301話 信濃に生きる者達

 高遠城 一色政孝


 1572年冬


「それで我らに話というのは?」


 多くの方々が広間より退室された後、残った藤孝殿と頼忠殿は俺の側へと寄っていた。

 菊も小柴を連れて新しく用意させた部屋へと帰っており、その代わりに重治と昌続が俺の側に控えている状況である。


「実は今川館より、皆様からお預かりしている人質を信濃へと移すことになりました」

「人質を・・・。それで場所は?」

「三峰川と山室川の合流地に大きな館を築こうと思っています。あの地を狙うとすれば、必ずこの城を落とさなくてはならない。万が一の際にも不安を煽ることにはならぬであろうと思いまして」


 俺は重治によって描かれた簡易の地図を見ながら2人に説明をした。

 人質を移す理由はいたって簡単だ。今川館では何もかもが遠すぎるのだ。信濃衆の誰かしらが裏切りを働いた場合、即座に人質の扱いを決めなくてはならない。

 だが今川館であれば一度こちらから人を送り事情を説明し、折り返しの返事を待ち、と尋常で無いほど時間を要する。

 だがこちらに置いておけば、その必要も無い。当然であるが人質の扱いが簡単になるということは、それだけ慎重にことを運ばなくてはならないということでもある。

 冤罪は決して許されぬものでは無いからな。


「その館の守りは一色で一応固めるつもりであるが、その方らにも手伝って貰いたいことは少々あるのだ。それと人質のこともな」

「人質にございますか・・・。私は誰も出していないので、それはそれで不満が出ましょうか?」

「藤孝殿から人質を出す必要は無いのだが・・・。いや、用心に越したことはないか。誰か世話役を入れてもらえるとありがたい」


 世話役も館に入らせるのであれば、人質とそう扱いは変わらない。

 別に牢に監禁しているわけでも無く、不自由も現状はかけていないと聞いている。多少行動に制限があろうとも、今川館に集められた人質である女子供は平穏に暮らしているらしい。

 そしてそれはこれからも変えるつもりはない。


「かしこまりました。何人か、血のつながりのある者を手配しておきます」

「手間を取らせてしまう。すまないな」

「手間などでは。それに政孝殿がどれだけ信濃のみなのことを考えてくださっているのかなど、氏俊殿より色々聞いております。此度人質をこちらに移すこともその1つであるのでございましょう?」


 藤孝殿の言うとおりだ。いくら人質とはいえ、目の届かぬ場所に留めておけば、もはや生きているのか死んでいるのかすらも分からない。

 その点こちらに移っていれば、ある程度は人質の現状を把握することも出来るであろう。

 あと菊もそちらに行ってもらう予定だ。その館の主は名目上菊としておく。

 俺が不在の場合、特に大事に発展しないようなことであれば菊に任せておくというわけだ。まだ俺から見れば幼さは残るが、さすがは武田の娘。聡明であり、この世がどういう世界であるのかも分かっている。

 どこぞの上様とは大違いだ。


「氏俊殿は口が軽いな、まったく」


 藤孝殿と最早雑談をしている様を、頼忠殿は困惑した様子で見られていた。


「如何されました?」

「いえ・・・。ただ正直と共につい先日信濃へとやって参りました私は、武田家にいた頃の政孝殿の話しか聞いておらぬのです。噂に聞く政孝殿という御方は、随分と残虐で、人であるかも怪しいとなど言われておりました。・・・無礼なことを申したことは分かっております。ですがどうもこれまでの様子を見た感じだと、そのような残虐さは見えず、むしろ善人であるように見えます」

「・・・昌続」


 俺は側で話を聞いていた昌続を呼んだ。


「はっ、何でございましょうか?」

「武田は随分と誇張して俺の話をしているのでは無いか?まるで俺が鬼かの様に」

「・・・」


 するとスッと目を逸らすのだ。たしかにかつて似たようなことを言われたことがあったが、そこまでの言われ様では無かった。

 せいぜい・・・。いや、似たような事か?


「頼忠殿、訂正させて貰うが俺はそのような人で無いような振る舞いなどしたことが無いわけでは無いが、残虐な人間などではない。ただ少し金があったに過ぎない。金があれば、繋がりを持っていれば、誰もが俺と同じ行いをしたであろう」


 雑賀との繋がりも、商人との繋がりも一色家以外でも持てるものである。ただ先んじて俺達がやったから、そのような残虐な振る舞いに見えるだけだ。

 信長が長篠でやったとされる伝承の三段撃ちも、時代が時代であれば同じような扱いをされたのかも知れない。

 いや史実での信長は今の俺と近しい評価を受けていたはず。なんなら自分から第六天魔王と名乗ったのでは無かっただろうか?

