158話 誰も知らぬ抜け道

 井伊谷城周辺 一色政孝


 1566年夏


「敵は狙わなくてもいい。とにかく城内の奴らを驚かせてやれ」

「かしこまりました」


 景里に命じた俺はその場から数歩下がった。

 目の前には一直線に隊列を組んだ一色家の鉄砲隊。今から何をするのかというと、鉄砲による一斉射撃で井伊谷城内の敵兵を驚かす。50丁同時に撃つのだから、音は相当なものになるはずだ。

 そして城内にいるであろう内通者の尻を叩いてやる。急がねば井伊に従う者たちと共に死ぬことになるぞ、と。

 死にたくなければ行動を起こせ、とな。


「かまえ!!」


 景里の号令で鉄砲隊はやや上空に向けて鉄砲を構えた。ちなみに俺の中ではもう1つの意味がある。

 チラリとこれから城攻めを開始する皆様方を見る。

 予想通り何人もの視線をこの鉄砲隊が集めているのだ。この戦で鉄砲の魅力を伝えることが出来れば、また買い手が出るだろう。

 それすなわち戦力的にも、商人らにも大きな意味を持つこととなる。


「放て!!」


 一向宗を仕留めた時に比べてやはり練度は上がっているな。

 発砲の音は1つに纏まり、轟音として周囲一帯に響き渡った。どよめきは敵味方関係なく起きる。


「井伊の者らよ!この種子島の餌食になりたい者は出てくるがよい!そうで無ければ降伏せよ!!」


 俺の言葉で僅かだが動揺を生むことが出来た。

 元信殿を見ると小さく頷き全軍に指示を出す。


「全軍突撃だ!裏切り者らの一切を切り捨てよ!」

「「おぉぉぉおお!!!」」


 各地で雄叫びが上がり、軍議で決められた部隊らによる城攻めが始まった。山岳方面からの攻めは一切無しとし、平野部からのみ攻め立てる。ただし敵方に知られないようこっそりと配置はしている。

