408話 嫡子の苦労

 今川館 一色政豊


 1576年春


「殿が武蔵国と下総国の国境部にて佐竹の大軍を少数で打ち払ったとのことにございます」


 そう同行していた時真から聞いたのが何日も前のこと。江戸川で対峙した佐竹の大軍を粘り強く攻め、御味方とともに大勝したというものであった。

 さすがは父上であると喜んだものであったが、以降何の報せもない。

 何かあったのかとも思ったが、それならばそれで早々に報せがくるはずであるのだ。時真も心配いらぬと申していた故に、気を落ち着かせて過ごす日々が続いていた。

 そしてそんなある日、またも目出度い報せが駿河の屋敷へと飛び込んできたのだ。

 長らくお呼びがなかったと思っていたが、時期が時期であった故、父上の一件とは別に緊張した毎日を過ごしていた。

 その報せとは、市様と春様が無事御子を生まれたということ。

 またも同時期に、そしてまたも市様が姫様で春様が男の子であったこともあり、今川館に残る方々は随分と緊張されたようであったが、これまでと何ら変わらずお二方の関係は良好であるようだ。

 すでに織田様にも報せの者が出されたと言われていた。そんな市様より、随分と久しく呼ばれたのが今日である。

 供の者らには、時真や商人らと共に選んだ祝いの品を持たせての登城であった。


「まことにおめでたいことにございます」

「わざわざこのようなものを用意せずともよかったのですよ。あのような時期であったから気を遣わせてしまいましたね」

「いえ、いつ登城していたとしてもお祝いの品は持参しておりました。父上の顔に泥を塗るわけには参りませぬので」


 私がそう申し上げると、市様は一度首をかしげられてからおかしげに笑われた。

 隣に座っていた茶々姫様もそれにつられるように笑われる。このように気まずい思いをしているのは、今川家中においてもきっと私だけであろう。

 そう言いきるほどの自信があった。


「たしかに私は兄様のこともあって、あなたの御父上のことを気に入ってはおりますよ?先に言っておきますが、これは殿方としての興味では無いですからね」

「・・・はい」

「ですがこうしてしきりに呼ぶのは、政豊殿個人に興味を抱いているからなのです。そこにあなたの御父上は関係がありません」

「そうなのですか?私はてっきり」

「その証拠に、私の名では一度も政孝殿とお会いしたことなどありませんから」


 また笑われた。

 しかし未だに何の経験も無い私でも分かる。

 もし私的な用事で主家の御正室が、それなりの立場があるとはいえ男を部屋に呼ぶのは如何なものなのか。

 よからぬことをしていると思われれば互いに立場が危ぶまれると思うのだが・・・。


「前にも言ったことですが、あなたを呼べばこの子が喜びます。それに五郎殿も同様に。そうですね?」

「はい、母様」

「いつもなら活発なこの子も、あなたの前ではこのように大人しい子になってしまうのです。母としてもこれほどまでに分かりやすいと、先々心配で・・・」

「母様!?私はいつもそのような娘ではございませぬ!」

「そのように必死になって。大丈夫ですよ、政豊殿は分かっておられますから」


 頬を膨らませたままのお顔で私へと視線を移される茶々姫様。


「政豊様、私本当にいつもこのようにおしとやかな娘ございます!どうか母様のお言葉に惑わされないようにお願いいたします!」


 いったいこの場合、誰の顔を立てれば良いのであろうか?普通に言えば、この中で一番目上の方となる市様なのであろうが、私よりも歳が下の茶々姫様につれない態度をとる方もどうかしていると思う。

 いよいよ困り果てた私。返事がないことを不満に感じてか、その頬はどんどんと膨れていく茶々姫様。

 市姫様に視線を移せば、また静かに笑っておられた。決して茶々姫様には見られぬように。

 そしてようやく私が遊ばれていたことに気がつく。


「ご安心くださいませ、茶々様。いつみてもあなた様はおしとやかな姫様にございますので、そのように疑うはずがございません」

「そうなのです。母様はやはり意地悪にございます」

「そのようなことはありませんよ?あなたにも妹が出来たので、母は心配しているのです。ちゃんと姉として振る舞えるのかと」

「当然にございます。私が姉として初を見守りますので」


 微笑ましい会話に思わず笑みがこぼれてしまう。結局いつもの疑問にたどり着くのだ。

 私はいったいどのような顔でこの場におればよいのかと。

 その後もなかなか解放されない状況が続き、いよいよ笑う顔にも力が無くなった頃にようやくこの場はお開きとなった。

 市様が春様にも顔を見せて上げて欲しいと言われたため、人をやって許可を頂いた後にご挨拶だけしてきた。

 さすがに市様のように長時間の拘束はなかったが、市様に比べて春様は随分と疲れておられるように見えた。大丈夫であるとはいわれたが、一応何か助けになるものを送っておこうと思う。