 ・・・駄目だ、記憶があやふやだな。


「そうだったのですね。たしかに先日、正直が入っていた先達せんだつ城にも大量の火縄銃が届けられておりました。あれだけあれば戦も一方的なものとなりましょう」

「その通りです。いずれは全ての城にいくらかの火縄銃を備え付け、さらにはいくつかの大筒も最前線の城に置くことが出来れば満足なのですが」


 そのためには圧倒的に金が足りない。

 現状は氏真様よりいくらか頂きながら、俺も負担しつつで買い占めている状況なのだ。

 信長と長政による国友への投資も進んでいると聞いている。堺も一大産地となりつつある現状、もう少し幅広く取引先を得ることもありかもしれない。

 もしくは・・・。


「自国での生産は危険にございます」

「わかっている、重治。氏真様がすると言われない限りは、それも考えていない。雑賀衆との関係が悪化することも考えられるしな」


 俺には火薬の製造方法が分からない。現状どこかしらから買うしか無いのだから、良くしてくれている雑賀との関係が悪化する様な事態になることは避けるべきなのだ。


「それと諏訪家の事、俺は本気ですので」

「・・・兄上が認めてくださるのかどうか」

「それも説得次第かと。何と言っても菊は俺の元へと嫁いでいるので、送り込む使者がそう邪険に扱われることも無いでしょう」

「であれば良いのですが・・・。本来我ら兄弟は、諏訪家の本筋ではないのです。故に兄上が諏訪家の当主となったことも、諏訪の流れを途切れさせまいとされた勝頼様のご配慮あってのもの。そのような経緯があった中で、簡単に認めていただけるのか、それが不安なのです」

「なるほどな」


 一度諏訪家が滅亡した時、当主であった者の名は諏訪頼重である。この者の父と頼忠殿らの父が兄弟関係にあたるため、頼重は頼忠殿の従兄弟にあたるわけだ。さらに頼重の娘に諏訪御料人と呼ばれる姫がおり、信玄との間にもうけた子が勝頼というわけである。

 思いっきり今の武田家との縁が深い諏訪家であるが故に、頼忠は俺の提案の危なさを指摘しているのだ。


「重治、難しいであろうか?」

「さてさて、ただ条件次第では認めていただくことも可能であるかと」

「条件、か。それはどういったものだ」


 重治は地図に目を落とす。別に広げられた地図は、かつて昌輝殿と共に防衛策を練った際にも使用したものであった。


「例えば諏訪の一部を武田に譲り、その地に諏訪家の現当主であられる諏訪頼豊殿に入って頂く」

「現実的では無いな」

「ごもっともでございます」


 重治は自分で言っておきながら、あり得ない策だとぶった切った。

 であるならばどうするか。


「1番はやはり商人を向かわせることなのであろうが、あまり同じ事をやっているといずれ反感を持たれる」

「であれば諏訪の御当主様ではなく、武田家に認めていただきましょう。諏訪は現状今川領なので、譲り渡すことは難しい。ですが上杉領であればある程度は」

「それは上杉に勝って、領地を奪うことが前提であろう。俺は負けぬと思っているが、武田がそう思わねばそもそも話にならぬぞ」

「では殿は上杉の、それもあれほどまでに統率を欠いた兵に負けると申されるのですか?」

「それは無い。まだいくつも罠を仕掛けているのだ。万が一にもこちらが負けることはない。武田にも勝ち筋が見える様、分かりやすく手を回しているつもりである」


 景虎方の揚北衆が寝返ったことなど、まだ上杉崩壊の序章に過ぎない。こうしている今も、その盤石である様に見える足場を崩すように手を回しているのだ。

 こちらが負ける想像がつかない。


「では佐久郡へは武田家単独で攻め込んでいただきましょう。武田家臣従の条件にあったアレを満たすよう、殿が今川様を経由して命を下せば良いのです」

「佐久郡に領地を持っていた一族の名は?」

「望月家にございます。今の当主は武田信繁様の三子である信永殿であったかと」

「ならば尚更都合が良いな。それに武田信繁の子であるならば、武田家中での存在感も強いはず」

「その通りにございます。望月家の先代当主もまた、信繁様の長子であった信頼殿でございましたことを考えれば、どれだけ武田家が望月家の存在を重視していたのかがわかります」


 頼忠殿や昌続の話を聞きながら、やはりこれしかないと思った。

 それに佐久郡を譲ることで、山内上杉家との防波堤にも利用出来る。奴らは未だに動きが不透明なまま。

 越後上杉家の争いにもだんまりを決め込んでおり、北条が各地で戦をしている最中でも北条を支持すると言ったものの、特に何かをしていたわけでは無い。

 だからといって油断していると攻め込まれかねない。

 武田は今人が有り余っている様だからな、存分に盾となって貰おう。


「今川館へ人をやる。重治、支度をせよ」

「かしこまりました。すぐに用意いたします」


 重治が出ていき、藤孝殿が苦笑いで俺を見ていた。


「如何されたので?」

「いえ。ただ武田の誇張されたという評価も、あながち間違いでは無いのではないかと思っておったのです」

「・・・それはない。俺はただの人であって、それ以上でもそれ以下でも無い決して無いぞ」


 それだけは超えてはいけない一線の様な気がした。だから今後も決して認めることは無いだろう。

 俺は第六天魔王になどならない。

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