 城攻めの被害は最小限に留め、内通者の離反でとどめを刺す。これが今回の作戦であった。


「昌秋!頼んだぞ」

「お任せを!」


 昌秋も少数ではあるが兵を率いて突撃していった。今回は俺の出陣は無い。

 まだ先は長いから重傷を負って離脱という最悪の事態を避けるためだ。それにこれは井伊にしてみれば武田からの援軍はほとんど無いという絶望的状況の戦。

 俺達からしてみれば、いわば前哨戦のようなもの。

 無理は出来ない。だから泰朝殿や元信殿も城攻めには参加されていない。


「やはり金があるというのは素晴らしいな」

「確かに。種子島だけでも相当に高価だというのに、火薬まで大量に所持しているとは」


 まぁ弾を込めていたとはいえ、誰を狙ったものでも無い射撃を50丁で行ったからな。普通に弾や火薬の無駄遣いだ。

 だがその役目を俺が買って出た。

 戦の早期終結に必要とあらばなんだってする。

 それこそ手当たり次第の調略みたいにな。


 しばらく城攻めの様子を見ていたが、こちらが全力でないだけあってまだ城兵らは余裕がありそうだ。

 だが異変はそれからすぐに起きた。


「城内から煙が上がり始めたか?」

「そのようですね」


 やはり相当慌てたようだな。このままでは城を枕に討ち死にすると。


「元信殿、城攻めの兵を退かせましょう。城門から距離をとり、各門に種子島隊を配置するのです」

「そうだな。よしっ、全軍に退くよう使番を出せ!種子島隊は入れ替わるように城門を囲め。降伏してくるまでは誰1人として外へ逃がすな!」


 元信殿の指示を使番の者らが伝えに走る。それを見届けた泰朝殿は、側でこの戦の様を眺めていた親矩殿を連れて陣中より出て行かれた。

 あの方達はこれから山岳部に回り込み、逃げ道を塞ぐ。

 すでに配置はしていたが、これよりは隠れる必要は無く、むしろどうどうと道を塞ぎ敵の戦意を削いでやるのだ。


「敵が出て来たぞ!放て!!」

「誰1人として逃がしてはならぬぞ!!」

「急ぎ次弾の用意をせよ!第二陣、放て!!」


 各地で鉄砲大将の声が響き渡り、その都度轟音が鳴り響く。

 一色の鉄砲隊は分散して各城門に張り付かせている。それでも十分すぎるほどに機能しているのがここからでもわかった。

 成果は上々だ。

 城攻めでここまで出来れば、野戦でも十分機能するはず。

 やはり無理をしてでも、雑賀衆より大量に買って正解だった。これは昌友に必ず伝えなくてはならんな。


「これから戦は変わるな」

「そうですね」

「もし・・・、もし、これほどの数の種子島があれば・・・」


 元信殿はジッと井伊谷城の一方的な銃撃を見つめながら言葉を発された。

 しかしそれ以降は何も言われない。


「元信殿?」

「・・・いや、何でも無い。忘れてくれ」

「そうですか?では忘れさせていただきます」


 なんとなく察したが俺は気がついていないフリをした。


《もしこれほどの種子島があれば、桶狭間で負けることはなかったのだろうか》


 残念ながら負けていた事実は変わらなかっただろう。あの日は前が見えぬほどの大雨だったと聞いている。

 これだけの鉄砲があったとしても、使い物にはならなかったはずだ。

 結果は同じ。

 だがそれも敢えて口にすることでもない。

 俺もまた元信殿と同様に井伊谷城の落城する様を見ていた。


 どれほど経ったであろうか。敵兵が逃亡するためにじゃっかん開いていた城門が開き、武器を捨てた兵達が丸腰の状態で出て来た。

 それを引き連れているのは2人の将と1人の和尚。


「終わったか」

「そのようです。元信殿、参りましょう」

「そうだな」


 俺達は馬に跨がり、城門付近まで進める。連れ出してきた将らは俺達に気がつくと跪いた。


「某の名は菅沼忠久と申します!遅くなってしまい申し訳ありませぬ!!」

「鈴木重時にございます」


 2人ともやけに憔悴した顔つきである。

 和尚は俺の顔を見ると小さく会釈し、そのまま元信殿に対して跪いた。


「予定外の城攻めであったが2人ともよく判断した。井伊谷城落城の功労者として必ずや氏真様にお伝えいたそう」

「ありがとうございます!」

「・・・しかし我らは成すべきことを成せませなんだ」


 その言葉を聞いてようやく気がついた。この場にはあやつがいないのだ。

 この戦のきっかけであり、今川家の裏切り者。

 井伊直盛は取り逃がした。畏れていた事態が起きてしまったか。


「我らも知らぬ抜け道が用意してありました。気がついたときにはもぬけの殻で・・・」

「此度の内通は直盛の身柄と引き換えに我らの身の安全を保証していただくということでした。こうなった以上言い訳はいたしませぬ!」


 思ったより潔くて驚きだ。もっと言い訳をして、責任転嫁でもするのかと思ったが・・・。


「この2人がいっておりますこと、全て事実にございます。ですがこの者らのおかげで失う必要の無い命を守ることが出来た。この愚僧の首に免じてどうか2人を赦してやってはいただけませんかな?」


 南溪和尚は頭を下げて、そのまま首を伸ばす仕草をする。この場で首を刎ねて、それで治めよ、というのか。


「元信殿」

「戦が早々に終わったのは紛れもない事実だ。直盛を逃したことを咎めるつもりはない。ただしこれからは今川のために精進せよ」

「っ!?ありがとうございます!!」


 3人が頭を下げたことでこの場は終わった。そして井伊谷城の城攻めも終わった。内通者がいたからであろうが、堅城と言われた井伊谷城も終わってみればあっけなかった。

 だがここで気を抜くわけにはいかない。

 元信殿が先ほどの場を早々にお開きにされたのは、すぐにでも信濃に侵攻するためだ。

 信長が何を考えているのかは未だに分からないが、こればかりは譲れない。今川家の今後が決まる大事な時だ。

 いくら信長でも邪魔はさせない。

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