407話 名門の枷

 下総国金杉城 真壁まかべ氏幹うじもと


 1576年春


「手ひどくやられたものだ」


 先ほど城に戻ってきた胤辰殿の有様を見て、思わずそのような言葉が漏れた。これは冗談などではなく、ただの本音である。


「・・・それはそちらも同様にございましょう。随分と御味方の数が減っておるようにございますな」

「誰かが立案した無謀な策の結果であろう。端からあの策には無理があったと、ワシは何度も忠告したではないか。だがおぬしらがあまりにも自信満々に言うものだから乗ってやればこの様よ」


 元々ワシらが攻めたあの地一帯は千葉家の所領にすると義重様が約束されていた地であった。

 千葉家へ援軍として派遣された我らの役目は、里見家と今川家の合流を防ぐこと。それ故にどうしても国府台城以東の地を押さえなくてはならなかった。

 そしてその命を実行するために胤辰殿が目を付けたのが、現在は主不在でほとんど無いものとして扱われていた小栗原城だったのだ。

 だがたしかに城としての役目を果たせないほどに荒れているとはいえ、その辺りに陣を張るのと、荒れ果てているとはいえ城を拠点にするのでは明らかに違いがある。

 江戸川流域での争いに敗走した時点で、彼の城が敵の手に渡っていてもおかしくはなかった。そのことを何度言っても、この男は話を聞き入れなかったのだ。

 だが話を聞かなかったのはこの男だけではない。


「まぁまぁ、お二人とも。今は攻め寄せてくるであろう今川をどうにかせねばなりませぬ。言い合うのはその後でも良いではありませぬか」


 妹婿の梶原かじわら政景まさかげ殿である。この男の父、太田資正殿はかつて北条の家臣であった。

 後に山内上杉家が北条家による北進にて劣勢になると、当時の当主であった上杉憲政の要請を受けた長尾家が関東への介入を開始する。その最中で太田道灌から続いた名門太田家は割れたのだ。

 資正殿は親上杉として、嫡子であった氏資殿は親北条として。

 そして事態は二度目の国府台合戦の後、しばらくしたころに急転した。上杉家の要請を受けて里見領へと赴いていた資正殿の隙を突き、氏資殿は太田家が居城としていた岩付城ごと北条家へと降伏したのである。

 その際、政景殿は城に幽閉されていたと言っていた。

 そして戻る場所を失った資正殿は義重様を頼った。後に城から逃げ出した政景殿ら、反北条の感情を持つ太田の者らとの再会を果たし、今は佐竹のためにその力を振っておられるのだ。

 それは良い、良いのだ。だがワシにはどうしても心配することがある。

 それはこの親子は少々義重様を妄信しすぎているという点。それによって、何度もワシは窮地に直面してきたのだ。何度それを恨んだことであるかという話である。


「政景殿、今の今までどこにおられた」

「はい。父に此度の結果をお知らせすべく、文をしたためておりました。いずれ父の進言により援軍がこの地に参られることにございましょう」

「何!?それはまことの話なのか!」

「はい」


 胤辰殿の表情と、政景殿の表情があまりに一致していない。政景殿は喜んでいるようであるが、胤辰殿の表情は明らかに良いものでは無い。

 そしてそれに気づかず、嬉しげに義重様のことを話し始める政景殿。

 やってられぬわ。この場に留まれば、頭がおかしくなりそうである。


「――――――であるからして、・・・氏幹殿?」

「少し夜風に当たってくるだけよ。話を続けておればよい」

「かしこまった。それでですね」


 胤辰殿は最早話も聞いていないであろう。佐竹の援軍が来れば、この地を千葉家主導で取り返そうとしていた思惑が外れてしまう。

 そのことを心配してのことであると思う。

 千葉家も前の戦で佐竹に対して多少なりとも不信感を抱いたのであろうよ。それ故に近づき過ぎず、離れ過ぎずを目指しておるのであろう。間違いなく援軍が到着すれば、佐竹の力が上回るであろうからな。


