其の五
†5†
「……なによ、これ。こんなの、どうすればいいのよ」
「
「おい、土田……大丈夫か?」
なおも雅紀が呼びかけると、小豆はようやく立ち止まった。
「ねえ、
「だっ、ダメ、ダメだろ! 制服で何しようとしてんだよ!」
「……けち。ま、それで名案が浮かぶわけじゃなし、他の方法を考えるわ」
小豆は小さく口を尖らせると、キャットウォークから降りて、外へ出て行った。
「あっ、土田」
雅紀が慌てて後を追うと、小豆は美術室の前まで来て立ち止まり、急に振り向いた。
「ちょっと、ついて来ないでよ」
「だってお前、何か思いついたのか?」
「あなたには関係ないじゃない」
「でも手助けできることがあるなら……」
「なによ、助手でも気取るつもり?」
「そういうわけじゃいけど」
「じゃあ放っておいて。足手まといよ」
「でも、何かの役に立てるかもしれないだろ」
言い争っていると、美術室のドアが開き、中から
「お前ら、試合は終わったのか?」
「えっ、あっ、叔父さん!? さっきの、聞いてたの?」
小豆は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あー、なんだ。喧嘩したなら男の方がさっさと謝るこった。長引いてもロクなこたねぇぞ」
「そういう話じゃないです、先生」
雅紀が否定すると、朝倉は口元だけでへっ、と笑った。
「じゃあなんだ、またバケモンがらみか。あんま妙なことに首突っ込むんじゃねぇぞ」
「そ、そうよ、浅井くん。放っておいて」
「バカ、お前もだ」
朝倉にぴしゃりと言われて、小豆は押し黙る。
「……ひょっとして、もう
「関係ないじゃない」
小豆はバツが悪そうにぷい、と横を向く。
「お前の兄貴もそうだが、二人ともどうしてこう危険なモノに首突っ込みたがるんだろうな。坊主やら拝み屋やらの血筋がそうさせんのか?」
「それに、あたしが困ってる人を無視できないっていうのもあるかもしれないわよ?」
「ったく、ああ言えばこう言う。昔はもっと素直だったんだがな……」
頭に手をやって
「おい、土田……?」
雅紀が後を追うと、小豆は自分の荷物からルーズリーフを取り出し、何かを書き込んでいた。
「何を書いてんだ?」
「都市伝説の『ヤマノケ』を要素で分析してるのよ。既知の妖怪や妖精との共通点が見つかれば対策ができるかもしれないわ。……腹立たしいことに、兄のストーリー作りと同じ方法だけどね」
そう言いながら次々とルーズリーフに単語を書き込んでいく。
草書体……いや、くずし字に近い、書いた本人すら読むのに苦労しそうな字は、普段の小豆の、読みやすい几帳面な字とは正反対で、それだけ焦っているのだというのが察せられる。
「そういうわけだから浅井くん、もう放っておいて」
そう言われては、雅紀には出る幕がない。
さりとて、言われた通り放っておく気にもなれず、雅紀は小豆のそばで作業を見守っていた。
「あーあ。ったく、泣けてくるぜ。こいつの忠犬か、お前は?」
「忠犬、そうかもしれませんね」
朝倉にからかわれても、雅紀は小豆の手元に注目したまま薄い反応を返すだけだ。
「じゃあせいぜいシッポ振っとけ。捨てられてもキャンキャン鳴くなよ」
朝倉はそれだけ言うとイーゼルの前に腰掛け、自分の絵に戻った。キャンバスには
「いい、浅井くん? 今回の相手は今までみたいにはっきり対策が分かってる相手じゃないの。強い
「でも、そういうのは前の
「そうね。でも、だから……あなたには首を突っ込んでほしくないのよ」
小豆は手を止めて言った。
「神様の障りとか呪いっていうのは特に強力で、死んで終わり、なんてことにはならないのよ、たぶん。あのヤマノケっていうのも元々はなんらかの理由で山神の怒りを買った人間なんだわ」
