261話 北陸制圧の用意

 岐阜城 織田信長


 1570年春


「殿のご期待に応えられませんでした」


 サルが珍しく凹んでおった。前の上洛戦において、淡海周辺にある一向宗の拠点を攻撃させたが、上手くいかなかったことを気にしているようだ。

 だがそれでいえば、あの戦で成果を出したのは僅か少数であった。

 恒興は信盛と共に、和睦目前にして三雲城を落とした。六角義治は一族の者を連れて姿を消した。おそらく甲賀の忍びらが協力したのであろう。

 残された家臣の多くは俺や長政に仕官している。

 だが滅ぼしたとはいえ俺の命通りとはいかず、多大なる被害を出した上での攻略となった。勝った負けたの話をするのであれば、正直負け戦と言われても仕方のないものである。

 そして1番の成果は光秀が坂本に砦を築いたこと。

 延暦寺の坊主共の抵抗があったにも関わらず、砦を作ったことは高く評価してやらねばならぬな。

 対して全く上手く行かなかったことでいうのであれば、サルの一向宗討伐、そして権六に任せた若狭の攻略。

 どちらも気合いが空回りした様子である。あれほどまでに先鋒を望んだ者らがことごとく失敗しおった。

 両名に任せた役目は大きく、次回の上洛戦にも大小それなりに影響を及ぼすこととなるであろう。


「殿、観音寺城の上様より文が届いております」


 反省するサルの隣を抜け、俺へ1枚の文を渡すは夕庵であった。だがその送り主というのが観音寺城の者であるから、受け取ることが億劫になる。


「どれ、かしてみよ」

「はっ」


 夕庵より文を受け取ると、俺はその場で開く。

 その文には長ったらしい言葉が数多く書かれていたが、そのほとんどが俺が京を目前にして兵を退いた事への遠回しの不満。そして長政に聞いたらしい延暦寺の対処。それと坊主への、惨い仕打ちを控えるようにという言葉であった。


「馬鹿げておる」


 俺が文を投げると、それはちょうどサルの前へと転がった。サルは読みたげにその文を興味深く眺めているものだから、許可を出した。


「では遠慮無く」


 サルは文を拾うと、じっくりと長ったらしい文を最後まで読み切る。


「・・・上様はあまりご自分のお立場を分かっておられぬ様子」

「わかっていれば俺の力など借りずとも将軍になっていたであろう。その辺りが分かっておらぬからこれまでのような振る舞いをし、次期将軍が決まった今ですらこのような振る舞いを続けるのだ」

「如何されるので?」

「どうもせぬ。俺は俺のやり方で上洛を果たす。そのための障害は全て取り除くまで」


 俺は夕庵にとあることを命じた。サルは意味が分からぬといった様子で、夕庵の行方を目で追っていた。

 そんなとき、廊下の方が少々騒がしくなる。

 何事かと思っていたが、秀貞が何やら慌てた様子でこちらへと来ていた。


「殿、今川様よりとある報せがございました!」

「今川からだと?如何したというのだ?」

「武田が今川様への臣従を表明。臣従の証として、勝頼殿の異母妹である菊姫様を一色政孝殿の元へと嫁がせたそうにございます」

「武田が臣従ですと!?」

「その通り。もはやこれ以上は戦えぬということにございましょう」

「一色が武田の女を迎えたか」


 これは少々予想外か。いや武田はどのみち独り立ちを維持することは出来なかったであろう。

 いずれは今川か北条か上杉に臣従していたやもしれんな。そもそも甲斐という国柄、周辺国に依存する傾向はあった。

 全てが敵となった今、独自で勢力を保つことは出来ぬ。


「さらに安房の里見家と同盟を結ぶよう話を進めていると」

「安房か、となるといよいよ北条との戦の支度を始めたか。ならば俺も助けてやらねばならぬか」

「よろしいのですか?今川様は殿が介入されることを嫌がっておいでであると思っておりましたが」


 秀貞の問いに俺は首を振る。

 そもそもお互いが考えていた同盟関係であればそれでも良かったかも知れぬ。だが幾度か共闘して互いに知った。

 自分たちが持っていないものを、相手は持っている。


「直接的に介入すれば氏真も嫌がるであろう。故に間接的に関わる」

「と言いますと?」

「越中において、上杉との共闘を宣言する。彼の地で椎名を支え、一向宗の手を借りる神保を能登へと追いやるぞ」

「先日の続きでございますか。たしかにそれならば・・・」

「すぐさま上杉に同盟の使者を送れ。なに、越中が安定するまでのことでよい。それに合わせて三郎五郎に戦支度をさせよ」


 越中に向かわせるは成政だけで十分。先日、一向宗を壊滅させた富山城での戦のこともある。同盟など本来ならば組む必要も無いが、そうすれば上杉は俺の同盟国である今川には手出しが出来ぬ。

 少なくともあの男であればせぬな。


「では信広様はどこに?」

「加賀よ。朝倉も上洛を前に滅ぼす。どうせ将軍は義助で決まりだ。ならば次に起こりうる戦に備えて支度を進めねばならぬ」

「朝倉に兵を出せば三好が動くのでは?」


 サルの懸念も尤もである。故に権六と長政には敦賀を押さえさせるのだ。彼の地を制すれば朝倉も三好も互いの領地へ援軍を送れぬ。それに和睦は三好と交わしたものであり、朝倉は関係ない。三好が介入してこようものならば、俺は三好が帝の和睦を守らずこちらに攻め寄せてきたと吹聴するまで。

 将軍殺しで印象の悪い三好だ。そのようなものですら奴らの元からは人が離れるのだ。


「権六に機会を与える。敦賀を何としてでも落とさせよ」

「殿、ワシは?」

「サル、此度は権六に協力せよ。必ずや敦賀を落とすのだ」

「かしこまりました!必ずや前の不手際を挽回いたします!」

「期待しているぞ」


 サルは落ち込んだ様などどこかへといったように、廊下へと出て行った。

 戻って来た夕庵はサルがいなくなったことを不思議がりながらも、手にしていた文を俺の前へと広げる。


「これは?」


 秀貞は床へ広げられた書状を覗き込むようにして尋ねてきた。


「これは大和の国人に宛てた書状である。甲賀が長政の手中に収まった今、現状は俺に従っている伊賀を抜けて大和へと兵を送ることが出来るようになった。あとすべきことは大和の国人らを俺の味方へとつけること」

「そのための文にございますか」

「未だ手こずってはいるが、伊勢もこのままいけば力押しでも北畠を滅ぼすことは出来るだろう。何にせよ、いずれ大和は俺の手が入ることとなる。先に俺に従って信を得るか、出遅れるかの違いだ」

「それは非常に大きな事にございますな」


 夕庵はそれをもう一度集めると、俺へと差し出した。受け取ると夕庵は頭を下げて部屋を出ていった。


「秀貞、これをお前に託したい。近江より伊賀を抜け、彼の地へと向かえ。そして極力味方を増やすのだ」

「殿、松永殿のお名前がありませぬが?」

「あれはまだ俺には従わぬであろう。未だ主である三好義継は生きておるからな」

「なるほど、そういうことにございましたか」


 納得した秀貞は部屋を出ていった。残された俺はとある1枚の書状を懐から取り出した。今は決して他言出来ぬとある書状。

 一度中を確認してから再び懐へとしまう。

 これは見なかったこととしても良い。だが何も反応を示さぬのは、アレを勘違いさせる危険もある。最早俺はそれを望んではおらぬのだ。慎重に対処すべきであろうな。

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