう」と言えるくらいには、マシになった自負はある。
伝えたいコトが、いっぱいある。
私という人を、もっと知って欲しい。
みんなが、当たり前の様に持っていて、当たり前のように思っている感覚。……自分の声を封印していた私は、そのコトに気づくのが少しだけ遅かったみたい。
でも、焦る必要なんてない。急がば回れと言うではないか。自分のペースでいいから、五奏杏という一人の人間を、ちょっとずつこの世界に吐き出していけばいい。私を受け入れてくれる人は、きっといる。『KAMURO』のみんなが、それを証明してくれた。
心の中で、自分自身にそう言い聞かせていたところで、私のお腹がぐぅっと鳴って。
「……何、お前、腹減ってんの?」
ポカポカ攻撃をピタリと止めた私に向かって、雷太くんがヘラッと笑いかける。
「ん……、あ、そういえば、今日お母さんいないんだった。ご飯、自分で用意しなきゃ」
「お、そんなら一緒に、何か食べ行こうぜ。何がいい?」
「え、なんだろ……、ラーメンとか?」
「……何、お前、ラーメン好きなの?」
「好きだけど……、ダメなの?」
「ダメじゃねぇよ。むしろサイコーじゃねぇか。高校三年間で駅前のラーメン屋を全て網羅した、真手雷太様のリサーチ力をなめんなよ?」
「その努力、勉強にも向ければいいのに」
「ぐっ……、うるせぇな。好きなモンには、一切の情熱を惜しまない性質なんだよ、俺は」
雷太くんが笑う。いつもの、イタズラを思いついた小学生みたいな顔で。
その笑顔を、ずっと見ていたいって、そう思った私も、釣られるように笑った。
時間はかかるかもしれないけど、ちょっとずつ、私の好きを、キミに伝えていくから。
キミが好きなモノ、私にも教えて?
-fin-
【長編】 デス声少女は叫びたい 音乃色助 @nakamuraya
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