 また高瀬や喜八郎に問うてみようか。

 そんなことを思いつつ、屋敷の中を歩いていた。すでに日は傾いており、いそいで帰らねば日が暮れて外が暗くなるであろう。

 足早で歩いていると、また誰かの気配が背後にあった。


「これはこれは政豊殿ではありませぬか」

「新野様、お久しぶりにございます」

「今日は確かに久しいの。して此度もですかな?」

「その通りにございます。ですが、此度はそのお祝いも兼ねて色々持って参った次第にございます」

「なるほど。父子揃って気の遣える者達であるということの証明にございますな」


 新野様の側には、前回同様に伊達竺丸殿が立っておられた。だが今日は前回と明らかに違う点がある。

 前回は何も話そうとすらされなかった。にも関わらず、今回は明らかにいいたいことがあるように見えたのだ。


「こうしてお会いするのは二度目にございますね」

「・・・前回はご挨拶もせずに申し訳ありませんでした。私は伊達竺丸と申します。生まれは陸奥国で、父の名は伊達輝宗にございます」

「父より聞いております。私の名は」

「無礼を承知でお願い申し上げます。一色政豊様、どうか一度手合わせして頂けませんでしょうか?」


 突然の申し出に慌てたのは私よりも新野様であった。

 言葉では言い表せぬような慌てた形相で振り返った新野様は、何かを言うために目線を合わせて話し込まれている。

 だが両者の話が穏便に決着することもなく、ついに観念した新野様は困り果てた様子で私の方を見た。


「政豊殿、お時間迫っておるのではありませぬかな?」

「・・・いえ、今日は何事もありませぬが」

「・・・そうでございましたか」


 明らかに顔色が悪くなっていくのが分かった。

 私の立場を案じてなのか、それとも預かっている竺丸殿の立場を案じてなのか。もしくはどちらもあるのやもしれぬ。


「少し話が聞こえてきたのですが、竺丸殿は私と手合わせをしたいとのことにございますね」

「そのとおりにございます」

「果たしてそれは何故にございましょうか?まだ我らは会って2度目にございます。恨みを買った覚えもなければ、他に身に覚えもない」

「私が申しているのはそのような話ではありません。これは私のため、ひいては伊達家のためにございます」


 新野様も未だ混乱されているのか、慌てた様子で竺丸殿を見られていた。

 だがここで伊達家の名が出て来たともなれば、幼子の戯言であると切り捨てるわけにもいかないように思える。


「そうなのですね。竺丸殿にも曲げられぬ思いがあるということはわかりました。なので今は何も聞きません。後ほど詳しく話してください。それを約束して頂けるのであれば、この騒ぎを公にするような真似はしないでおきましょう」

「もちろんにございます」

「新野様、申し訳ありませんがこの戦いの見届け人になって頂きたく思います。如何でしょうか?」


 私達のやり取りを見て、腹をくくられたのであろう。新野様も私の提案に頷かれる。


「ただし硬質な木刀や刀の使用は禁じさせていただきます。柔らかい材質の模擬戦用の木刀にて決着をつけるということで」

「それでも問題はありません」

「私もにございます」


 新野様より受け取った木刀を手に、私は外へと出た。軽く振ってはみたが、いつも修練で使っている者よりも随分軽い。

 むしろいつもは重すぎると思うのだ。佐助が遠慮無いのだと思うが、むしろ此度は身軽に動き回ることが出来るであろう。

 相手は私よりも随分と年下であるが、変に加減をすれば納得などはせぬであろうし、難しい戦いであることに違いは無い。

 ならばどうするのか。それは――――――



「ま、参りました・・・」


 わずか数回の打ち合いの末、剣先に意識を向ける竺丸殿の足下はがら空きであった。わずかに胸元に飛び込んでやり、意識のない軸足を払ってやれば容易に倒すことが出来る。

 そのまま馬乗りになるようになって、剣先を喉元に突きつけてやれば勝負あり。


「やはり修練の差がどうしてもありますな。力負けせぬところを見れば、驚いたものにございますが」

「たしかに。私も驚いたものにございます。一切加減はしないようにと思っておりましたが、ついつい傅役の者らと打ち合う感覚で倒しにいってしまいました」


 砂だらけの竺丸殿の手を引いて起こしてやった。その顔に不満といった感情は一切読み取れず、むしろ清々しい顔で私を見上げている。


「満足されましたか?」

「はい。そして納得もいたしました」

「話して頂けるということですか?」

「そういう約束でしたので。それに話さねばならぬ事です。何故このような蛮行にでたのか、それは――――――」


 竺丸殿から話されたことは、私にとって思ってもみなかった話であった。だがそれ故に自覚したこともある。

 私はいつまでも父の影に隠れているわけにはいかない。初陣もまだであるが、それで前に出ないことはただの言い訳にしかならないということを。


「私で良いのですか?」

「そのために挑んだのです。無礼を承知で」

「なるほど・・・。ならば私も覚悟を決めることといたします。この話は必ず父上にお伝えするとしましょう」


 果たして父上はどのような反応をされるのやら・・・。

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