142話 商人へ弟子入りする武家の姫

 大井川城 一色政孝


 1565年秋


「まだ何かお話が?」

「あぁ、今日は庄兵衛に紹介したい者がいるのだ」


 俺が合図を出すと、背後の襖が開いて高瀬姫が入ってくる。やや膨れっ面なのは俺が忘れていたからだろう。これに関しては申し開きも無い。本気で忘れていたわ。


「この子は?」

「井伊直親殿の娘だ。信濃に身を隠していた際に現地の娘との間に出来た子である」

「・・・井伊家とは何かと縁が深いようですな」


 呆れた笑いなのか、微妙な間を空けてただ一言そう言われた。しかしそれは庄兵衛の勘違いだ。


「逆だ。虎松や虎上殿を匿ったから豊岳様が連れてこられたのだ」

「どちらにしても変わりますまい。それで名はなんというので?」

「高瀬と申します、暮石屋庄兵衛様」


 俺が紹介するよりも先に高瀬姫は挨拶をする。そのハキハキとした様子を庄兵衛は気に入ったらしい。

 俺に向けたことのない、いや今まで誰も見たことが無いような顔で高瀬姫へ笑いかけていた。


「そうでしたか、高瀬姫と申されるのですね。此度ここにいらっしゃったのは、この庄兵衛から何かを買いたいということでしょうか?」

「そうではない。庄兵衛、この子をお前に預けたいと思っているのだ」

「・・・」


 営業スマイルが一転。凍り固まったように高瀬姫を見ている。まぁわかる。当然そんな反応にはなるだろうな。

 それにこの話は庄兵衛にもある程度のリスクが生じることとなる。

 井伊直盛が刺客を放ってくる可能性もあるのだから。


「一から説明して頂けますか?」

「この子はこの子なりに俺の力になりたいのだそうだ。虎松とは違って井伊家の血が流れているとはいえ、母親は直親殿の側室でもない」

「政孝様がそう命じられたのですか?」

「そんなわけないだろう。むしろ俺は母や豊岳様に振り回されて大変な思いをした側だ」

「何かあったので?」


 興味津々といった様子の庄兵衛から目を外し、高瀬姫を見る。よくわからないといった様子でこちらを見返しているのを見ると、やはり頭が痛くなってきた。


「この子を側室に迎えさせようとしたのだ」

「なんと!」


 庄兵衛は遠慮なしに笑い、高瀬姫はつられて嬉しそうな顔をした。本当に意味が分かっているのか?

 そんな疑問よりも早速話を進めることとする。庄兵衛が城に入ってから結構経っているにもかかわらず、あまりにも話が進んでいない。

 無駄話が過ぎすぎるのだ。


「話を戻すがこの子は昌友のような文官になりたいのだそうだ。しかし今内政の要といっても過言ではない昌友にこの子を預けるわけにはいかぬ。教えられる者は他にも浮かんだが、みな一色港に出払っているのだ」

「はぁ」

「だからとりあえず庄兵衛に預けてこの子の才能を見極めて貰いたい。出来れば色々教えてやってくれると嬉しい。あとは日ノ本各地に同行させ見聞を広げさせてやってくれれば言うことは無いが」


 ずっと信濃にいたらしいからな。もっと広い世界を知ってもらいたい。

 庄兵衛は俺ではなく高瀬姫の方をジッと見ていた。負けじと高瀬姫も庄兵衛の目を見ている。

 その目には期待と不安が入り交じっているようだ。


「わかりました。私の元で預かりましょう、その代わり他の子達と同じように扱います。よろしいですかな」

「はい!よろしくお願いいたします」


 俺が頷いたのに対して高瀬姫は元気の良い声で返事した。庄兵衛も頷き返すと、また俺に視線を戻す。


「いつから我が屋敷に迎えましょうか」

「次の出航には連れて行ってもらいたい。だから目途が立った頃に暮石屋の屋敷に入れよう」

「はっ!かしこまりました。ではその日を楽しみにしております」


 庄兵衛は今度こそ部屋から出て行った。

 残された高瀬姫は俺の方に向き直って頭を下げている。


「感謝するのはまだ早い。頭を下げるのは、みなに認められて俺に仕えるときにせよ」

「はい!本当に感謝いたします」


 それだけ言うと部屋から出て行ってしまった。まだ先の話にはなると思うのだが、暮石屋に世話になる支度でもしに行くのだろう。


 誰もいなくなった部屋。外には小十郎が待機している。


「小十郎、昌友と時真を呼んでくれ」

「かしこまりました」


 さて、では俺も大井川領内の発展に関してできるだけ話を纏めるとしようか。

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