251話 京へと迫る脅威
近江国甲賀郡三雲 織田信長
1570年冬
「殿、信盛殿は城の包囲を解いて山麓へと退いたようにございます」
「奴らもしぶといな。だが三雲城は松永某が率いる三好の兵すらも手こずらせた城である。そう簡単にはおとせぬとは思っていたが、こうも時間を稼がれるとはな」
「すでにこちらの被害は甚大。ここで消耗すれば、今後起こるであろう三好との戦に支障をきたします」
「であるか・・・。恒興、ここはそちに任せる。三雲城を落とし、六角を滅ぼせ」
「かしこまりました。三好との戦が始まるまでには合流いたします」
恒興はそう言うが、強引な攻めで兵を減らすことは愚かな行いである。長慶の頃の勢いは衰え、家中も分裂したとはいえ未だに力を持っているのが奴らの怖さであるのだ。
そしてその背後には実質朝廷を牛耳る近衛がついている。
公家自体が怖いわけでは無い。だが三好の擁する足利義助が将軍となるのが怖い。
そうなってしまえば俺達が朝廷に仇なす敵とされる。大義は失われ、周辺国で俺に協力している者たちも離れるであろう。それはなんとしても避けなければならぬ事態なのだ。
「本願寺の坊主共が再び門徒を集めていると聞いている。じゅうぶんに気をつけよ」
「はっ!この場は私と信盛殿にお任せを」
「頼りにしているぞ。それと先ほどは言わなかったが、三雲城を落とした後は南に兵を進めよ。伊賀を抜け、大和にて三好に抵抗している者たちを助けるのだ」
「よろしいので?」
「構わぬ。坂本で長政とも合流する。合せれば兵の数でも奴らに負けはせぬ」
「では大和へと向かいましょう。殿、どうかご無事で」
「恒興、そちもな」
俺は本隊を率いて西へと向かう。
ただし坂本までの道中も危険は付きまとう。恒興にも言ったが、顕如めが各地の門徒に対して触れを出した。
仏敵として定めた俺を打倒すべく立ち上がれとのことだ。長島で坊主を蜂の巣にしたことで、怒り狂ったらしいな。
だがそれで良い。俺に敵対する本願寺の者どもを一掃する機会を得た。一纏めで葬り去ることが出来る。
三郎五郎が越中で行ったように。
「
「かしこまりました」
小姓である
その将としての器は俺も認めるほどである。故に此度帯同させた。
サルも権六も他戦線にて不在である。故に次代の将を育てねばならぬ。秀政の側には又左を置いておる故、多少は安心して任すことも出来よう。
そうこうしていると、本隊移動の報せを聞いた光秀が俺の元へとやって来た。何やら言いたげであった。
「信長様。移動の用意は着々と進んでおります。しかし藤吉郎殿・・・、秀吉殿でしたか。秀吉殿は未だ近江の一向宗相手に苦戦している様子ですが」
「淡海付近には俺や長政に敵対する者どもが多く隠れておる。京へ向かうためには奴らは邪魔よ。故にサルに任せたが、少々荷が重かったようだな」
「私が先行して秀吉殿に助力いたしましょう」
光秀はそう申し出てきたが、俺はその言葉に頷きはしない。
「サルの元には秀政を向かわせる。お前は又左と共に坂本に入り砦を築け」
「坂本・・・、それに砦にございますか?長政様の領内に砦を築いてもよろしいので?」
「構わぬ。坂本は山城へ入るための拠点となる地である。城を築くほどの時間は無いが、簡易的な砦を築いて兵站を維持する役目を持たせる。その役目は光秀、お前に任せる」
「かしこまりました。すぐさま利家殿に合流いたします」
光秀も陣幕より出て行き、残るは恒興だけ。
「後々合流予定である長政様は朝倉の警戒ですか」
「奴らは兵を動かすそぶりを見せた後、すぐに一乗谷へと戻っていった。その目的が何かは分からぬがな」
「越中での戦を見て、織田の強さを再確認したために逃げ腰になったというのは」
「朝倉義景、アレの考えることは全くわからぬ。だが現状攻めてくる気が無いとはいえ、背後に俺を敵視するものを残すのは危険であろう」
「三雲城の六角然り、近江の一向宗然りですな」
「そういうことだ。いずれ奴らも滅ぼす」
恒興は頭を下げ、俺は陣を出る。外にはすでに進軍の支度を終えた者たちが俺の号令を待っており、この地に留まる予定である信盛は疲れた表情で立っていた。
「信盛」
