289話 相性の不一致
岐阜城 織田信長
1571年秋
「して公方様はどのような御方であったのでしょうか?」
「思った以上であった。あれが将軍として、そして幕臣がまともであれば幕府はここ数代に比べれば随分と良くなるのではないかと思わされた」
京で買い込んだ菓子を口に入れながら、信盛からの問いに答える。此度ここに集まった者の多くは、先日行った上洛の成果を知りたがっているのであろう。
しかし足利義助、これまでの公方を見ていたせいか本当にまともな将軍に見えた。将軍として出来ることと、出来ないことを弁えている。故に俺にも、そして氏真にも幕府として何かを強要するようには求めてこなかったのだ。
「あれには悪いが、その素質があるのは間違いなく義助であろう。ただ不幸としか言いようが無いのは、後ろ盾たる三好が揺れておることであろうな。すでに義秋は挙兵のために味方を集めるよう動いているようであるからな」
「殿は如何されるので?義助様に従いますか?」
「それもありではあると考えた。だがそうなれば三好とも手を取り合わなければならなくなる。三好と手を組めば、俺は領地を広げられぬ。今の三好と手を組んで、今川との盟を切るのであれば端から三好を攻めて京を奪う方が利口であろうな」
「なるほど・・・」
信盛は唸った。光秀は少々落ち着きが無くなっているな。一時的にとはいえ義秋に仕えていたのだ。
義秋のことを俺が見捨てると思っているのであろう。
「光秀、安心せよ。義秋のことは責任を持って京には入れてやる」
「私は何も」
「顔に書いてある。あのように厄介な男であるとはいえ、俺を頼って来たのだ。面倒は最後まで見るぞ」
「では」
「だが将軍となった後のことは知らぬ。あれは根本的に俺とは感覚が合わぬのであろう。今も俺の代わりとなり得る大名家を探しているようであるしな。ついでに俺の悪評もそれとなく流しているようだ。感謝という感覚など持ち合わせておらぬであろう」
言葉を失ったのは光秀だけでは無かった。サルも権六も信盛も同様である。ただ事情をある程度把握している貞勝だけが軽く息を吐いておった。
「いったい義秋様は何をお考えなのやら・・・。殿はこうして義秋様の上洛をお支えするべく」
「サル、甘いぞ。どうも奴は分かっておらぬのだ。己が本願寺と敵対しておらぬ故、坊主を殺す俺に対して不満を持っておる。だが俺が坊主を殺さねば、あれは入京出来ぬというに」
「ちなみに我らの代わりなど見つかっているのでしょうか?」
光秀の言葉に答えたのは俺では無い。京との繋がりを持たせている貞勝である。
「今はしきりに毛利へと文を出している様子にございます。しかし毛利はあまり良い返事をしておらぬようですが」
「ここ数ヶ月、毛利の動きが鈍くなっている。三好の分裂騒動には一枚噛んでいるとも言われたが、結局阿波や讃岐において力を示したのは土佐の長宗我部であった。その長宗我部であるが、俺の上洛に合せて人を寄越してきておる。当然内密の話であったが」
上洛に同行した光秀の家臣に
「長宗我部は既に讃岐を掌握しつつあるようだ。一族の者を他家に送り込むことで、自勢力として取り込んでいる。つまり伊勢の掌握を任せた信興と同じ手法で押さえ込んでいるわけであるな」
「なるほど。残る阿波は」
「よほどの間抜けでなければ、背後に危険が迫っていることくらいは気がつくであろう。土佐と讃岐を押さえ込まれ、毛利の介入も望めぬということであれば細川は諦めねばならぬであろうよ」
「つまるところ、長宗我部様と挟み込むように求められたということに御座いますか?」
サルの問いに権六が不満げである。
上手く使われていると思ったか?たしかに今はそうであろう。だが一度俺も上洛を失敗している身だ。
もはやなりふり構っていられぬ。分裂したとしても三好は強い。これは認めねばならぬ事実であるのだ。さすが長年京付近で戦をし続けていただけあるわな。
「今は奴らの企みに乗るほかあるまい。俺に旨味があることもまた事実だ。それよりも気になることがある」
「気になることにございますか?」
「京の公家と話をしていて、誰もが口にしていたことがある」
「いったい京のお公家様は何を申されていたので?」
信盛が言葉にしたが、みなも興味深げに俺の言葉を待っていた。
「関白である近衛前久の元に、三好家臣の赤井直正からしきりに人が寄せられている。だが義助が征夷大将軍となって以降、直正は一度も京に姿を見せていない。長治が阿波より京へ入った日ですらな」
「赤井は三好と縁を切りたがっているということに御座いますか?」
「果たしてな。だがいち丹波の領主であった赤井家が、今や一国の主と同等の力を有しておる。反旗を翻してもおかしくはあるまい」
近衛もあまり動きを見せておらぬ。それがただ息を潜めているだけなのか、それとも誰かに何かを勘づかれたくは無いのか。
上洛の折、一度でも顔を見れば何か掴めるかとも思ったが、その機会に恵まれることも無かった。
