243話 没落した名家の行き着く先

 今川館 一色政孝


 1569年秋


 織田信長より上洛を開始することが今川領内に報せられた数日後。今川一門衆が今川館へと集められた。

 といっても信濃の将らを纏める氏俊殿は高遠城より動けぬため、子の氏詮殿が代わりに今川館へと来られている。

 ちなみにこれまでであれば一門衆のみとはいえ、正月でも無いのに今川館へと集めることには多少なり抵抗はあったのだが、今ではそう思えなくなっていた。

 というのも領地や家臣が増えたことで、古くより今川家に仕える方々の多くは敵勢力との国境から随分と離れたのだ。それによって城の備えをするという点に関しては常に警戒する必要は無くなり、ある程度自由が利くようになったというのが背景にある。


「しかしいったい何があったというのでしょうか?」

「わからんな。だがある程度独断で決断をされるようになられていた氏真様が、こうして俺達を今川館へと呼ばれたと言うことはそれだけ重要な案件であるということであろう」

「たしかに」


 謁見の間へと通された俺は、隣に座る氏詮殿とそんなことを話していた。最初に来たのは俺達で、その後も続々と皆様が集まってこられる。

 牟礼むれい勝重かつしげ殿と鵜殿長照殿、そして小笠原家は氏興殿が体調を崩されているため、嫡子である信興のぶおき殿が来られた。

 しばらく待っていると氏真様が上座へと座られる。一門衆以外でいえば、氏真様と共にやってこられた泰朝殿だけだ。


「みなを急に呼び出したのは理由があるのだ。泰朝」

「はっ。実は先日、武田家より使者が参られました。皆様もご存じであると思いますが、急な継承により当主となられた武田勝頼様からにございます」

「武田・・・。また塩留に関してにございますか?」


 長照殿が泰朝殿に質問を投げかけた。だが泰朝殿は否定の意を込めて首を振る。

 俺も長照殿と同じことを思っていたがどうやら違うようだ。しかし今更武田が何を言ってくるのだろうか?まさか信濃の返還など馬鹿なことを言うわけでは無いであろうし、正直まったく心当たりが無い。


「その使者の御方なのですが、皆様が集まられるのを待っておられたのです。今からこの場へとお呼びいたします」


 泰朝殿はそう言って外に控えている者へと合図を出した。合図を受けた者は廊下向こうの部屋へと向かっていく。そしてしばらくすると、何やら杖をつくような音が聞こえてきたのだ。

 使者というのは高齢の者であったのか、と俺は後ろを振り返る。

 だがこちらに向かって歩いているのは、ほとんど俺と歳の変わらないであろう男であった。杖の持ち主は確かにこの者である。

 最初足が悪いのかとも思ったがどうやらそうではないらしい。


「盲目、か」


 よくもまぁそれで甲斐から駿河へとやってこられたものだ。いや、もちろん籠なりなんなりを使われたのであろうが、慣れぬ土地に目の見えぬ状態でやってくるというのは非常に勇気のいることであると思う。


「こちら、武田勝頼様の名代として参られました。武田竜芳殿にございます」

「武田竜芳と申します。このような場で杖をついていること、どうかご容赦ください。そして私の後ろにいるであろう者は、此度の供として連れて参りました。山縣やまがた昌景まさかげと申します」


 紹介された昌景は小さく頭を下げた。

 それにしても山縣昌景か。まさか武田四天王の一角がこのような場に姿を現すとは驚きである。

 だがそれより気になったのは、この竜芳という男の堂々とした立ち振る舞いであった。俺の知識の中に武田竜芳という人物は無いが、おそらく一門に連なる者であることに違いは無いだろう。

 そんなことを考えていると竜芳殿は此度の用件を話し始めた。


「我が主であられる勝頼様は、今川氏真様への臣従を願われております」

「・・・臣従だと?」


 勝重殿は訝しまれた様子でそう問われた。

 竜芳殿は声をたどって勝重殿に向かって頷かれる。


「勝頼様はこれ以上甲斐の民が苦しむことを望んでおりません。ですがここまで小さくなった我らに民を守る力は無いに等しく、武田に仕える者たちや民を守るために強き方を頼るほか無いと考えられております。先日の当主交代に際して、勝頼様の思いに賛同する方々が御味方くださったため、武田家中は他家に臣従することに関して不満を持ってはおりませぬ」

「しかしそれは声に出していないだけということもあるのではありませんか?」


 氏詮殿もそう問われた。


「もちろん無いとは言い切れません。それは正直に申させて頂きます」

「ご存じであると思いますが、我らと上杉・北条両家との関係は冷え切っております。いつ戦が起きてもおかしくない状況で、そのような者らを背後に残して安心して戦えましょうか?」

「それはもちろんそうでしょう。ですが我が父や祖父は統一の成されていない頃の信濃の統一に随分と手を焼かされました。今勝頼様を支えておられる重臣の方々も、古くより武田家を支えてくれてきた者が多く、信濃を切り取ることがどれほど大変であったかなどよく知っております。間違っても今川様を裏切って信濃へ侵攻しようとする者は出ないでしょうし、出させることもありません。先ほどの話ではないですが、統一のされていない信濃の統一にすら手こずったのです。駿河や遠江、三河に信濃の半分を押さえられている今川様を裏切ることは万が一にもございません」


 まぁそうだろうな。

 史実で義信事件に関与した者と同じ者が此度の当主交代に際して失脚しているのであれば、残っている者の多くは今目の前にいる昌景殿を含めて、優秀な方々が多い。敵となればいくら武田が小さくなったとはいえ厄介であることに違いは無いが、負ける可能性の高い戦に興じるかと言われれば確かに安心は出来るようにも思える。


