第2話 「……私、可愛い?」

「おはよう」


「おっ、おっはよ〜、唯人!」


 翌日。紺色のシンプルなスクールバッグを片手に教室の扉を開けると、その音に気付いたクラスメイトが挨拶を返してきた。


「おはよ、奏多は相変わらず元気だなぁ」


「まぁな」


 通り掛かる人全員の目を引いてしまいそうなほど爽やかな笑顔を浮かべるのは、僕のクラスメイトであり仲もいい友達の奏多だ。


「それにしても、今日はいつもより来るのが早いけどどうしたんだ? なんかあるのか?」


 奏多は、自分の席に向かう僕に付いてきながら、教室の手前に設置された時計に視線を向けてそう尋ねてくる。


 うちの学校はショートホームルーム──略してSHRと呼ばれる生徒の出欠確認などをする時間が一時限前に設けられているのだが、今はまだその四十分近くも前だった。


「ん? ……あぁ。ほら、前に言ったでしょ。5月の初めくらいに水泳部の手伝いがあるって」


「そういえば言ってたな、プール掃除って……。水泳部じゃないのによくするよな。頑張れ」


 そう、プール掃除があるんだ。本来プール掃除は水泳部がするものらしいんだけど、僕は水泳部ではない。ただ単に、人員が必要そうだったので手伝いとして、だ。


「ありがとう。まっ、先生が困っているようだったからね。放って置くわけにもいかないし、掃除自体は放課後あるんだけど、用意だけでも済ませようと思って」


「相変わらず人が面倒くさがりそうな活動は率先してするよな。優しさも大事だとは思うけど、ほどほどにしとけよ」


「……? うん。ほどほどにしてるつもりだけど」


「……さすがお人好し、何かそのうち犯罪者までも助けてしまいそうだな」


 ははは、と呆れるように笑う奏多。


 犯罪者はさすがに通報するよ、なんて突っ込みを入れながら、自分の席に荷物を置き、今日の授業の用意をスクールバッグから取り出し始める。


「──あっ、そうだ! なぁなぁ唯人!」


「ん、どうしたの?」


 スクールバッグに手を突っ込みながら陽気な声のする方を向く。すると、目をキラキラと輝かせる奏多の姿があった。


 何か嬉しいことでもあったのかな?


「昨日のことなんだけどさ、部活の朝練で適当に周りを走ってた時、偶然天使と出会ったんだよ!」


「……て、天使?」


 テンションの上がり具合が激しいな、なんて苦笑しながらそう尋ねる。急に天使と言われても、何がなんなのか全く理解できなかった。


「もしかして、知らないのか? 結構有名だぞ。近くに私立の女子高があるだろ。そこに在席しているとんでもなく可愛い一年生のことだよ」


 奏多の口ぶりからして、その『天使』と言われる人は有名なんだろう。


 けれど、聞いたことないな……。


 でも、天使というフレーズにはどこか覚えがあるような。なんだったっけ?


「いやぁ、本気で可愛いかったぞ。天使と謳われていて少し盛ってんのかなって思ってたけど、あれは納得だな」


「天使……ねぇ」


 そこまで奏多が言うということは、それほど可愛らしい容姿を持っているんだろうな。でも、それくらい美人なら僕とは接点なんてないよね、どう──


「──ぉりゃあっ!」


「うぉぉぉお!?」


 などと考えていると、後ろから何かがぶつかる感覚。衝撃が強すぎたために、僕は机にドンとぶつかった。いってぇ……。みぞおちぃ……。


「ふっふっふ〜! おっはよ〜! 唯くん、奏多! それにしても唯くん今日早いね〜」


 後ろを向いてみれば、悪戯の成功した子供のように、にっと白い歯を見せて笑みを浮かべる女子。


 日光や天井の照明に照らされて輝く金髪の髪を持つ女子は、ぼくの小学校からの幼馴染である天音。


 髪を後ろで一つにくくってポニーテールにしている天音は、簡単に言えばみんなをまとめるような、それでいていつもクラスの中心にいるような、そんな完璧人間。


「おはよ」


「おはよ〜、まぁね。今日プールの掃除を手伝いに行かないといけないから。準備のためにもうそろそろ向かうつもり」


「ふへぇ……流石だねぇ。ってそうだ。さっき天使って聞こえたんだけど、もしかして噂の女子校の生徒さんのこと?」


「え、天音も知ってるんだ? 天使って言うけど全然聞いたことないし、正直奏多の妄想かと」


「え、信じてなかったの!?」


「ふふっ、はははっ、ちょ、お腹いたぃ……ふふふっ、唯くんやっぱり面白いなぁ」


 片手でお腹をかかえて、もう片方の手で笑いすぎたのか出た涙を拭っている。天音は昨日の電話でもそうだったし、中学校でも、……いつもこんな感じだったなぁ。


「あっ、やべ。そろそろ俺朝練の準備向かわないと」


「「おっ、いってら〜」」


「あんがと〜、じゃな!」


 と、奏多はくだけた口調でそう答えると、体操服の入った袋を片手で抱えながら、もう片方で手を振り教室を去っていった。


「それにしても、天使って呼ばれてる人、可愛いんだってね〜。あーあ、羨ましいなぁ」


 二人きり──といっても、教室には何人かいるけど──の中、間延びした声で空(天井)を仰ぎながらそんなことを呟く。


 天使のことは知らないけれど、特別な美貌を持っているからこそそう謳われているのだろう。


 そして、だからこそ天音が羨ましがるのも通常のことであるのだと思う。けれど、


「天音はもともと可愛いと思うけどなぁ。さらに可愛いくなろうとしてるって……どれだけモテたいの?」


 からかう様に僕はニヤリと笑みを浮かべながら天音にそう言う。天音の西洋人のような碧眼がこちらを上目遣いで見つめていた。


「か、かわいい……可愛い、の?」


 少し顔を赤らめながら、こくんと首を傾げてそう尋ねてくる。


「……まぁ可愛い、よ」


 改まって言おうとすると、今さらになって急に羞恥心が襲ってきた。今回、からかっているという建前(言い訳)が使えなかったからだろう。


 ……というか、好きでもない男にこんなことを言われて、気持ち悪いとか言われないだろうか。


「……──ふふっ、顔を赤くしちゃって〜!」


 ……なんて、天音の前にそんな考えはとりこし苦労だったようだ。


 そうだよな、天音はからかうのが好きなやつだったな。……それのせいで散々恥ずかしめを受けたっけな。はは、はははは……。


「って、僕もそろそろ準備に行かないと。ごめん、行ってくる!」


「頑張ってね〜!」


「ありがと!」


 そうお礼を返すと、僕も教室を出た。


 密かに顔を赤くする天音を、知ることなく。

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