350話 双璧の一角、北条綱成
武蔵国河越城 一色政孝
1574年夏
俺は今、かつて無いほどの緊張感の中に置かれていた。
今この部屋にいるのは俺を含めて3人だけであるが、実質周囲には敵だらけ。まだ斬られていないのが不思議なくらいである。
「我らに大恩ある北条家を裏切れと申されるか?」
ただ1人、この場で落ち着きを持っているのは目の前に居るこの御仁くらいのものであろう。
ここ河越城の城主であり、北条家先代当主である北条氏康とともに関東での北条の地位を確立したと言っても過言でない人物。そう、北条綱成である。
今、俺は僅かな供と共に河越城へと入っていた。
その僅かな供も別室へ案内され、俺はただ1人。城主、綱成がいる部屋へと案内された。
だがこちらも人は最低限である。
正面に座る綱成と、その隣に座る綱成と同年代くらいの男。先ほど紹介された際、その名を
「もしくは城を明け渡していただきたい」
「残念ながらどちらも聞けぬ相談である。殿よりこの地にて今川の足止めを命じられているのだ。いざとなれば城を枕に討ち死にするだけである」
「それが大恩ある北条に対する忠義であると?」
「その通り。単身我が城に乗り込んできたことは褒めてやらんこともないが、それ以上は何もこちらから譲歩はせぬ。殿を裏切るような真似は何であっても出来ぬ」
「こちらで捕虜としている北条氏秀殿の身柄をそちらに渡すと言ってもにございますか?」
その時、綱成は僅かに身体を震わしたかと思えば、手にしていた扇子を真っ二つに折ってしまった。
その腕に浮かぶ無数の血管から、すでに家督を子らに譲り、高齢の身ではあれど未だ鍛錬を欠かしていない様がうかがえる。
まだまだ北条綱成は健在である。そう言葉を無しに伝えられているような気がした。
「氏秀も殿からの命に対して、命をかけておる。今更助命など請わぬであろう」
「よく分かっておいでで。本当に北条の人間は頑固で困る」
「ならばこれ以上の話は無用である。早々に城にお帰りになられよ。そして戦支度でも進められれば良い」
「仕方がありません。そうさせていただきましょう」
俺が立ち上がりかけると、側でジッと話を聞いていた康俊が腰を浮かせた。俺が何事も無く城を出ることが出来るように見送りに来てくれるのであろう。
それに別室に案内された供がどこにいるのかも分からない。
そちらの方も話をしてくれるはず。
だが最後に1つだけ確認しなくてはならないことがあった。
「そういえば1つだけ」
「なんであろうか」
「此度の戦が始まる前、我が一色領内にとある客人が参られました。多くの子女を連れたその客人を私は快く受け入れた。誰であったかおわかりですか?」
綱成はわずかに眉間に皺を寄せて、すでに立ち上がっている俺を見上げた。
「北条家の家臣である梶原殿を護衛として、鳳殿が北条様の子女を連れて保護を求めてきたのです。これから間違いなく戦を行うであろう今川家の家臣である私の元に」
「冗談を」
「信じられぬと言うのであればそれでも良いでしょう。ですがこれは間違いない事実」
俺が懐に手を入れたことで、康俊殿が警戒した様子で身構える。
確かにこれを2人に見せれば、斬りかかられるかもしれない。それでもこれこそが、今の俺の言葉を何より信じさせることが出来る確かな証拠。
断りを入れた後、それを2人に見せた。
「・・・これは」
「その中におられた国増丸殿より預かっております。何でも北条様が男児にはこうして小刀を護身用に与えられているとか」
「まことに本物なのか」
「確認されますか?」
俺が直に渡そうと一歩踏み出したところ、その間を康俊が遮った。
やはり危険であるが故であろう。配慮不足を反省し、その小刀を康俊に預けた。
そしてそれはそのまま綱成の元へと渡された。
「これは確かに・・・」
何度も、細部まで確認した綱成はジッと見つめたまま俺に言葉を向ける。
「国増丸様やお方様は無事なのであろうな」
「現在は今川領内におりません。それよりもまだ比較的安心であろうと思われる地へと預けております。国増丸様は領内に残しておりますが」
「それは人質、ということか」
「そういう体を取っておりますが、それも私が信用している者に託しております。また今川家中でも、この話を知らぬ者は多くおります。どこからも漏れなければ、その身は安全にございましょう」
