28.「ばっかじゃないの」
これでもかというくらいに、晴れ渡っている空。
大の字になって、ゴロン。学校の屋上で寝転がっている僕……、大木新の視界の端から端まで、まっ平な青が無限に広がっている。ガヤガヤと喧騒が遠くで混ざり合っており、キラキラと輝く笑い声は、同じ世界で鳴っている音とは到底思えない。
高校最後の学園祭。まるで、青春の1ページを丁寧に切り取ったようなワンフレーズ。
輪郭がハッキリしていないのをいいことに、パステルカラーに包まれた不透明な時間を、
恥ずかしげもなく、一切の惜しみもなく、みんな、めいっぱいに、はしゃいで――
「……ばっかじゃないの」
僕の口から、勝手に声がこぼれる。……自分でも引くくらい、陰気なトーン。
別に、誰かに対して言ったワケじゃない。
……強いて言うなら、自分自身に対して、言ったんだと思う。
雷太は一週間の停学処分になった。伊刈に対して暴力を振るったコトを、被害者である伊刈本人が先生に報告したからだ。もちろん、学園祭なんて参加できるワケがない。僕たちのバンドも漏れなくライブ出場権がはく奪され、学園祭のトリを務めるコトになったのは繰り上げ当選となった伊刈たち率いる軽音部のバンド。
あの日……、自主制作映画のラストシーン撮影を一緒に見学していたあの日以来、雷太とは一度も顔を会わせていない。ナヲと二人で何度か家を訪ねてはみたが、雷太は一度もインターフォンの呼びかけに応じてくれなかった。
五奏さんとも、言葉を交わしていない。教室で声をかけても、魂が抜けたような表情でこっちを見るばかりで、彼女は再び声を失ってしまったのかもしれない。学園祭が始まり、五奏さんは学校に来なくなった。
この一か月間、……熱病に浮かされていたみたいに、どこか夢見心地だった日々。僕は、狐につままれていたのではないのだろうか。……そんな子供じみた妄想、慰めにすらならないコトも知っている。
ずっと喋らなかった五奏さんが、いつの間にか無邪気に笑っていて、
ずっと距離を置いていたナヲと、当たり前のように冗談を言い合ってて、
ずっと諦めていたメタルを、雷太と一緒に爆音でかき鳴らしていて――
……やっぱり、手、伸ばさなきゃよかったな。
求めようとしなければ、失った時の辛さを知らずにいれる。
飛び込もうとしなければ、失敗した時の痛みを知らずにいれる。
この世界には、個人の力ではどうしようもできない問題がいっぱいあるらしい。
ましてや僕は、一介の高校生だ。成績は普通だし、運動は苦手な方。人に誇れるコトといったら、ベースを弾けるって、それくらい。……僕にできるコトなんて、たかが知れている。
どうしようもなく、やりきれなくて。
感情をどこに向けたらいいかなんて、てんでわからなくて。
でも、どうにか呑み込まなくちゃいけなくて。
……「大人になる」って、こういうコトなのかな。
だとしたら、生きるって、
クソみたいにツマラない現実を、いかにやり過ごしていくのかって、
そういう、コトなのかな――
「――シン先輩」
ふいに、声。
およそ生気の抜けた、およそ色味のない。
大の字になっていた僕がムクリと起き上がると、お目見えされたのはクロブチメガネと長髪のアシンメトリー。見たことがないような真顔を披露する亀谷は、どういう感情を抱いているのかもよくわからない。彼の表情は、怒りに満ちているようにも、失意の底に落とされているようにも見えた。
「カメタニくんじゃん。何しているのさ、こんなところで」
「……こっちの、台詞ですよ。先輩、今日、何の日だかわかってるんですか?」
何かを、必死で押さえつけているかのように、彼の声は震えていた。
一呼吸おいて、僕はいつも以上に淡々としたトーンの声を返して。
「……何? カメタニくんの誕生日?」
「……フザけないでください。今日は、学園祭の最終日。……後夜祭で、オーディションライブ一位通過のバンドがライブ演奏をする日ですよ」
「ああ、そうだっけ。カメタニくん出るんだよね、がんばって」
明確に、およそ露骨に、
亀谷の顔が歪む。
「シン先輩は、それで、いいんですか?」
――敵意すら、感じとれた。
相変わらず震えている彼の声は、もはや嫌悪感を隠そうともしていない。
ザワリ。
心臓を撫でられて。
ポロリ。
僕の顔面から、無色透明の仮面が剥がれ落ちて。
「……何が?」
表情筋の動かし方が、よくわからない
僕は、苦笑いを浮かべる方法を、どうにも思い出せなくなった。
「ずっと、演りたかったんじゃないですか、メタル。……先輩、今年で卒業なんですよ?」
「……別に、バンドなんて、卒業してからもできるし。メタル好きなメンバーだって、大学に行ったら見つかるだろうし――」
「――見つかるワケ……、ないでしょうッ!?」
突然の大声。亀谷から視線を逸らしていた僕の全身が、シンプルにビクついた。
思わず彼に目を向けると。真っ赤に目を充血させた一人の男子高校生が、だらしなく鼻水を垂らしまくって、ハァハァと、両肩で呼吸を繰り返していて――
「俺、断言しますよ。ライタ先輩と、シン先輩と、ゴソー先輩と、シロイ先輩……、こんな最強の四人、こんなカッコイイ四人……、一生、集まりっこないですよ」
亀谷は、もうほとんど泣いていた。
声をあげないと、感情を抑えるコトができない。
吐き出さないと、理性を保つコトができない。
そんな風に見えた。……僕は、いたって冷静に、彼の姿を観察していた。
「それに……、みんながウレセンのオシャレロックなり、人の声ですらないボカロ音楽に夢中になっている中……、時代遅れのメタルを、周りなんてカンケーねぇって顔で、汗まみれで、引いちゃうくらい真剣な顔で……」