「政孝、ずっと黙っておるがそなたはどう思っているのだ?」

「はっ、私は受けてもよろしいかと思います。前の戦では北条を相手に甲斐への侵入を凌いでおりますし、甲斐で万が一にも戦が起きても安心して任せることが出来ましょう。それに今では武田に負けぬほどの力を我らも備えております。裏切られても対処は出来ましょう。多少監視などで窮屈な思いをして頂くかも知れませんが、それでも良いというのであれば認めてもよろしいのではないかと」

「いつもは慎重な政孝がそう思うのか」

「我ら単独で北条や上杉と敵対するのは厳しいかと。織田様が畿内に目を向けられている今だからこそ、東に味方を作るべきにございます」

「ふむ・・・。もし麻呂が臣従を認めたとして、武田は何か望むことがあるか?」

「我らが自力で切り取った土地に関してはお認めいただくこと。そして物を今後も流していただくことにございます」


 塩留を止めてある程度商人らを甲斐へと向かわせてはいるが、相変わらず甲斐国内は困窮しているか。山国であるから仕方も無いが。


「もちろん今川様のお力も借りて切り取った土地に関しては要求いたしませぬ。もし北条や上杉攻めの一角を我ら武田に任せていただけるのであれば、そのようにお願いをさせていただきたく思います」

「・・・わかった。必ずしもその機会を設けるかはわからぬが、万が一にも武田家単独で侵攻を命じた場合には領地の切り取りを認めよう」


 氏真様の言葉に竜芳殿は頭を下げた。まぁそれは俺もそこまで問題ないように思える。

 単独での侵攻を命じる場合は稀であるし、それでも今の武田では限りがある。無際限に拡張出来るのであれば苦労はしないからな。


「また臣従の証として武田の姫を今川家へと嫁がせたく思いますが・・・」


 そう言って竜芳殿は氏真様を見た。だが氏真様、つい先日市姫を娶ったばかりであり、さらに世継ぎが未だ生まれていない。

 もし武田からの娘を娶って世継ぎが生まれてしまえば色々と厄介なことになる。おそらく竜芳殿もそのことを察されたのであろう。


「こうして御一門の方々が揃われているのです。その誰かということでも」


 そう言って俺達を見渡された。未だ未婚なのはこの中で信興殿のみ。だが当の本人は、


「私には未だ功績がございません。武田家のご息女を迎えても、あまりその意味は無いかと」


 と言って断られた。そうならば誰が適任であるのか。

 俺は完全に他人事のように周りを見渡す。


「政孝殿は如何でしょうか?すでに世継ぎにも恵まれており、久姫様との関係も良好であるとか」

「なっ!?」


 思わず声が出てしまった。俺を関係者へと引き込んだ氏詮殿を見たが、全くこちらを見る気配がない。

 まさかとは思うが先日の側室騒動を知っていたのでは無かろうな。


「たしかに名案であるな。それに政孝の功績は今川家中でも群を抜いておる。武田家としても、そのような者に娘を差し出さすというのであれば安心して送り出せよう」

「・・・私にございますか?」

「嫌か?」

「いえ!嫌ではございません。甲斐源氏という名家の方を妻として迎えることが出来ることは、私の誇りとなりましょう」


 とは言ってもあれだけ側室をとることをごねたのだ。そもそも武田の娘がいったい誰を指しているのかまったくわからない。

 武田義信の娘はすでに嶺松院殿と一緒に駿河へと引き取られており、勝頼に未だ娘はいないはず。

 ならば信玄の娘であるが、梅姫は黄梅院と名を変え尼僧になられたと聞いている。2人目の娘も穴山信君に嫁いでいるはず。真理姫はここ今川館で木曽家から差し出され人質生活を送られており、残る菊姫・松姫は未だ幼い。


「ちなみに誰を今川へと嫁がせるおつもりなのですか?」

「菊姫様を」

「・・・」


 高瀬を上回る衝撃を受けた。だがここで断ることが出来るのか?出来るわけがない。

 あの時とは完全に状況が違うのだ。

 一色家中で一番権力を有している俺が側室を拒んでいたあの状況とは全てが違う。

 菊姫と言えば、甲越同盟の証として上杉景勝に嫁いだ姫の名。景勝の生年が1556年であったはずであるから、菊姫と俺の婚姻というのがどれだけおかしなことかがよく目に見えた。


「やはり武田の娘を迎えることには抵抗がございますか?」

「いえ、そういうわけでは。・・・わかりました。私、一色政孝が菊姫様を迎え入れ武田との友好の証となりましょう」

「よくぞ言ってくれた。政孝よ!」


 尋常で無い葛藤の後、俺はそう言葉にした。

 それに言うしか無かっただろう。まぁ甲斐の姫とはいえ、未だ幼い。

 武田の狙いは子を残して武田の血脈を途切れさせないことではなく、単純に証が欲しかっただけのはずだ。

 だから妻として迎えはするが、慌てて子を成そうとなど思う必要は無い。

 幼い他家の姫を一色に迎えると思えば良いだろう。当分の間はな。


「勝頼殿に伝えよ。麻呂は今後武田家も民も、今川の民と同様に守る。安心されよ、と」

「ありがたきお言葉にございます。早速甲斐へと戻り、勝頼様へお報せいたします」

「それがよい。菊姫の輿入れに関しては麻呂も盛大に祝うとしよう」

「それも伝えさせていただきます」


 いかん。俺をほったらかしにどんどん話が大きくなっていく。

 だがこればかりは仕方が無い。とりあえず久には謝らなくれはならないか。・・・気が重いな。

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