30.「ヒーロー」


 静まり返った青が、だだっぴろい空に広がっている。草木がさざめく音が、時折流れる。湿った雑草の感覚がヒンヤリと冷たく、河川敷の土手に一人腰を掛けている俺……、真手雷太の眼前で、音の鳴らない川が緩やかに流れる。


 心の中で、グワングワンと、同じ言葉が反響していた。

 頭の中で、グルグルと、同じ台詞が巡っていた。


 ……なに、やってんだよ、俺。

 ……ずっとやりたかった、メタルバンド。せっかくの、チャンスを……。

 ……自分の手で、ダメにして、アイツらに、謝りもせず、逃げ回って……。

 ……まるで、アイツと一緒じゃねぇか。大嫌いな、クソ親父。

 ……。


 ……クソッ――


 思わず、両腕に顔を埋めた。そうしていないと、耐えられなかった。

 でも、例え視界を覆ったとしても、現実から逃げられないコトも知っている。心の中で響いている声を、止める術なんて人は持たない。……俺は抗うように右腕を振り上げ、湿った大地に振り下ろす。ジンと痛みが骨に伝ったが、どこかふやけたような感触は中途半端で、行き処を失ったエネルギーになんだか余計虚しくなった。

 虚しくて、空しくて、自分が、情けなくて。

 グスッ――、と鼻をすする。目頭が熱くなって、顔が自然とひしゃげてくる。


 ……ハハッ……、一人で、泣いてるとか……、俺、どんだけダセェんだよ。

 心の中で、自嘲気味な声をこぼす。そうでもしないと、自分を保つことができない。

 今の俺に、等身大の自分を直視する勇気なんてない。……いや、始めっから、俺は自分自身と向き合う勇気なんて持っていない。


 自分の気持ち、伝えてみろ、とか。

 一生、そのままでいいのかよ、とか。

 五奏に、あんだけエラそうなコト言っておいて、……自分でも笑っちまう。

 本当は俺だって、自分の気持ちにウソを吐いている。自分を、ごまかし続けている。


 「親父は、関係ない」

 「メタルが純粋に好きで、ギターを弾くのが楽しいから、俺はバンドをやっている」

 一週間前、伊刈に向かって放った言葉。……半分はホントだけど、半分はウソ。

 本当は、俺が一番、親父のコトを意識していた。

 そのコトに、気づかないフリをしていた。


 大嫌いな親父と……、自分が、重なる瞬間があって。

 それが、イヤでイヤで、認めたくなくて。

 俺はアイツとは違うって、自分に言い聞かせ続けた。

 そのコトを証明したくて、ギターを掻き鳴らした。


 ……なのに俺は、結局、アイツと、同じコトを――

 


「泣いて、るの?」


 ふいに声。

 女にしてはちょっと低い、でも、子供のようにあどけないトーン。


 ハッとなった俺が顔を上げると、

 黒髪のおかっぱが、フワッと揺らいで――


「ゴソー……」


 俺は条件反射で、立ち上がっていた。

 脳が、全神経に緊急指令を発していた。

 逃げろ。

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。

 顔を背けた。……今の俺の顔を、彼女にだけは見られたくなかった。


 河川敷の土手を、勢いよく駆け下りようとした俺の腕が、グイッ――、と何かに掴まれる。

 体勢を崩した俺は、思わず後ろを振り返って、

 目を丸くした五奏が、前かがみの姿勢で、驚いたような、焦ったような、よく、わからない表情で、俺の腕をぎゅうっと、両手で強く握りこんでいて――


 つい最近体験した、いわゆるデジャビュのようなシチュエーション。

 もつれこむように、なだれこむように、

 俺と五奏は、河川敷の土手を二人仲良くゴロゴロと転がり落ちていった。

 