故に全てが憶測となるが、それでも三好の復権は最早無い。あとは落ちていくだけであろう。
「権六には延暦寺を任せる。光秀もそれに同行せよ」
「かしこまりました」
「長政も奴らとは多少なりとも因縁がある。奴も権六とともに兵を出すであろう」
「お任せを。今度こそ、必ずやそのお役目を果たして見せましょう」
「頼むぞ。そしてサル、ぬしには敦賀を落として貰う。これは朝倉との前哨戦となろう。必ずや勝て」
「かしこまりました!」
「三郎五郎には年内にも越中を抑えさせるつもりでいる。だが気がかりなのは能登畠山の動向よ」
畠山家の現当主である
その畠山であるが、足利とも縁のある家。無下には扱われず、近く能登への復帰も画策されているとかなんとかと公家らが申しておった。その大将として兵を率いるのが、かつて義秋を保護していたはずの朝倉義景である。果たしてアレが動くことが出来るのかは疑問であるがな。
「能登畠山家はこれらを不当な侵略行為であるとし、上杉へと助けを求めておる。今は同盟関係なれど、いずれは敵対するであろう間柄。素直に能登を上杉に譲って良いものか。如何思う」
「越中は元より上杉に任せることとなっております。能登まで持って行かれれば、北陸における優位を握られましょう」
信盛の言うとおりなのだ。ここは無理をしてでも能登を切り取る、もしくは畠山家をこちらにつかせねばならぬ。当然であるがつかせるのは京に逃げ込んだ親子では無く、能登に残る重臣と傀儡当主のこと。
「能登にも人を送るか。まずは感触を確かめねばならぬな。その間に越中だ」
「では信広様に人を送りましょう」
「頼むぞ、夕庵」
「はっ」
先のことばかりを考えても仕方が無い。確かに刻は惜しいが、一つずつ終わらせぬ事には何も話は進まぬからな。
上洛の前に延暦寺、朝倉、加賀の一向宗、能登。それと北畠とも決着を付けねばならぬか。氏真は着々と領地を広げているというのに、もどかしいことであるな。
室町第 篠原長房
1571年秋
「長房、長宗我部は何故私の命を聞き入れぬ」
「何度も抗議の文を送っているのですが・・・。申し訳ございません」
「抗議の声を聞き入れぬのであれば、兵を向けるべきであろう。そうでは無いか?そなたらの領地が削り取られているのだぞ」
「・・・」
公方様は最近いっそう私への風当たりがきつい。分かっておられるであろう。
何故我らが長宗我部の侵攻に対抗出来ぬのかということくらい。今や三好本国とされていた阿波と讃岐は不当に占拠されているのだ。
我らは長慶様の代より、多くの御家で支えて三好家を成り立たせてきた。にも関わらず、自遁がやらかしてくれたと思えば存保様と真之様が両国を占領してこちらに抗議の声を上げられた。
結果全てのしわ寄せが私に来ている。なんともやってられぬ。
「毛利に助けを求めてはどうであろうか?毛利と親しくしているという河野に讃岐へと援軍を出して貰えばどうだ」
「流石にそれは・・・」
「わかっておる。だがこの事態はおぬしらの不手際が招いたことであろう。兄上の死も含めてな」
それを言われれば何も言えない。私に関係が無い、とは言い切れぬのだ。自遁との確執は確かにあった。それを知らぬ振りしていた私の落ち度であるとも。
だが何故この状況において、私がこのような思いをしなければならないのか。家中分裂の責を負わされるのであれば、間違いなく長治様であろう。しかし公方様は長治様とは会おうとされぬ。
根本的に合わぬのであろう。そして長逸様には何も申されぬ。
必然的に私に嫌味が来るのであろうな。
「信長との会談、実際は何も上手くいっておらぬ。いずれ義秋に引っ張られるように信長は兵をおこすであろう。それまでに家中の混乱を治めよ。これは公方としての命である」
「かしこまりました!」
「昭元、朝倉へ人を出すのだ。能登を本来の姿に戻す手伝いをするぞ」
「はっ。すぐに人を出しましょう」
「為清、丹波が少々不安定である。一応その動向を探らせよ。いずれ織田は来る。万全の状況で迎え撃つ支度を進めるのだ」
「お任せを」
公方様は私と話すときには無能な雰囲気を出される。だが実情はそうでは無い。
この御方はきっと私を邪魔であると思われているのであろう。故にきつくあたり、私を遠ざけようとされている。
私としても三好家が上手くいくのであればそれでも良い。だが三好家の重臣が割れておるのだ。黙ってみているだけなど到底出来るはずもない。
どうにかこの混乱を治めねば死んでも死にきれぬ。そのように考えているだけなのだが、伝わらぬものであるな。
「では私は責任を持って家中の混乱を治めて参ります。故にしばし暇を頂きたく」
「期待しているぞ。早期の決着にな」
「ご期待に必ずやお応えいたします」
そのためにはまず用意を進めねば。向かうは・・・。
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