「はっ」
「恒興と共に三雲城を落とせ。そしてこれまでの敗戦が霞むほどの手柄を挙げよ」
「かしこまりました!」
「恒興、お前も頼むぞ」
「はっ」
三雲城にて俺に反攻する六角義治と長政に与さなかった一部の六角家臣達。
まさかこの冬の間釘付けになるとは。こうなるのであれば、端から今川に援軍を借りておけば良かったやもしれん。
この日のためにある程度兵を整えてはいたが、これだけ周囲が敵だらけとなれば人手が全く足りておらんな。
今川から兵が借りられぬ現状、伊勢の迅速な平定が鍵となるであろう。彦七郎、急げよ。
京 勧修寺晴右
1570年冬
「三好長治殿より献金がございました。これにて将軍宣下を行う支度は済んでおります」
「京に将軍候補がおらぬというのに、誰に対して宣下を行われるというのです?」
主上の御前であるというのに、今日も今日とてお2人の舌戦は白熱模様である。関白殿下も兼孝殿も次期将軍となるであろう御方が入京を控えている状況に、気分を昂ぶらせられている。それは麻呂も同じであるが、ただ1つ懸念すべき事があった。
それは織田・三好両家がこの京で衝突すること。
かつて細川と山名で天下を二分したあの戦から、京はようやく立ち直りつつあるのだ。
それが再び武家の争いで荒れ果てるのは、主上が最も望まれぬこと。
「三好が将軍宣下を行うために献金してきたのだ。将軍は足利義助殿で問題なかろう」
「何年も周辺国の動きに怯えていた者に将軍としての器があるとお思いで?では織田殿と共に勇ましく兵を進めておられる義秋殿は将軍以上の存在ということになりましょう」
「それは殿上人を愚弄する発言と捉えられてもおかしくは無いが?」
同席する公家達は怯えた表情で2人を眺めておる。麻呂もその1人であるのだが。
だが主上の御前で誰がこの2人の間に割っては入れようか。おそらく2人も周りが見えておらぬ。
困ったものよ。すでに何度目かのやり取りに主上も困惑されていた。
「遅れたこと、お詫び申し上げます。
「戻られましたか、言継殿」
この状況を知らぬ権大納言言継殿は主上に遠慮した様子で関白殿下の側に控える。そして耳打ちで何かを伝えたようであった。
「ご苦労様でした。下がってもよろしいですよ」
「では失礼いたします」
言継殿は主上に一礼し、そしてこちらにも一礼してこの場を出る。
「先ほど言継殿より報せがありました。飯盛山城にて京の様子を見られている義助殿にございますが、若狭に避難していた前任の政所執事である伊勢家の再興を認められるそうにございます。今は元服も果たしていない虎福丸殿が当主でありますが、いずれは幕府の要職として活躍されましょう」
「・・・伊勢家は義輝殿との関係悪化が元で幕府より追放された御家。そう簡単に許されて良いはずがございませんが」
「幕府に新しきことは不要。古きを踏襲し、これまで通り日ノ本を治めるために機能せねばならぬのだ。そのためには役に立たぬ政所執事など不要。そのお役目を長年受け継いできた伊勢家こそがふさわしいと麻呂は思いますが」
「古きを踏襲している結果、幕府は最早形骸化しております。このままでは将軍宣下をとり行っている主上様にすら火の粉が」
兼孝殿の言葉は越えてはならぬ一線を越えられようとしている。それを言ってしまえば、二度とこの場に呼ばれることも無いであろう。下手をすれば九条家の存続も危ぶまれる。
誰が止めるのか、そう誰もが思った。
だが止めたのは主上であった。
「もう良い、今日はここまでとする。前久、先の話も含めて将軍宣下のことは相談する。また朕の元へ呼ぶであろう」
「かしこまりましてございます」
「兼孝、そちも朕を案じてくれていることはよくわかっておる。それ故に迂闊なことを口にするではない」
「申し訳ございませぬ」
どこか不満げな様子で関白殿下は主上を見られていた。だが主上の目が関白殿下へと向くと、いつも通りに戻っている。
これはいよいよであろうか。
このような場に何度も呼ばれるのは胃に悪い。麻呂は再び駿河へと下向したいの。
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