 シンッ――、と静寂が広がっており、全身の痛みと共に、俺は事態が収束したコトを知る。

 おもむろに身体を起こすと、ほぼ同時、近くに転がっていた五奏もまた、ムクリと上半身を起こしていた。


 二人の視線が、交錯して。

 俺は何かから逃げるように、その目を逸らす。


「急に腕……、掴むんじゃねぇよ……」


 力のないしゃがれ声が、寂し気に響いた。五奏から返事は返って来ない。

 沈黙が、遠慮がちに空間を包んで、俺は五奏の顔を見るコトができず、彼女が今どんな表情を浮かべているのかもわからない。


「何、してるの、こんな、トコで」


 ポツリ。

 平な水面に小石を放るように、

 覇気のない音が俺の耳に響く。


「……何もしてねぇよ。ずっと家ん中いても、息詰まりそうだから、ちょっと、外出てた、だけで」

「――そう、じゃない。そういう、コトじゃない」


 ジワジワと水面に波紋が広がっていき、五奏の声が震えはじめる。


「なんでさっき、私から、逃げようとしたの?」


 心臓が、ゴトリと動く音が聴こえた。

 明確な恐怖が、ドス黒い罪悪感が身体中に広がり、目の奥がきゅうっと引っ張られたように、見える景色をうまく認識することができない。

 五奏の声は、震えている。……怒りに、打ち震えているように聴こえた。


「……お前らに顔、見せれるワケねぇだろ。俺がお前らまきこんだクセに、俺のせいで、ライブ、できなくなっちまって……」


 たどたどしく、言葉を繋ぐ。

 ……ギリギリだった。振り絞るように声をあげた。喉はカラカラに乾いている。


「今日、学園祭の、最終日……、後夜祭で、私たちが、ライブやるはずだった、日……」

「……知ってるよ」

「ライタくん、どう、するの?」

「……どうも、しねぇよ。今更、どうするコトもできねぇだろ」

「このままで、いいの?」


 答えるコトが、できなかった。

 五奏が投げた問いかけは、あまりにもいろんな意味をはらんでいた。

 親父についての感情とか、みんなに対しての罪悪感とか、バンドをやりたい気持ちとか、

 ……どうするコトもできない、現実とか――


「後悔させない、って、そう、言ったクセに」


 再び、ポツン。

 相変わらず震えている五奏の声は、マスターボリューム限界ギリギリ、あまりにも弱々しくて、


「……わりぃ」


 俺の口からは、そんなダサい台詞しか出てこない。


 湿った秋風がふいにそよいで、黒髪のおかっぱがフワリと揺らぐ。

 俺たちの間を支配していたのは、無味乾燥な沈黙。音のない世界で、俺は圧倒的に無力だ。

 ガサッ――、と、草木が擦れる音が聴こえて、釣られるように俺が顔を上げると、隣にへたりこんでいた五奏が立ち上がっていた。


 彼女は相変わらず目を伏せている。その肩が、僅かに震えている。

 スカートの両端を、拳でギュッと握りこんで――、自身を落ち着かせるようにと、五奏がふぅーっと大仰な息を吐き出した。


「――フザ、けるな」


 目を伏せていた彼女が、威嚇するように俺のコトを睨みつける。

 目にいっぱいの涙を浮かべて、顔を真っ赤にしながら――


「……フザけるのも……、いい加減に……、しろッ!」


 裏返りまくった五奏の声が、俺の耳に、つんざかれる。


「私……、私は、謝罪なんか、聞きたいワケじゃない、私のコト……、外の世界に、無理やり引っ張って、無理って、言ってるのに、バンドなんか、ボーカルなんか、やらせて……」


 ヒックヒックと嗚咽を洩らして、赤ん坊みてーにくしゃくしゃな顔で。

 それでも五奏は、俺の目を捉えて離そうとはしなかった。


「せっかく……、せっかく、人と、喋れるようになったのに、自分の気持ち、人に、伝えなきゃって、そう、思うようになったのに……、じ、自分の声、嫌いじゃ、なくなってきたのに……ッ!」


 あまりにも悲痛なその声が、俺の心臓を無遠慮に撫でる。

 俺の頭の中を、ぐちゃぐちゃに掻きまわす。


「ライタくんが……、ライタくんのおかげで、私は、変わらなきゃって、変わろうって、そう、思えるように、なったの……、キミは、私の、ヒーローみたいな存在、だった、のに――」


 一呼吸の間が空いて、ザワザワと草木が無遠慮に揺れて。

 五奏が明確に、俺から視線を逸らした。


「キミの、そんなカッコ悪い姿、見たくない。そんな、弱々しい声、私に聴かせないでッ!」


 ハァハァと、五奏の乱暴な息遣いが耳に流れて、

 ワナワナと全身が震えはじめたのは、今度は俺で――


「――うるせぇよ」


 自分でも、引いちゃうくらい陰鬱な声が、俺の喉からこぼれ落ちる。


「……うるせぇんだよ! さっきから! ピーピー喚きやがって! お前に……、俺の、何がわかるんだよッ!?」


 思わず、立ち上がっていた。頭に血が昇っていた。

 ……自分でも、よくわからない感情が、脳内に渦巻いていた。

 焦りとか、情けなさとか、怒りとか、虚しさとか。

 ありとあらゆるマイナスの思考が、頭ん中であふれ出して、とにかく俺は、自分の気持ちを、自分の言葉を、外の世界に吐き出したくて、そうでもしないと、身体が、爆発しそうで――


