241話 元嫡子の恩返し

 大井川城 一色政孝


 1569年秋


 信濃の各城へと火縄銃を配り終えた俺はその足で今川館へと向かった。氏真様に真田一族を召し抱えて頂けるようお願いし、無事に今川の家臣となることが認められたのだ。

 この先、もし小県を得ることがあれば旧領復帰も約束された。

 それを喜んだ昌輝殿は、今川家の為に粉骨砕身することを氏真様に誓ったのだ。俺としても一時消息不明になっていた真田とともに戦うことが出来るというのは嬉しいものだ。

 あのとき六文銭が見えたときは心臓が破裂するのではないかというほど胸が高鳴っていた。

 そして真田一族は氏真様に与えられた新たなる領地へと旅立たれた。だが流石に旧武田家臣ということだけあって、人質だけは出す必要がある。

 今後の関係や功績次第では一族の元へ戻されることもあるであろうが、今はまだ理解してもらわなくてはならない。

 武田の旧臣を信濃に配置するというのはそれだけリスクが高いことなのだ。


「しかしこのように栄えた土地は見たことがありません」


 俺の目の前にいるのは背中の傷が癒えた信綱殿であった。信綱殿といえば真田の嫡子であった方。

 前の戦で上杉の猛攻をどうにか退けていたが、最後の撤退戦において右腕を失っている。その後は真田の家を弟であり現当主である昌輝殿へと譲り、早すぎる隠居生活を送られていた。


「日ノ本一を自負していますので」

「・・・今後は私の主となられるのですから敬語は不要にございます」


 そう。なんと俺にとっても予想外の展開が待っていた。

 真田一族はみな新たな領地へと向かって信濃へと向かっていったが、この御方だけは俺の元へと残ったのだ。

 しかし一応理由はちゃんとあった。


「昌輝に当主としての自覚が出て来たというのに、元嫡子であった私が家に居続ければやりずらいでしょう。それにあの日助けて頂いた恩を返さずに、のうのうと城と領地を与えられていたと知られれば、真田は恥をさらすことになる」


 というわけらしい。後で聞いたところ、真田の家から離れることがやはり目的であったようだ。

 昌輝殿や信昌殿は必死で引き留めようとされていたのだが、昌幸殿がそれを止めさせた。おそらく全て察してのことであったのであろう。


「わかった。じゃぁ今後はよろしく頼むぞ、信綱」

「かしこまりました」


 信綱殿・・・、信綱は真田を離れるということで遠慮はいらぬらしい。それに伴って信綱の妻や子供らも大井川領へと住むことを決めている。

 生涯大井川領に骨を埋める覚悟であるということもよくわかった。だがこれはいよいよ凄いことになってきたな。


「殿、少しよろしいでしょうか?兵のことについて・・・」


 外に二郎丸が待機していたはずであるというのに、重治がスッと顔を出した。そして信綱の姿を見て固まる。


「失礼いたしました。まさか人がいらしていたとは」

「それは良いのだが・・・。いや、ちょうど良いところに来てくれた」


 俺は戻ろうとしている重治を呼び止める。


「この者も新たに一色に仕えることになった。見てもらったら分かるとおり右腕が無いのだが、元来腕の立つ男なのだ。先に一色に仕えた者として色々教えてやってくれると嬉しいのだが」

「この方も殿にお仕えされるので?」

「あぁ、真田信綱殿だ。また以前の時と同じく、みなに紹介する場は設けるつもりである」

「真田、にございますか。なるほど」


 一人でぶつぶつと何かを言っていた重治は何度か頷き、そして信綱を改めて見た。


「私の名は竹中重治と申します。今年のまだ雪の残る時期に殿に召し抱えて頂きました」

「私は真田信綱。信濃の山中で山賊に襲われていたところを助けて頂いた縁でお世話になることに」

「そうでしたか!どうかよろしくお願いいたします。さて信綱殿、まずはこの地を見て回ることをお勧めいたしましょう。どこもかしこも非常に面白い。きっと気に入るはず」


 信綱は俺の方を一度見た。

 こちらの話も一通り終わっており、特にこれ以上ここに引き留めておく気も無い。


「構わぬぞ。重治、後は頼む」

「かしこまりました。では行きましょうか」


 重治はそう言って出て行った。何気に嬉しそうにしていたのは、新人が入ってきたからであろうか。一色は年功序列よりも実力を重視している面が非常に大きいため、重治も新入りだと軽視されているわけでは無いと思うのだがな。


