739話 逃避行

 陸奥国野辺地 足利義昭


 1585年冬


「おぉ!公方様、お待ちしておりましたぞ!!」


 南部領野辺地の港町で予を出迎えたのは、先んじてこの地へと逃れてきていた上杉憲政であった。

 顔には無数の掠り傷があり、チラッと見えた腕には赤く染まった布が巻き付けてある。おそらく会津で戦いに巻き込まれたのであろう。

 随分と一方的なものであったと、予をこの地に案内した者が申していたゆえ。


「憲政も無事で何よりである。しかしまことに予は南部で受け入れて貰えるのであろうか?」

「その点はご安心を。倅が先んじて南部信直殿に保護されております。随分と気に入って頂いているようで、今では側に置かれ政を学んでいるとのこと」

「それほどまでにか」

「南部家は現在岐路に立っております。南から忍び寄る伊達に喰われるか、逆に喰って奥州の覇者となるのか。公方様が南部家にとっての光になることは間違いないかと」


 しかし予は分からない。

 蘆名家は元々予に信頼を寄せていた。ゆえに毛利を捨てて、奥州へと足を運んだのだ。

 だが実際に会津に入ると、すぐに状況がおかしなことになっていることに気がついた。

 予を受け入れるはずであった者達が相次いで殺害され、ついには当主が親伊達派の男へとすり替えられていたのだ。当然予の会津入りが認められるわけもない。

 追手を躱しつつ、予は越後の港から命からがら脱したというわけである。


「まぁ良い。予を公方として掲げるのであれば、蘆名でも南部でもな」

「信直殿も公方様とともに戦えること、至上の喜びと感涙いたしましょう。ですがその前に公方様にお願いしたきことがございます。あまり外で話せることもでありませんので」

「うむ。陸奥は安芸に比べて随分と冷える。予もどこかで暖をとりたいとおもっていたところよ」

「すでに場所は確保しております。部屋も暖かくしておりますので、そちらで今後の事についてゆっくりとそちらで」


 周りの民からの視線は気分のよいものでは無かった。予が得体の知れない人間であったからであろう。

 実は公方であるとしれば、この混沌とした奥州の光となると喜ぶはずである。


「元政、外の警戒は続けさせよ」

「かしこまりました。それと妹は」

「うむ。まだこの地の者達は予に警戒心を抱いておる。女達をひと目に晒すことは危険であろう」

「かしこまりました。では妹らは船へと一時的に戻し、岸からも離しておきましょう」

「そうしてくれ」

「はっ」


 元政に代わり、側へと寄ったのは一色藤長である。

 手には護身用の短刀を持っており、あくまで憲政に対して警戒している用意があることをそれとなく予に伝えてくる。

 予も小さく頷き返し、それを隠すようにと目で伝えた。

 今はまだ憲政は味方である。

 しかし憲政に秘密裏に与えた任は失敗続きであった。越後の奪取と景勝の暗殺、大宝寺や蘆名を支援し、対今川・伊達の急先鋒に仕立て上げること。

 挙げ句の果てには蘆名と伊達の和睦に尽力した疑惑まで上がっているのだ。予は完全にこの男を信用することは出来なかった。


「こちらでございます」


 港からしばらく歩いたところ。憲政は足を止めて屋敷を手で指し示す。この港町の中では一際目立つ造りで、明らかに統治用に建てられたものであると理解できた。


「うむ。なかなかよい屋敷ではないか」

「はい。こちら信直殿のご厚意で一時的にお借りした屋敷でございます。この地で公方様をお迎えすると分かっておりましたので」

「そうか。信直との面識はまったく無いが、今のところは毛利よりも高評価であるな。彼奴らは保護された予を追い出そうとしておったでな」

「赦せぬ話でございます。ですがこの地の者達は公方様こそ正当な幕府の長という認識でおります。現在京を我が物顔で歩くのは、簒奪者でございますからな。信直殿もいずれは公方様を京に戻すために尽力すると私に言うておりました」

「それは頼もしい話である。南部の名は逃避行を続ける予の耳にも良く聞こえていた。蘆名は周辺諸国との闘争に敗れて弱っていく一方であったが、南部は徐々に力を付けているとな」

「その通りでございます。ゆえに私も倅をこの地へとやっておりました」

「先見の明があるの。さすがは関東管領である」

「いえ。私は"元"でございます。自らその立場を降りましたので」

「あれも追いやられたようなものよ。長尾の者達によってな」

「そう、でございますな。二度目は完全にやられたと思っております。あれは政虎と氏政にうまくやられてしまいました。上野に戻れたことに舞い上がり、一度は泣く泣く手放した関東管領が再び戻ってくるということに気分が高揚し、周囲が見えていなかったのでございましょう」