そう言って雅紀の方を振り向いた目はいつにも増して鋭い。視線だけで相手を殺せるのではないかと思うほどだ。
「だから、巻き込みたくないのよ。下手を打って山神に取られるのはあたしだけで十分」
「そんなことを聞いたら、余計に放っておけないだろ!」
雅紀は思わず声を荒らげていた。
小豆も、朝倉も、驚いたような顔で雅紀の方を見ている。
「そんなことを聞いて、放っておけるかよ……」
そのまま、しばし場が凍り付いた。外から聞こえてくる
ややあって、小豆がぽつり、と口を開いた。
「……まあ、そう言う気はしてたわ」
最初からそうなると知っていたような口振りだった。
「でも、八尺様の
「だったら……」
「だから、なおさら巻き込みたくないの。わかって。あたしが下手を踏んだせいであなたが取られるなんてことは避けたいのよ」
小豆はちらり、と目線だけで雅紀を見上げた。
「あなたはこの件にはもう、関わらなくていいの。この魔女さまに任せて、普段の暮らしに戻ってくれれば、ね」
「そんなこと、できるか。キミは見ず知らずのオレを助けてくれた。それに、今危ないのは幼なじみなんだ。黙って引き下がるなんてこと、できるもんか」
「あたしは命を……ううん、魂を賭けてるのよ。何もできない一般人にウロチョロされると迷惑なの、足手まといなのよ」
小豆の声は一段と低く、そしてわずかに震えていた。
確かに、小豆の言うことはもっともだ。戦う術のある小豆と違い、雅紀は少し知識があるだけの一般人に過ぎない。雅紀にできることは何もないのだ。
雅紀が押し黙っていると、絵に向かっていた朝倉がため息をついた。
「お前な、少し強情すぎんだろ。誰に似たのか知らないが、手助けぐらいはしてもらってもいいんじゃないか?」
「そういうことじゃないのよ。あたしが言いたいのは」
小豆は朝倉の方に向き直る。
「世の中には縁っていうものがあるの。いい縁ばかりじゃなくて、悪縁とか奇縁だって。そして、縁は簡単に繋がってしまう」
「袖振り合うも
「……っ!」
「相手がどんなバケモンかは知らねぇ。けどな、少なくともお前ら自身の間には縁ができちまってる。だから、お前らの片方が下手踏んだら、もう一方が首突っ込んでなくても巻き込まれるんじゃねえのか?」
朝倉は振り向きもせずに一方的に話す。その間、筆を持つ手が止まることもない。一方の小豆は奥歯をかみしめたまま悔しそうに押し黙っている。
「一つ積んではははのため、二つ積んではちちのため、って唄っちゃいても、心ん中じゃ自分が浮かばれたいために石を積んでる。でも、そうやって自分のために積んでる限りは何度だって鬼に崩される。賽の河原ってのはたぶん、そういうところだ」
朝倉が不意に、珍しく僧侶らしいことを言い出した。その話題の転換についてゆけず、雅紀は朝倉と小豆を交互に見やった。
「小豆、今のお前も同じだよ。世のため、人のために魔女なんて名乗って霊能者ぶってるが、本当は自分のためだろ? あの兄貴を越えたい、世間に自分の力を認めさせたい、そういう風に思ってんだろうが」
そこまで言って、朝倉は筆を置いた。
「弟子だろうが助手だろうが構わないが、浅井は傍に置いとけ。お前の道は一人で行くには危険な道だ。誰かが
「確かに、そうね……」
小豆はゆっくりと答えると、眼鏡を外して目元を拭った。
「……浅井くん、ごめんなさい。少し気が立ってたみたい」
眼鏡をかけ直した小豆の顔は
「え、いや、オレは……どうすればいいんだ?」
「そうね、とにかくヤマノケについて情報が欲しいわ。都市伝説のモノと
「わかった。とにかく、
雅紀はスマートフォンのチャットを呼び出して、千佳に送るメッセージを打ち始めた。
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