「俺はなぁ……、ヒーローでもなんでもない、強くもなければカッコよくもない……、どうしようもないヘタレ野郎なんだよッ! 普段、威勢良くしてんのは、弱い自分バレんのが怖いから……、必死こいて、虚勢張ってるだけなんだよ! 俺がバカみたいにギター弾いてんのは……、他に取り柄がねぇから、自分、保つために、楽器にすがるしかねぇんだよ! ……俺が言ってるコトなんて、全部ハッタリでしかねぇんだよッ!」


 ガキみたいに、喚いた。

 五奏の両肩掴んで、乱暴に揺さぶって、

 すがるように、助けを求めるように、

 目に涙、いっぱいためながら、アホみたいに鼻水、垂らしながら。


「――だったら、何なの?」


 ハッとなる。

 あまりにも冷たいその声に。

 五奏のソレとは思えない……、冷めた、目つきに。


「ライタくんが、虚勢、張ってるって、本当は、弱い自分を隠してるんだってコト……、みんな、知ってると思う。シンくんも、シロイさんも、とっくに、気づいているよ」


 鼻先十センチメートル。

 ガキみたいなナリ、黒髪おかっぱ少女の幼けな顔。

 でもその瞳に、心の中、すべてを見透かされてるんじゃねーかって、

 そう考えたら、なんか、視線、外せなくなっちまって――


「……でも、それでも、ライタくんの言葉、ライタくんの声、聴いていると、なんだか、ワクワクしてくるの、無理かもなって、ダメかもなって、思ってても、ライタくんが言うと、なんか、なんでもできるような気がしてくるの、なんとか、なるんじゃないかって、そういう、勇気がでてくるの。……だからこそ、私は、キミに、弱音なんて、吐いて、欲しくない。……ウソでもいいから、大丈夫、って、そう言って、欲しかったのに」


 身長差、およそ三十センチメートル。

 俺の襟首をグイッと掴んだ五奏が、乱暴に身体を引き寄せる。

 俺の顔面を睨み上げながら、ツバをまき散らしながら、

 俺に向かって、かすれ切った声を、めいっぱいに――


「中途半端なコト、しないでよ! ハッタリかますなら……、最後まで、貫いてよ! ……途中で、放りなげるんなら、最初から、期待させるようなコト、言うんじゃ……、ねぇよ! この……、ニワトリ野郎ッ!」


 言葉と共に、五奏の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 そのまま彼女は、しなだれるように、俺の胸に顔を埋めた。


 ありとあらゆる感情、有象無象の言葉。

 脳みそん中に溢れかえって、俺の頭はとっくにキャパオーバー。

 気持ちに整理なんて、つけられるワケがない。


 プツンと、

 俺の中で、何かが切れた。

 俺は、シンプルに、思考することをやめたんだ。


 とりあえず、ボリボリと乱暴に頭を掻きむしったあと、

 バカみたいに大口開いて、まっ平な空に顔を向けて、

 俺は、吠えた。 


「……ウガァァァァァァァァァァッ!」


 俺の胸に顔を埋めた五奏が、ビクッと、小動物みたいに肩を震わせて、

 思わず俺から身体を離して、幼稚園生みたいに目を丸くして――


「……ゴソー、後夜祭、何時からだっけ」

「……えっ? たぶん、あと一時間くらい――」

「ニワトリ野郎だぁ……? 上等だよ。五奏杏。……もう、何がどーなっても、知らねーからな。そこまで言うんなら、お前にゼッテー、後悔なんてさせてやらねーよ……ッ!」


 ニヤリ。

 俺が口角を限界まで吊り上げると、キョトンとしたツラを晒している五奏もまた、

 釣られるように、口元を綻ばせて――



「二人とも、家にいないと思ったら、こんなトコでいちゃついてたんだね」


 淡々と、機械みてーに抑揚のない。

 およそ聞き覚えのある声が、俺の耳に流れる。


「――シン……、シロイも――」


 声がする方に目を向けると、何を考えてるのかわかんねー能面ヅラの男子高生と、呆れたような表情で腰に手を当てている女子高生の二人組。土手の上から、俺らのことを見下ろしていた。

 俺は二人に駆け寄り、罰が悪そうに、地面に視線を落として。


「……わりぃ、俺、お前らに――」

「――謝罪会見なら、後にしようか。とにかく今は、時間がないんだ」

「えっ……?」


 五奏のソレが移ったみてーに、俺はキョトンと目を丸くして、

 顔を見合わせた新と城井が、ニヤッと、イタズラを思いついた小学生みたいに笑って。


「今から、学校でテロを起こしにいくから、四十秒で支度してね」

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