其の十

   †10†


 小豆あずきが登校すると、じゅんが青い顔をして待っていた。

 比喩ではなく、本当に純の顔は真っ青だった。特に目元には大きなクマができ、まるで病人のようにも見える。

 昨日教室で別れてから一晩しか経っていないとは思えないほどに、その消耗は著しい。


「どうしよう、土田つちださん……」

「どうしたのよ? なんか顔色も悪いし」


 小豆がたずねると、純は思い詰めたような顔で切り出した。


「昨日、変な夢を見て……今朝きいてみたら、やっぱり六角ろっかく先輩、昨日から原因不明の高熱で寝込んでるって……」

「変な夢って、どんな夢よ?」

「うん、それがね……」


 純から昨夜のことを聴いた小豆は気が遠くなるような感覚に襲われた。


「まさか、そんな古典的な……。いい、筒井つついさん。あなたがもらったっていうお守りは、たぶん、なんらかの憑物ツキモノよ。つい最近まで信仰されていた外法げほうのたぐい」

「はわ……それって私、どうなっちゃうの?」

「まあ、このまま使い続けたらいずれなんらかのしわ寄せが来るわね。まあ、後はあたしに任せて、保健室で休ませてもらいなさい」


 小豆はそう言いながら純の足下に目をやった。以前見た小人はいつの間にか数が増えており、今では純の足下で、純を中心に輪を描いて踊るように回っている。

 おそらく、この小人がすべての原因、外法の本体なのだろう。


「まるでフェアリー・リングね」

「土田さん? 今なんて?」

「いえ、別になんでもないわ。ほら、保健室に行きなさいよ」

「でも、なんかそういう気分になれなくて……」

「休みなさいって。運動部は体が資本なんでしょ?」

「うん、そうだけど……」


 純の煮え切らない態度に、小豆は段々と腹が立ってきた。


「いい加減にしなさいよッ!」


 小豆が背中を叩くと、純はバランスを崩して倒れそうになり、慌てて近くの壁に手をついた。


「はうぅぅぅ……」

「ほらね。いまのあなたはこんなに消耗してるの。余計なことは考えないで休んでなさい」


 小豆が勧めると、さすがに応えたのか、純は渋々しぶしぶ歩き出した。

 その後ろ姿を見送っていた小豆は、相変わらず純を囲む小人たちに見られたような気がして、一歩後ずさった。


 その日の昼休み、小豆は金剛鈴こんごうれいを手にして図書室を訪れた。

 無用な音が出ないよう、ぜつに白布を巻いている。

 小豆が閑散としている図書室を見回すと、彼女はすぐに見つかった。閲覧スペースで、椅子に全体重を預けて退屈そうに本を読んでいる。


「久しぶりね」


 小豆が声をかけると、彼女――松永智明まつながちあき億劫おっくうそうに顔を上げ、そしてすぐに楽しそうに笑う。


「や、久しぶり。元気してる? あたしの後輩になったって聞いた時はビックリしたなぁ、もう」

「あなたのそういう態度、本当苦手だわ」


 小豆は軽く頭を振ると、智明の正面に立った。


「単刀直入に聞くわ。筒井さんが妙なモノに付きまとわれてるの、あなたのせいでしょ?」

「んー? なんの話だろう?」

「知らばっくれないでよ」

「知らばっくれるな、って言われてもねー」


 小豆の追求を、智明はぬらりとかわす。


「いいわ、じゃあ話を変えましょう。筒井さんに一体何をあげたの? 答えて」

「んー、それを知ってどうする気?」

「もちろん、筒井さんを助ける気よ。それで、どうなの?」

「ふーん。そんなに仲良くもないのにご苦労様だ。せっかくだし、教えてあげるよ。あたしがあの子に教えたのはお守りじゃなくておまじない。それも、御館様おやかたさまから授かった、特別なヤツ」


 悪びれる様子もなく、智明は笑った。


「御館様って……煌鷹こうようから? よくもそんなまじないを教える気になったわね」

「まあ、あれをどう使うかはそれこそ術者次第だしね。そうそう、彼氏できたって聞いたけど、どんな子? お姉さん教えてほしいなぁー」

「ふざけないで!」


 小豆がなおも詰め寄ると、不意に智明の笑みが変わった。さっきまでのふざけた笑みとは違う、本気の笑み。


「ま、キミの彼氏なんてあたしはどうでもいいけどサ。神様はどう思うかしらね?」

「それはどういう意味?」

「……」

「答えて!」

「黙秘します」


 智明は再びニヤニヤと薄気味悪く笑いながら席を立った。


「んじゃ、そういうことで。せんせぇさよおなら」


 そのままふざけた態度でヘンラヘラヘラと笑いながら図書館を出て行く。


「ちょっと……!」


 小豆はため息をつくと、智明がテーブルに残していった本に目を留めた。

 中端煌鷹なかはしこうようの新作、『GOTHシリーズ・PUPPET』。双子の兄弟が主人公の怪奇小説シリーズで、今作では呪いの人形を題材として扱っている。


「……まさか、ね」


 嫌な予感がして、小豆もまた駆けだした。

 男子の教室がある階に降り、雅紀まさきの教室に顔を出す。

 しかしそこに雅紀の姿はない。

 小豆は仕方なく、入り口の近くで漫画雑誌をめくりながらあれこれ話している男子たちに声をかけた。


「ねえ、浅井あさいくん知らない?」

「ん、なんだよ急に? 急に具合悪くなったから保健室行くって言ってたぞ」

「ありがとう」


 小豆は周囲の男子生徒が投げかける好奇の目を浴びながらも、保健室を目指して再び駆け出す。階段を一段飛ばしで駆け下り、保健室の前に到着すると、保健室のドアに手をかけた。


「筒井さん! 浅井くん!」


 小豆は急いでドアを開けようとしたが、ドアはぴくりともしない。


「カギでもかかってるって言うの? でも、この時間は先生がいるはず……。だとしたら結界ね」


 小豆は焦りながら、舌に巻いた白布を外す。


「浅井くん、まだ無事でいてよね」


 ちりん。


 小豆が金剛鈴を打つと、独特の音が廊下に響く。

 もう一度ドアに手をかけると、今度はほとんど抵抗無くするすると開いた。

 だが、その向こう、保健室の中は暗幕でも張ってあるのか、奥を見通すことのできない暗闇に包まれていた。

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