「・・・そうであったか」
綱成は子である氏秀の命を語るときと随分と様子が違っていた。さすがに主家の御子らに同じ言葉は使えぬか。
いや、それも当然であろうな。
だが今の様子を見て確信した。
氏政が子らを今川領に逃がしたことを知っている者は、北条家中でもこれまた僅かなのだと。
北条綱成という重臣中の重臣ですら知らぬことなのだ。必死に隠しているようであったが、やはり動揺は漏れ出ていた。
「無駄話が過ぎました。私がこの場に居続けることをきっと綱成殿はご不快に思われましょう。これにて城に戻らせていただきます」
再び康俊を介して小刀が俺の元に戻ってくる。
確かに受け取った俺は、油断することなく部屋を出た。そして供を連れて城を出る。
多くの兵が規則正しく並んで、俺達を見送っていた。
その視線は確かに厳しいものであったが、あの部屋で感じていたほどのプレッシャーは無かった。どれほどまでに綱成が強い男であるのか、理解させられてしまう。
「殿、如何でございましたか?」
「河越城は自力で落とすほか無い。だが僅かに隙を生じさせることが出来たと思っている」
「まことにございますか?」
「あぁ。だがそれが河越城で実るとは思わぬが・・・」
直政は俺が言葉を切ったことで、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「河越城を攻め落とすには、思った以上に苦労しそうだ」
史実では天下一の堅城と名高い小田原城であったが、ここでは少々歴史が変わったためか堅城ではあったが史実ほどのものとはいかなかった。
だが代わりに新たな歴史の影響をモロに受けたのが、河越城なのであろう。
北条から見た越後上杉家との関係、今川家による信濃への勢力拡大、山内上杉家の不安定さ、北関東諸大名の動きを考慮した結果、ここ河越城は戦略上かなり重要な地となったのだ。
さらにそこに加えて小田原城の落城。北条家は居城を武蔵国の南端である江戸城へと移した。
武蔵の北部から江戸城を目指すとき、河越城とその東に位置する岩付城はその城の規模から考えても最後の砦となるであろう。
俺達が織田家とかつて敵対していたとき、駿河を守るための双璧として存在していた引馬城と井伊谷城がまさに似たような存在だ。こちらも織田の侵入を防ぐために、何度も改修が行われた。それと同じ。
「本当は綱成に協力して貰い、北条氏政が降伏するよう説得させるつもりでいた。だがやはりそれだけ影響力のある者は、忠義心も重臣として置かれているほどにはある。色々と条件を出してはみたが、最後まで頷かなかった」
「捕虜の存在を出してもですか?」
「あぁ、死の覚悟を持って北条の家臣は俺達の足止めをしていると申していた。大方氏秀の言葉と一致している」
今も牢にて早々に首を刎ねるよう、牢番に言い伝えているという。
毎日毎日首を刎ねるよう、しかもその本人より助言される故、気がおかしくなりそうだと門番は申しているらしい。
だが今はまだ首を刎ねることなど出来ぬ。今回は突っぱねられたが、まだまだ交渉の手駒としては優秀な存在だ。
どこかで役に立つことがあるやもしれない。もし最後まで役に立つことが無ければ、それは最早仕方ないということなのだ。
そういった思考に陥る俺は、一度直政を見て気を落ち着かせる。
「とは言ったものの、河越城を攻めるにはもう少し先の話となるであろう」
「松山城への兵站確保は難しいのでしょうか?」
「道がまともに整備されていない。そのせいで物を陸路で入れることがなかなか難しい」
今川領内はすでに大部分で道の整備が進められている。主要街道は大方着手されており、物の輸送は内陸部であっても比較的容易なものとなっている。
信濃に物を入れるためとはいえ、随分と山間部に領地を持つ方々には苦労をかけた。だがおかげでこうして俺達は長らく敵の中にいても戦えることが出来るわけである。
「とにかくもう少し色々根回しが必要となろう。いざ再び兵を動かすとき、俺達が不利にならぬ程度にはな」
帰りの道中、待機させていた兵達と合流した俺は松山城へと急いだ。
城に戻れば、落人が新たな情報を手に戻って来ているはずである。各地の戦況を確認しつつ、次の一手を考えるとしよう。
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