152話 将軍擁立

 今川館 一色政孝


 1566年冬


 日ノ本のほぼ全土に三好による暴挙が伝わったであろうとある日。大井川城も含めた各城に今川館より人が寄越された。

 今後のことを話し合うため、登城するようにとのことだ。

 俺は数人の者を供として選び、そして今川館へとやって来ている。

 広間の定位置に座っていると、続々と他の方々も来られる。まだまだ若手だからなるべく早い時間に座っておくのは当然だと思ったが、少々早すぎたかもしれないな。

 相当待っているのだが全然人が揃わない。


「随分と早い到着だな」

「まだまだ若輩者ですので」


 泰朝殿は俺と対になる場所に座られる。いつも通りだ。

 そしてその後は元信殿や氏俊殿、親矩殿と親しくしていただいている方々も到着された。

 ほとんど最後にやって来たのは家康である。まぁ岡崎城からだからな。

 仕方が無いだろう。


「急な話であったが、よく集まってくれた」


 全員が揃うと上座に氏真様が座られた。しかしいつもと違うのは、その側には氏真様の正室であられる早川殿も控えられているということ。

 やはり今日の話というのは北条との対武田における話であるということだろうか?


「泰朝」

「かしこまりました」


 泰朝殿は俺達の方を見て一呼吸あけた後、


「数日前、上杉家より使いの方がいらっしゃいました。そして武田との決戦の日が約束されたのです」

「いつなのだ?」


 元信殿が前のめりになって尋ねられる。皆様方も同じように体を前のめりにされる。

 随分と延ばされた武田との決戦だ。

 気になるのも当然というものだろう。


「決戦は6月。万全の用意をして、各国境より武田領内へと攻め寄せます」

「泰朝の言うた通りである。麻呂も兵を率いて甲斐へと侵攻する。また北条も相模より甲斐へと攻め寄せる手はずになっている」


 俺は頭の中で地図を描きながら、言われた行軍を想像する。

 だいぶ勢力を小さくした北条であれば、たしかに相模より攻め寄せるしかないだろう。それにまだ関東には上杉に与した領主らが多くいるから、そちらにも兵を残す必要があった。

 北条と上杉の間で共同戦線が組まれたなんて話は聞いていない。

 あくまで北条は同盟関係に亀裂をいれた武田への制裁として兵を出すという約束だからだ。

 そういう理由もあって、一応お互いに自制はするだろうが戦が起きないとも限らない状況である。


「上杉は越後と上野より北信濃へ攻めることとなっておる。遠江、三河に城を持つ者らは南信濃への侵攻を申しつける。大将は元信、おぬしに任せたい」

「ははっ!!そのお役目、立派に果たしてみせましょう」

「頼もしい限りである。まずは井伊谷城を、そのまま北上し信濃の重要拠点を押さえるのだ。また三河の北部に城を持つ者らは、これを機に侵攻してくる可能性のある織田を警戒し、城の守りを固めよ。武田領を獲って、三河を奪われるなど決してあってはならぬ」


 それにしても随分氏真様も変わったな。代替わりした頃はまだまだ不安だと何度も思ったが、荒波にもまれた結果色々吹っ切れたのやもしれん。

 俺としても嬉しいことだ。


「殿、私からもひとつよろしいでしょうか?」

「うむ、かまわぬ」


 早川殿がみなの前で話すとは珍しい。やはり此度、この場に着いてきたのは何やら意味があったのか。


「兄より文が届きました。中には此度の戦、十分用心するようにとしたためられてておりました。これがただの挨拶程度の意味であればよいのですが・・・」

「そうか、氏政殿がそのようなことを。みな、これが何を指し示すのかはわからぬ。ただしっかりと用心して戦に臨むよう命ずる」

「「ははっ!!」」


 それにしても本当にどういう意味があったというのだろうか。武田は氏真様の代になってから一番大きな敵となる。

 だから気をつけろということなのか?いや、そんなことわざわざ文にせずともわかっていることだ。

 敢えて言うことでもない。つまり敢えて言わなければならない状況であるということなのかもしれない。

 今、栄衆は大方出払っている。北条を探らせる余裕なんてないぞ・・・。


「各々城に戻り次第、6月には挙兵出来るよう支度を進めよ。詳しい話はまた後日軍議を行う」

「かしこまりました。それともう1つ、この場にいるみなに伝えておかなければならぬ事がある」


 泰朝殿は別の話をされるようだ。

 とはいっても大方察しはついている。日ノ本を震撼させたあの出来事。

 今川家の方針は未だ分からないままである。


「ここ数日で文がいくつか届いた」


 氏真様は小姓が運んできた文を受け取り、目の前で広げられた。

 文は全部で4通ある。


「近衛前久公、三好長逸殿、三好義継殿・松永久秀殿の連名、そして足利義秋様からである」

「・・・殿、足利、義秋よしあき様とは一体?」

「先日、三好長逸殿らに討たれた公方様の同腹の弟御である。興福寺に入り覚慶と名乗っておられたそうだが、難を逃れた幕臣らとともに越前へと逃れたのだと書かれておった。その際に還俗され名を改められたのだそうだ」


 文の名を見たが、義秋なんだな。義昭とはまだ名乗っていないらしい。

 だが手紙の内容は大方一緒だろう。足利の分家であり、今尚影響力をある程度維持している今川家に、次期将軍を認めてもらいたいとかそんな話だと推測出来る。


「近衛前久公と三好長逸殿からは平島公方家の足利あしかが義栄よしひで様を14代将軍と認めるようにとの内容であった。対して義輝様の同母弟である義秋様こそ正当な後継者であると三好義継殿らは申されており、義秋様を受け入れた朝倉も同意見であると書かれている」

「これは難しい選択を迫られましたな。それにしても何故此度の首謀者である三好義継殿と、それを実行した長逸殿で擁立する公方様が違うのでしょう」

「今、義継殿は大和国の信貴山城へ入られている。どうやら三好も分裂の危機に瀕しているようだ」


 元信殿の疑問は当然のことである。随分と派手に三好義継を黒幕に仕立て上げたからな。事実を知らぬ方は大勢いるであろう。そしてここで選択を間違えると、足利分家であるというのに新たな公方様から信用されなくなってしまう。

 それは割と都合が悪い。かつては色々面倒な事をされてきたが、やはり征夷大将軍というその立場は大きな存在なのだ。

 上手く使ってくれた際で、こちらとしても強力な武器となる。


「麻呂は義秋様を推そうと思っておる」

「それは何故にございましょう」

「畿内で三好は大きくなりすぎたのだ。そして三好が擁立した御方が将軍となれば、今後はさらに大きくなるであろう。それは麻呂の望むところではない。義継殿が摂津や和泉でなく大和に入られたというのも理由の1つである。今三好の大部分を取り仕切っているのは長逸殿であろうからな。未だ上洛は成っておらぬとはいえ、この地は京より近いのだ。三好の力はこれ以上大きくなってはならぬ」

「なるほど。私は殿のお考えに異論はありませぬ」


 泰朝殿の言葉に皆様も頷いた。俺も賛成だな。

 前久が三好についたのはやはりその約定が予めあったからであろう。公方様は最期まで武家に利用されたことになる。

 まぁ散々利用したのだから自業自得である、か。


「話は以上だ。これにて解散せよ」


 という話だったらしい。さて、じゃぁ城に戻るとしようか。

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