「まだやはり冷えるな」

「たしかに。このような時期に戦など正気ではありませぬ」

「やめよ義幹よしもと。それは主家批判であると聞く者によっては捉えられる」

「申し訳ありませぬ。ですが見事なまでにやられたもので」

「あぁ、まことに情けない事よ。あの馬鹿者では無く、最初からお前を連れて行けば良かったわ。このような後方の城に奴らの手は伸びてこぬでな」

「私も悔しゅうございます。兄上の助けになれなかった事が」

「次、もし今川との戦があれば必ずや連れていくことを約束しよう。あれよりもよほど役に立つ」


 弟である義幹は、小栗原城より東に少し離れた場所に位置する金杉城を守っていた。とは言っても、砦ほどの規模でしかなく、戦略的に要所というわけでもない。

 今川もこちらに兵を向けるつもりが無かったことは最初から分かっていたことであるが、どうしても政景がワシとともに小栗原城に入ると聞かなかったのだ。おそらくそろそろ手柄が欲しかったのであろう。小栗原城であれば容易に奪うことが出来ると、胤辰殿に聞いて名乗りを上げたのだと想像に容易い。

 そしてあろうことか、政景殿はワシが最も信頼している義幹に城の留守役を命じたのだ。


「無駄に家格が高いということは厄介なことであるな。ワシからすれば此度の戦におけるただの枷であったわ」

「それも誰かの耳に入れば大問題となりましょう。政景殿は名門である太田家の出にございます」

「だがそれを言わせてしまうほどに、奴らが煩わしい存在であることに違いは無い。確かに長らく佐竹の家臣としてこの乱世を生き抜いてきたが、最優先すべきは真壁の家である。それが守れぬのであれば、佐竹に尽くす意味など無いようなもの」

「我ら兄上に仕えし者達はみな幸せにございますな」

「茶化すでないわ」


 だがその志を持つワシとしては、先日の戦は本当に危なかった。この一言に尽きる。

 絶対に大丈夫であると言われてはいたが、やはり城にならず者がいるという話もあり警戒はしていた。

 故にいきなり火縄銃を浴びせられたものの、すぐに守りの態勢を整えることが出来たのだ。だが奴らがまさか雑賀の者達であるとは思いもしなかった。

 いや、義重様のかつての行いを考えれば、今川と懇意にしている雑賀が出張ってくることも想像出来たはず。

 我らがこうして生き延びたのは、背後を強襲してきたあの鬼武者の配慮のおかげであろう。


「結局使えず終いであったわ。佐竹の火縄銃を」

「そもそもあのように大きな火縄銃を攻め手が使うには無理がありましょう。せめて野戦、やはり理想はこちらが守り手であることにございます」

「そうよな。終いには抱え大筒まで持ち出されれば、もはやこちらに勝ち目は無い。早々に退いて正解であった」


 しかし義重様からお預かりした兵のおおよそ半分が死に、一部が負傷による離脱。これ以上戦うのであれば、やはりあの地獄のような戦を知らぬ援軍を主力とすることが望ましかろう。

 結果は同じ事になるようにも思うが。


「胤辰殿の方はどうであったのか」

「あちらも散々であったようにございます。物資は火に焼かれ、兵は大筒に弾かれたと。闇夜の中からの攻撃であったため、敵も味方も分からず、挙げ句の果てに方向も分からずの撤退であったと、命からがら逃げ帰ってきた者が申しておりました」

「して胤辰殿もあの様か」

「おそらくもう二度とと戦場に出られることはないでしょうな」


 もはや武士として戦場に立つことは出来まい。言ってしまえば、よくぞ生きて戻ってこられたものだと褒めてやりたいほどである。


「ただそれよりも気になる話が」

「如何した」

「義重様と密約を交わされていた里見義頼が、どうやら安房へと撤退したようにございます」

「・・・千葉家との挟撃の話は取りやめか」

「今川と里見にも何かしらのやり取りがあったのでございましょう。私はそう見ております」

「例の話もいよいよ現実味を帯びてきたということよな」

「今川と里見の同盟。2度目は無いものであると思っておりましたが、これはいよいよにございます。両家で同盟が締結されれば、今川の目はいよいよ佐竹へと向く。伊達家が先んじて今川に臣従したことを思えば、織田・今川包囲網とはいったい何だったのかと言わざるを得ませぬ」

「佐竹も先は暗いわ。ついでに蘆名もな」

「まことに」


 しかし幾ら嘆こうとも、ワシが佐竹に従う限りはどうにか現状に抗わねばならぬ。

 義重様も何やら画策されているようであるし、ワシも今一度やるとしようか。今後は我ら兄弟の力をもってしてな。

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