26.眠らない街への水先案内人

 ×  ×  ×


 思いがけず、レラの友人に食事を振る舞ってもらえることになった壮亮。彼を先導して、下層街の通路を奥の方へ歩いて行くその人、セトメのあとを追う。


 素朴で人柄の良さそうな少女セトメの厚意に油断し、先ほどまでは何の心配もしていなかった壮亮だが、未だ得体の知れない領域である下層街の深部へ、今まさに向かっているという事態に、ここでやっと気が付いたようで、すると様々な不安が一気に襲いかかってくる。


 これ、また騙されてるんじゃないだろうか。


 騙されてなくても、途中で暴漢に襲われて身ぐるみ剥がされるかもしれない。


 実は途中に通行所みたいなところがあって、俺がよそ者だとバレたら、別室に連れて行かれたりしないよな?

 

 待てよ、これ、行きは案内付きでも、帰り道はどうすればいいんだ……?


 ……


 自然と、足取りが重くなる。

 意識が負の感情に支配され、実際よりも通路が暗く、辺りは不気味な静寂に包まれているような錯覚に陥る。


「どん」


 誰かに、軽く背中を押される。

 ビクッとして、我に返り、キョロキョロと辺りを見渡したところ、セトメに背後を取られていたことに気が付く。


「びっくりしましたよ、サクマさん。気が付いたら私一人で歩いていたんですから……」


 セトメが二、三歩後退りして、壮亮の様子を上目遣いで観察しながら、腰の後ろで手を組んで、ゆらゆらする。

 

「失礼ですが、サクマさんは、レムゼルクの方ではありませんよね。そんな方が、下層街で道に迷いでもしたら、冗談抜きで二度と太陽は拝めないと思ってください」

 

 決して、彼女に悪気はないのだと、先ほどの意外な茶目っ気が感じられた所業と、たった今の少しわざとらしい口調からも理解してはいるのだが、正直、冗談ではない。


「こ……怖いこと、言わないでくれよ……ただでさえも知らない土地の超ローカルな場所で、ナーバスになってたとこなんだから……」


「ふふふ。失礼、少しふざけすぎてしまいました。でも安心してください。帰りもちゃんとレラのところまで送って行きますから」


 何気ないセトメの一言に、キュンと、ときめいてしまう。

 マジでイケメンかよ。結婚したい。


「さあ、行きましょう。下層街の中心はすぐそこです。こんな夜更けでも賑やかなので、きっとびっくりしますよ」


 そういえば、言われてみると何やら旧市街の喧騒のような、賑やかな雰囲気が通路内に反響していることに気が付く。

 人々の笑い声。物が動いたり、割れたりするような音。楽器の演奏。


 セトメが、ひときわ明るい通路の角で立ち止まり、『お先にどうぞ』と言わんばかりに、腕で通路の奥を指し示す。


 紳士な少女に従い、通路のカドを曲がるとそこは……


 ……


 眠らない街。


 思わず、天井はどこかと見上げてしまうほど開けた地下空間に、目映い人工の明かりと、人だかりが溢れ、隣のセトメと会話するのも苦労しそうなくらい、やかましい夜の街の喧騒が飛び交っている。


 そんな夜の街には、小さな木造の屋台に始まり、立派な石造りの酒場まで、何十何百もの店が上下左右にひしめきあっていて、空のない天井を見上げない限り、ここが地下であることを忘れてしまいそうな風景である。


 酔っ払いのわめき声と、屋台の濃厚な煙と、酒場の酒臭にやられて、むせそうになる。


 まさか、中世風の陰気な城下町の地下に、こんな歓楽街が広がっていようとは。

 流石は、異世界。何でもアリである。


「サクマさん、こっち~!こっちです~!」


 非現実的な景色に圧倒され、道の端っこで立ちすくんでいたところ、誰かが服の袖を必死に掴んで引っ張っていることにやっと気が付く壮亮。

  

 セトメが、人の波に飲まれ、溺れかかっている。

 おそらく、彼女一人であれば器用に人と人との合間を縫って難なく波を乗り越えることができるのだろうが、思い通りに歩かない”お荷物”の面倒を見なければならないのだから、こうもなる。

 彼女は、レラほど小柄ではないものの、特別長身なわけでもなく、見失えば最後であろう。

 

 セトメの手が、壮亮の服から離れそうになる。


「おわぁあ!?ま、待ってセトメさんっ!!」


「きゃあっ!?」


 慌てて、セトメの方へ飛び込む壮亮。石造りの壁際で、俗にいう《壁ドン》よりも、互いの身体が密着した格好で、セトメを確保する。


 伝わる体温。

 鼻の頭に、髪の毛の感触。

 そして、レラよりも爽やかで、もっと良い匂い。


 ……そして?


 ……ちょっとだけ、こころなしか“ふにょん”とした控えめな感触が、壮亮のみぞおちの上くらいに伝わる。


 あっ(察し)。


 人生初体験の感触に、一瞬、脳裏で宇宙を見るが、すぐさま我に返り、セトメから身体を離し、青ざめて慌てふためく壮亮。


 「ファッ!?すみませんごめんなさいわざとじゃなくて!!!」


 「あっ、いや……大丈夫……ですけど」


 セトメが、気まずそうに“プイ”と横を向いて顔を逸らす。

 片腕で、控えめな胸のあたりを押さえている。


 やかましい喧騒の中で、気まずい沈黙が流れる。


「ふぅ・・・」

 

 少し経って、セトメが軽く息を吐き、再び歩み出したかと思えば、さり気なく壮亮に耳打ちをしてくる。


「あの、レラも、こういうのに弱いと思いますっ……」


 ファッ。


 両手で握り拳を作り、『ガンバレ』とでも言うかのような顔と仕草をしてくるセトメ。


 いやいや、だからそれは誤解なんだが。


 うん。


 なぜならば、今日から俺は、セトメたん推しなのだから(キリッ)。

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