嗚咽。嗚咽。
しゃくり上がった声。鼻水をすする音。
遠くからはキラキラと、顔もわからない誰かの笑い声。
「――そんな……、そんな超カッコイイ先輩たちが、学園祭っていう、どこかウソくさい空気のイベントで、自分たちさえ楽しけりゃいいって、そういうツラしている連中に……、メタルを、耳がぶっ壊れそうになるくらいの爆音を、ぶちかまして――、こんな、こんな面白いコト、こんなロックなライブ、俺、一生見れる気しないッスよ! だから……、だから――」
「だったら、何? カメタニくん、なんとかしてくれるの?」
ブラウザ画面の×ボタンをワンクリック、プツン。
亀谷の喉から、音が切断される。
世界が、止まる。
……僕が、止めた。
「ライタの停学、取り消してくれるの? 今から、僕たちのバンドが出場できるように先生たちに掛け合ってくれるの? 説得できる自信、あるの?」
淡々と、淡々と。
綴る。言葉を、事実を、突きつける。
――自分でもドン引きするくらい、クソつまんないリアルを。
「……ぶっちゃけさ、迷惑なんだよ。僕、今回のコト、もうあんまり考えたくないんだよね。何もできないんだったら、黙ってくれないかな」
どうやら、この世界はとんでもなく広いらしい。ちっぽけな僕たちには、およそ想像するコトすらできないくらいに。
六十億以上の人達が同じ時間軸を生きている、同じ一瞬を、経験している。
この瞬間、永遠の愛を誓い合った恋人たちもいるだろう。
最愛の家族を失った人も、いるだろう。
どんな人に対しても平等に、まっ平な青空はいつだっておんなじ顔を向けている。
時の流れは誰にも変えられないし、誰も過去に遡るコトはできない。
あまりにも当たり前で、とてつもなくシンプルな事実。
僕が何をしようとも、この世界は何も変わらない。
僕が、何もしなくたって、世界は勝手に回っていく。
どれだけの時間が経ったのかは、よくわからない。
数秒程度だった気もするし、一時間くらい経った感覚もある。
それまで、茫然とした顔でただ突っ立っていただけの亀谷が、身体をくの字に曲げる。
――突如、マンガみたいな大声が、僕の耳になだれ込んで来た。
「……クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
最初僕は、亀谷に殴られるのかなって、そう思った。
……まぁ、別にいいかって、それならそれでって、それくらいの気持ちだった。
――果たして、『なんで?』
僕の目に映る光景。
……予想を三百八十五度くらい上回った、およそ信じられない奇景。
亀谷が、すごい勢いで制服を脱ぎ始めて、
ものの数秒で、すっぽんぽんになった。
「――ちょ、なにしてんの?」
僕が、僕の人生において、ここまで愚直に疑問を口にしたコトはあっただろうか。
目を極限まで小さな点にして、間の抜けた声を出す僕とは対照的、目を血走らせている亀谷が僕の眼前でツバをまきちらす。
「……アンタが、アンタまでそんなダセェこと言い出すんだったら……、こんな、こんなツマんねぇ世界、俺がぶっ壊してやるよッ!」
「……はっ?」
「……フルチンで、学校中走り回って、楽しい楽しい学園祭をぶち壊してやる! 浮かれた連中、全員地獄の底に突き落としてやるッ!」
――言うなり、クルリと僕に背を向けた亀谷が脱兎のごとく駆け出し始め……、
ハッとなった僕の脳内、あらゆる意味で脳が全身に緊急指令を発しており、彼の片腕を慌てて掴むと、物理法則に則ったフルチン男の身体が不自然な軌道を描く。
灰色の地面へとすっ転んだのは亀谷で、体勢を崩した僕もその場に片膝をついて――
「な、何言ってんの。キミの人生終わるし、誰も幸せにならないから、ヤメ――」
「――だって……、だって、悔しいじゃないですかッ!?」
ボロボロと、切なさのかけらもない涙が亀谷の目からこぼれる。
かすれ切ったその声からは、青春の煌びやかさを微塵も感じられない。
「……イカリ先輩みたいな、自分のコトしか考えていない人の思い通りになって、シン先輩たちみたいな、自分貫いている人たちがノケモノにされて……、こんなの、ゼッテーおかしい……、俺、納得できないですよッ!?」
でも。
それでも、その声は、その言葉は。
一切のウソ偽りがない、一切のコーディングが為されていない、
どうしようもなく不器用で、どうしようもないバカが叫んだ、
剥き出しの、肉声で――
……。
……クソッ。
……ホント、勘弁して欲しい。
……フザけんなよ。
……悔しいとか、納得できないとか。
……このままじゃ、イヤだ、とか。
……僕が一番、そう思ってるのに……ッ!
半透明で、輪郭がハッキリしない霧の中。
一度はひっこめたその手、濡れた制服の袖に、ふと目を向ける。
ギュッと目を瞑り、グッと拳を握り、
再び、手を伸ばして――
「そこまで言うなら、『共犯者』になる覚悟、あるんだよね?」
勝手に、声がこぼれ落ちていた。
……もう、なんでもいいやって、考えるのも面倒だ。
眼前のフルチン男が、キョトンとした顔で僕の目をまじまじと見つめている。
全身から力が抜け落ちていき、思わずよろける。
何が面白いワケでもないのに、自然と笑いがこみあげてきた。
ニヤリ。
イタズラを思いついた少年のような顔で、
はたまた、獲物を狙うハゲタカのような目つきで。
「やろうよ。学園祭、一緒にぶっ壊そうか」
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