「あの方が真田の」

「昌友か、急に入ってきたら驚くだろう」

「申し訳ございません。それよりも縁東寺より報せがありました」

「・・・また誰か倒れたなど言わぬだろうな」

「縁起が悪うございます」

「不謹慎だった。それでいったい何を言うてきたのだ」


 昌友は文を俺へと手渡した。文の主は住職の豊春。

 中を読んでみたのだが、あまりに急な話が書いてある。


「・・・住職の地位を息子に譲る、と」

「それは急にございますね」

「長子である豊崇ほうしゅうに寺を任せて、自身は旅に出ると」

「豊岳様のあとを継がれるようにございますね」

「だがあれは大叔父上の趣味であった。それとも何か言われたのか?」

「さて、そこまでは私にも分かりかねますが・・・」

「まぁ良い。それで寺が上手く行くのであれば、俺としても口を挟むことは無い」


 ちなみに豊崇は俺から見てまたいとこになるわけだが、歳は10ほど豊崇が上である。

 山中や寺での修行が長いため、またいとこであると言ってもほとんど会ったことがないのだ。今度挨拶に行っておくべきであろう。いっても一色家の菩提寺なわけだからな。


「そういえば家房殿から報せがありました。神高島、何やら動きがありそうにございます」

「海賊か?」

「いえ、島長が不審な動きをしておると」


 島長が?俺達の立てた作戦は島長含めた島民にも伝えていない。敵を欺くためにはまず味方から。

 それに俺達のように、海賊も島民の中に人を紛れ込ませている可能性を考慮した結果なのだが、まさか釣れたのが海賊では無く島長であったとは驚きであった。


「だが今はまだ動けぬな」

「はい。もう少し島の様子を見なければ、一番の獲物を逃すことになりましょう」

「俺もそう思う。家房にはもう少し辛抱させよ」

「かしこまりました」


 昌友が持ってきた文は俺の部屋で預かっておく。昌友は部屋を出ていき1人になった。

 そんな中、僅かに気配を感じた俺は廊下の方へと出る。そこには落人が控えており、何やら息が上がっているようであった。


「如何したのだ」

「武田に潜んでいた者より急ぎの報せを受けました」

「報せ?武田に何か動きがあったか?」


 先日、武田勝頼が駿河へと来ていたことを聞かされた。塩留を止めて甲斐へと塩や物を流して欲しいという願いを伝えに来たそうなのだ。

 そして氏真様は独断でそれを了承。事後報告となったことで、多少不満を持つ者もいたようであるが大方氏真様の考えに支持した。

 もちろん不満を持った者も表立って何かをしたわけでは無い。裏でブツブツと文句を言っていた。

 一応その者らも監視の対象に入れることにはしたが、それはどうでもいい。

 俺が言いたいのはかつて敵対した今川に頭を下げなくてはならぬほどに、甲斐は困窮状態であるということ。

 此度の報せは何だろうか?現状に耐えられなくなった者が武田に対して反旗を翻したとか、そういう話であろうか。


「武田義信が死にました。跡を継いだのは諏訪家を継いでいた諏訪勝頼にございます」

「死んだだと!?死因は何だ」

「家中の統率を欠いたこと。どうやら勝頼を排除する動きを、義信の側近がとっていたようにございます。それを知った武田信玄により、その責を取らされたのではないかと」

「甲斐は荒れるか?」

「重臣の多くは勝頼に従っており、義信に従っていた者の多くは腹を切ったようにございます。迅速に家督を継承したため、家中はこれ以上荒れることは無いかと思われます」

「そうか」


 まるで義信事件だ。だがまさか信玄に殺されるとは。

 おそらく事前に計画し、勝頼が継いだ後苦労しないように味方を増やしていたのであろう。

 甲斐に付け入る隙が出来たかとも思ったが、残念だな。


「わかった。俺から氏真様にお報せしておく」

「お願いいたします」


 それだけいうと落人は姿を消す。

 正直に言えば甲斐はどうしても欲しいと思わせる土地では無い。あまりにも立地上、自然災害が多すぎる。

 だがあそこまで勢力を小さくされたとはいえ、武田家中には有能な者が未だに多く残っている。

 武田を甲斐に残したまま、上杉や北条と戦うのはあまりに怖い話であるのだ。


「・・・豊に会いに行こう。気が滅入ってきた」


 しかし数日後予想だにしていなかったことが起きる。それと共に良い出会いがあった。

 まだ今の俺では知らぬ話ではあるがな。

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