25.真•俺の異世界生活

 冷たい地面に這いつくばり、顎のあたりを擦りむいた鈍い痛みを噛みしめる壮亮。


「だ、大丈夫ですか……」


 先ほどの女の子が、心配そうな顔をして壮亮に手を差し伸べてくる。

 下層街の通路は薄暗く、はっきりとは見えないが、一見してそこに立っているのは、洋食屋のシェフのような服を着た少女で、幾分、レラよりは落ち着いた雰囲気が感じられ、歳も壮亮と同じくらいに思える。


「あ、あざす……すみません……」

 

 差し伸べられた手を掴み、地面から起き上がる壮亮。彼の顎の擦り傷に、微かに滲んだ鮮血を見て、ハッとした少女が、懐から取り出したハンカチで優しく拭ってくれる。


 やだこの子、イケメンかよ。


「失礼。ほんのかすり傷でしょうが、放っておくと、ばい菌が入りますから」


 さらに、漢方薬のような独特の臭いが漂う謎の葉っぱを貼り付けてくれる。

 女子力!女子力も高いっ!!


「これでよしと。レラには内緒ですよ?ご存じかもしれませんが、彼女は結構嫉妬しぃなので、怒られちゃいますから」


 少しだけ居心地が悪そうに、はにかむ栗毛の少女。

 通路の薄暗さに目が慣れたおかげで露わとなった端正な顔立ちから、あどけなさがこぼれる。 


 あっ、好きかも。

 

 ……じゃなくて!!


「いやいや、違うんだって。俺は、レラの恋人とかそういう関係の何某ではなくてですね……?」


 かくかくしかじか。

 レラの罰金を払ってやった代わりに、泊めてもらっているのだと、簡単に事情を説明する壮亮。無論、異世界からやって来たなどとは口走らない。


「な、なるほど……。それは失礼しました。私ってば、てっきり……」


 居心地が悪そうに、そして恥ずかしそうに、静かな動揺を表す栗毛の少女。

 手を腰の後ろで組み、俯きがちに身体をゆらゆらと揺する。


 ……好きだ。


 凜々しさと優しさを兼ね備えた吸い込まれるような猫目がチャームポイントの、若干ボーイッシュ系な美少女。

 彼女のことをぽかんと見据えたまま、「俺の異世界生活はこんなところにあったのか」と、小さく口走る壮亮。

 

「?」


 栗毛の少女が困ったような笑顔で首をかしげる。


 結婚しよ。


 ……


 いやいや、違うだろ、俺。


「あ、いや。なんでもないんで気にしないでください。ところで、えっと……君はレラの……友達?」


「はい。申し遅れましたが、名はセトメと申します。下層街で商売をしているのですが、うちの店の余り物を友人のところまでお裾分けに来たんです」


 セトメと名乗った少女が手に持つカゴは、植物のツルか何かを編んで作られたカゴのようで、中には丸くて大きいパンや、厳つい顔をした川魚の焼き物、野菜スープ入りの小さな壺などが入っており、良い匂いが漂ってくる。


“ぎゅるるるる”


 そうだ、俺は腹が減っているんだ。

 それもそのはず。現実世界では昼飯を食い損ね、異世界転生すればブタ箱で飯を抜かれ、ほぼ2日間まともな食事をとっていないのだから。

 

 口を半開きにしてよだれを垂らし、おあずけを食らった犬のような顔で、セトメの持つカゴを凝視する壮亮。

 その様子に気が付いたセトメが、申し訳なさそうな顔をしながら、カゴを身体の後ろに隠す。


「あの……ごめんなさい……これは、レラにあげるつもりで……」


 《ゾンビの群れを前に、ハンドガンの弾倉が空になって、ホールドオープンした銃を見つめる陽気な黒人キャラ》のような絶望顔をする壮亮。じーざすくらいすと。


「……あ、そうだ!よかったら、今からうちに来ませんか?本当に簡単なものでよければ、代わりに何かご馳走しますよ?」 

 

 一瞬、命の光が消えかけた壮亮の表情が、ぱぁっと明るくなる。ごっどぶれすざゆーえすえー。

 

「いいんですか!?ゴチになりますっ!!」


 機敏に、深々と頭を下げる壮亮。

 突然の奇行に「わっ」と小さく声を上げて驚いたセトメだが、それがおそらくは異国の礼儀作法だということを洞察し、自身もまたペコリと軽く会釈してみせる。


「そんな大きい声を出すと、レラが起きちゃいますよ?そーっと、行きましょう?」


 セトメがレラの小屋の扉をそっと開き、中で気持ちよさそうにレラが寝息を上げているのを確認すると、食事入りのカゴを注意深く小屋の中に差し入れ、抜き足差し足で壮亮のところに戻ってくる。


「さあ、行きますか。えっと……?」


 セトメが、壮亮の顔を上目遣いでちらりと見た後に、居心地が悪そうに視線を逸らす。


「あ、そうか。俺、佐久間壮亮っていいます……。ごめん……」


 申し遅れていたのは自分の方だと、今度は申し訳なさそうに、頭を掻きながら軽く会釈をする壮亮。

 

「そんな!気にしないでください。夜中に突然押しかけたのはこちらですから……。では、ご案内しますので、ついて来てください、サクマさん」

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