48.名も無き鎮魂歌

  ……。


 歌が、聞こえる。


 聞いたことのない歌だ。


 ……。


 ……ぼんやりとした意識の中、女性の優しい歌声が俺の耳の奥を心地よく撫でる。

 ……頭の中で、直接、誰かが歌っている? いやいや……。


 そんなこと、あるわけない。……夢か。ああそうか、これは夢だったのか。


 ……。


× × ×


 ……異世界生活、四日目。下層街の朝は、今朝も肌寒い。

 俺がこの世界に――ネルヘルム王国は王都レムゼルク、その旧市街のど真ん中に、姿形すがたかたちこそそのまま、いきなり異世界転生してきたときの第一印象としては『ジメジメしていて暑い場所』という感じだったのだが、そんな街も地下に潜れば印象がガラリと変わる。

 この世界の季節は、今は夏で合っているのだろうか。旧市街の暑さは、日本なら真夏といって良いくらいに蒸し暑いが、もしかするとこの国は、赤道直下の常夏なのかもしれない。

 

 ……いや。そもそも、この世界に『地球』とかそういう概念があるのかすら怪しいところだけれども。


「おい。いつまで寝てのさ、ねぼスケ」


 俺が毛布の山に埋もれて起き上がれないでいると、レラが小屋の入り口から怪訝な顔をして覗き込んでくる。昨夜はコイツと随分遅くまで酒を飲んでいた気がするが、どうやら俺よりも先に目が覚めたらしい。別にどうでもいいけれど、なんだか負けたようで悔しくなる。


「おはようございます……。はえーな……お前……」


「アンタがおせーだけじゃん。……飲む?」


 俺が毛布に包まりながら小屋の表へ出ると、レラがグイッと迎え酒を呷り、そのまま飲みかけの酒瓶を差し出してくる。なにやってんだこのバカ女。


「いやいや。お前、まだ飲むのかよ。いらねーし……」


「酒じゃねーよ。水だし」


「あ。それは欲しいわ。やっぱ、くれ」


「え? ソースケ、いらないって言ったじゃん。あげなーい♪」


「おい、くれって! また、あたまいたいんだよ……」


 レラが、ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべながら、焚き火の傍で、雑な胡座あぐらをかく。そして、空き酒瓶入りのレモン水を最後の一滴まで、一気に呷る。

 まぁ……何はともあれ、機嫌を直してくれたようで、何よりだ。


「んべぁー♪」


 大口と大股を開き、俺に舌と口の中を見せ付けながら、空になった酒瓶を振り回すレラ。

 ほんとうに。ほんとうにこのクソガキは、すぐに調子に乗る。どうやって分からせてやればいいのだろうか。


 ……もういっそ、泣かすか? ここはどうせ異世界の無法地帯だし、コイツだって三日前から俺のこと家に泊めて、挙げ句の果てに二人きりで一晩中酒飲みながら、下ネタばっかり喋り散らかすってことは、まんざらでもないんだろ……? 今だって、ぶかぶかな短パンの隙間から、無防備にも色気の無いパンチラ晒しやがって。


 ……コイツも一応、俺とは一歳ひとつしか歳の違わない女なんだよな……?

 モノクロウ火山で死ぬかもしれないんだし、俺だって一度くらいは死ぬ前に――


「あ。おはようございます。レラとサクマさん……」


 はらわたが沸点を迎え、無防備で、はしたないレラの姿に興奮した壮亮が、髪の毛とズボンの一点を微妙に逆立てながら、レラに向かって『下品な暴言』を吐き捨てる寸前で、聞き心地の良い女の子の声が聞こえてくる。

 一瞬、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔で硬直し、すぐさま自身の下半身を庇うように正座すると、セトメに向かって土下座する壮亮。胃の内容物が急激な化学反応を起こしているかのように、胸が痛む。


「おはようございます!! セトメたん!!」


「えっ、なんで!? お、おはようございます……?」 


 目に見えて、物凄く困惑するセトメ。当たり前である。


「こんなあさはやくから、こんなところになんのごようでしょうか!?!?」


「あっ、えっと……よかったら、朝ご飯……どうですか? あと、サクマさんがモノクロウ火山へ行く時のお弁当は、いつにしましょうかというご相談に……」


 なるほどそうか。道理でスープの良い匂いがするわけだ。

 そして、セトメたんにクエストのお供のお弁当をお願いしていたことをすっかり忘れていたことに気が付き、本当に申し訳無い気持ちで胸がいっぱいになる。

 俺は、俺はいったい何を考えているんだ……。自分の心に決めた運命の人はもうとっくに現れていたというのにも関わらず、やれ魔女のおっぱいだの、メスガキのパンツだのと、うつつを抜かし、しまいには、とんでもない過ちを犯す寸前にまで堕ちてーー


「うわーん、せとめ~(棒)」


 ……!?


「えっ? 急にどうしたんですか、レラまで……」


「あのね、あのね……?」


 レラがセトメたんに駈け寄って抱きつく。

 抱きついて、控えめだが存在感が無くもない彼女の胸に、顔をうずめる。

 無論、俺は戸惑いながらも、そんな様子に釘付けになる。


「ソースケに乱暴された」


「「……!?」」


 一瞬で、その場の空気が凍り付く。そして、壮亮の背筋はそれ以上に凍り付く。


「……サクマさん?」


 訝しげに、そして恨めしげに壮亮を上目遣いで睨み付けるセトメ。怖い。

 そんなセトメの胸で小さく震えるレラ。笑いをこらえるのに必死である。


「いやいやいやいや!?!? 《まだ》してねーし!? なに出鱈目いってんだお前ェ!!」 


「「まだ?」」


 はい、自爆スイッチ入りました。本当にありがとうございます。

 セトメたんは怖い顔をしたまま、レラも怖い顔で眉をひそめながら、二人揃って、そーっと遠ざかっていく。


「ちーがーうーーー!! 聞いて? 今の、違うから。いや、二人とも聞いてくれよ~!?」



 三人の姿は、下層街の奥へと消えていく……。

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