 やや視線が下を向いた。

 項垂れているように見える。

 しかし今の私には憲政の協力が必要不可欠である。この男が上野復帰、関東管領復帰を掲げる限り、いつまでも予に尽くし続けるであろう。

 諦められては困るのだ。


「ならば予の最初の役割は憲政の関東管領職の補任といたそうか」

「関東管領職の補任、でございますか?」

「どうせこの日ノ本に関東管領職に就いている者は1人もおらぬのだ。上野が今川の手に落ちたことで、ぬしの倅もその役を辞したのであろう?まぁ予に返還の挨拶は無かったがな」

「倅が無礼をいたしました」


 慌てて憲政が頭を下げるが、予はそういったことが言いたかったわけでは無い。ただ幕府の要職の1つが空席となっているという事実を述べたかっただけである。


「よい。彼奴は長尾や北条に生かされ、今川にすり寄った裏切り者である。憲政の倅であったとしても到底赦せぬ行いをした」


 憲政の顔色は徐々に青くなっていく。だが予は気にせず言葉を続けた。


「しかし憲政は早々に予を頼ってくれた。あのような状況で予を頼ってくれたのが憲政でよかったと心底思っておる。似た野望を抱く者は強く結びつくことが出来るゆえにな。憲景のことは残念であるが」

「それは・・・。それはよいのです。最早あの男は敵方に飲み込まれてしまいました。助けようとも思うてはおりませぬ。あれもまた私を上野から追い出すことになった要因でございますので」

「そう言うてくれるとやりやすくなるというものである。まずはそなたの関東管領補任を命じ、その後に憲政の言うすべきことをやるといたそう。異論はあるであろうか?」

「いえ。私も幕府の一員として、懸命に公方様をお支えする覚悟でございます」

「その言葉、まこと嬉しいものである。今後ともよろしく頼むぞ、憲政」

「ははっ!必ずや京にお連れいたします!!」


 そういえば関東管領の話で盛り上がって、いったい憲政が何を言おうとしていたのか聞いていなかった。

 あの顔つきから察するに、何やら南部も面倒事を抱えているようであったがいったい・・・。




 三戸城 南部信直


 1585年冬


「・・・憲武のりたけ、そなたに公方様を出迎えるための用意を任せる。私の顔に泥を塗らぬよう、側に付けた者達と慎重に話し合いをするように」

「かしこまりました!!」

「失敗すればそなたの父の顔にも泥を塗ることになること、ゆめゆめ忘れぬようにな」

「はい!!」


 ともにこの地へと逃れてきた長尾ながお保家やすいえとともに部屋を後にした憲武。

 それを見送った私と信愛は、足音が遠ざかったことを確認して大きなため息を吐いた。


「まさかでございました」

「あぁ。まことその通りだ。まさかあの男を南部で抱え込むことになるとは、完全に想定外よ」

「てっきり蘆名から声高々に上洛を叫ぶのかとも思っておりましたが・・・」

「今は正直上洛に興じている暇など無い。思った以上に奴らの抵抗が激しく、領外になどまったく目を向けられぬ」

「・・・ワシの不手際が招いたこと。失態でございましたな」

「いや。そもそも私が南部家中をまとめ上げられなかったことが全ての原因なのだ。九戸の言い分も理解できる。元々満場一致で家督相続が決まったわけでは無かったゆえ、その辺りの配慮もしっかりとすべきであった。だが今はそのような反省を述べている場合では無い。私もそろそろ兵を率いて前に出るべきでは無いか?」


 九戸政実は、私の家督継承を反対する者達をまとめ上げて兵を挙げた。しかし攻め寄せてくる気配は無い。無いが、奴を排除せねば我らは大浦の討伐に兵を動かすことが出来ぬ状況にあるのだ。

 早々に決着を付けねばならぬ。

 おそらく政実はその焦りを感じ取っているのであろう。ゆえに攻めては来ぬ。

 ただひたすら守りに徹し、機を待っているのだ。何か、とてつもないことを奴はしようとしている。

 そんな気がしてならなかった。


「いけませぬ。殿がこの地を離れれば、大浦が好機と攻め寄せて参りましょう。現状奴らの足止めは七戸が中心となって抑え込んでおりますが、あの男も殿の継承に難色を示した者でございますので、心底信頼は出来ませぬ」


 信愛の言葉に八方塞がりだと思った。

 そしてここに加えてのあの男の入国である。憲政の倅で、数人の供と共にこの地へと逃れてきた憲武を保護したことが災いした。

 受け入れなければならない状況に追い込まれていたのだ。


「打開の手を考えねばならぬ。奴らの守りはあまりにも堅い」

「・・・」

「信愛?」

「あの御方次第ではございますが、1つ方法を思いつきました」

「方法?良き案があるのか」

「あるにはあります。ですがとてつもない厄介ごとに発展する危険もあります」


 一難去ってまた一難。

 私の顔色が優れなかったことを察したのであろう信愛はすぐに首を振った。


「南部の立場を悪くする一手でございます。本当に最終手段といたしましょう」


 信愛は大きなため息とともに首を振ったが、その表情はあまりにも暗く、まるで南部の先行きを示しているようであまりにも不吉であると思わされた。

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